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東広島市立図書館/東広島市デジタルアーカイブ

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東広島市の石造物 (安芸国分寺石橋 あきこくぶんじいしばし)

安芸国分寺石橋 あきこくぶんじいしばし 所在地 東広島市西条町吉行 年 代 不明 形 状 花崗岩, 長さ一九八cm 幅一九五cm 厚さ二〇cm 概 要 安芸国分寺の山門を入ると庭に出る。  ,[安芸国分寺石橋] / 安芸国分寺石橋 あきこくぶんじいしばし
東広島市の石造物 (安芸国分寺無縫塔 あきこくぶんじむほうとう)

安芸国分寺無縫塔 あきこくぶんじむほうとう 所在地 東広島市西条町吉行(安芸国分寺境外墓地) 年 ,種 子 ア・胎蔵界大日如来 銘 文 国分中興宥雄法印 奉造立 本府安養寺宥恵(ほか) 概 要 安芸国分寺,毛利元就が寺領を寄進して安芸国分寺の寺運も向上した。  ,本墓塔の第三十五世宥雄(ゆうお)は衰微していた安芸国分寺を復興した。,(木原保満寄進石造物集成 国分寺宝篋印塔 参照のこと) [安芸国分寺無縫塔] / 安芸国分寺無縫塔 あきこくぶんじむほうとう
東広島市の石造物 (安芸国分寺塔跡礎石 あきこくぶんじとうあとそせき)

安芸国分寺塔跡礎石 あきこくぶんじとうあとそせき (史跡) 所在地 東広島市西条町吉行 年 代 ,(用語解説 安芸国分寺跡 参照のこと) 安芸国分寺歴史公園 [安芸国分寺塔跡礎石] / 安芸国分寺塔跡礎石 あきこくぶんじとうあとそせき
東広島市の石造物 (安芸国分寺宝篋印塔 あきこくぶんじほうきょういんとう)

安芸国分寺宝篋印塔 あきこくぶんじほうきょういんとう 所在地 東広島市西条町吉行 年 代 江戸時代,金亀山学如欽記 現住権大僧都宥雄八十歳書之 當郡白市村住檀主     木原保満 保齢七十歳 概 要 安芸国分寺中興,の祖僧宥雄は衰微していた安芸国分寺を復興した。,(用語解説 安芸国分寺無縫塔 金剛界五仏 参照のこと) [安芸国分寺宝篋印塔] / 安芸国分寺宝篋印塔 あきこくぶんじほうきょういんとう
東広島市の石造物 (安芸国分寺塔跡五輪塔 あきこくぶんじとうあとごりんとう)

安芸国分寺塔跡五輪塔 あきこくぶんじとうあとごりんとう (史跡) 所在地 東広島市西条町吉行 年, 状 花崗岩 高さ一五八cm ヨコ五三cm タテ五三cm 種 子 なし 銘 文 無銘 概 要 安芸国分寺,があった塚を昭和七年(1932)に発掘調査したところ、心礎をはじめとした塔の完全な礎石が発見されて、ここに安芸国分寺,(用語解説 安芸国分寺跡 参照のこと) [安芸国分寺塔跡五輪塔] / 安芸国分寺塔跡五輪塔 あきこくぶんじとうあとごりんとう
東広島市の石造物 (あ)

  安芸国分寺跡 あきこくぶんじあと (史跡)  国分寺は天平十三年(741)聖武天皇,現安芸国分寺の西方50mにある、聖武天皇の玉歯が埋められているという伝承があった塚を昭和七年(1932,周辺が発掘調査され、ほぼ安芸国分寺の全容が明らかとなった。,  安芸国分寺 あきこくぶんじ  当初の安芸国分寺は平安末期源平の合戦のため焼失した。,現在の安芸国分寺は真言宗・金嶽山・常光院と号す。
東広島市の石造物 (石清水八幡宮石灯籠 いわしみずはちまんぐういしどうろう)

長和二年(1013)安芸国分寺の鎮守として創建したと伝える。  
東広島市の石造物 (円満寺跡舎利塔 えんまんじあとしゃりとう)

安芸国分寺の仁王門(市重文)の仁王像はここから移されたという。  
東広島市の石造物 ([遺物編目次])

1層塔  福成寺十三重層塔…………………2  仙石庭園五重層塔…………………2 2五輪塔  安芸国分寺塔跡五輪塔,……6  小倉神社宝篋印塔…………………6  上戸野宝篋印塔(福富町)………7 5無縫塔  安芸国分寺無縫塔,中の峠隧道…………………………57 6側溝  旧木原家住宅側溝…………………58 7石橋  安芸国分寺石橋,…………………61 10指差道標集成    (河内町、福富町、豊栄町)…61 11塔礎石  安芸国分寺塔跡礎石,……………82  白鳥神社手水鉢……………………83  石清水八幡宮石灯籠………………83  安芸国分寺宝篋印塔
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