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東広島市の石造物
(宝篋印塔)
宝篋印塔
越智式 二段式 反花式 /
宝篋印塔
東広島市の石造物
(4 宝篋印塔 ほうきょういんとう)
4
宝篋印塔
ほうきょういんとう 形態 下方から方形の基礎、塔身、屋根(笠)、相輪からなる塔で、屋根,名称の由来 中国伝来の小型金属製で形状が
宝篋印塔
に似ている銭弘俶塔に宝篋印陀羅尼が納めてあったため、日本,でこの種の石造塔を
宝篋印塔
と称した。 ,
宝篋印塔
は銭弘俶塔の特徴を備えているので、従来は日本を起源とする説が有力であったが、最近中国の石造
宝篋印塔
,(用語解説 阿育王 参照のこと) 最古の紀年銘 輿山往生院
宝篋印塔
奈良県 正元元年(1259) / 4
宝篋印塔
ほうきょういんとう
東広島市の石造物
(上戸野宝篋印塔 かみどのほうきょういんとう)
上戸野
宝篋印塔
かみどのほうきょういんとう 所在地 東広島市福富町上戸野 年 代 不明 形 状 ,花崗岩 高さ九〇cm ヨコ三〇cm タテ三〇cm 形 式 異形
宝篋印塔
概 要 静かな山間の道を進,この
宝篋印塔
は屋根の下に裳階(もこし)といわれる屋根をおいている。,(主要石造物概説
宝篋印塔
参照のこと) 全景 [上戸野
宝篋印塔
] / 上戸野
宝篋印塔
かみどのほうきょういんとう
東広島市の石造物
(光政寺宝篋印塔 こうしょうじほうきょういんとう)
光政寺
宝篋印塔
こうしょうじほうきょういんとう 所在地 東広島市高屋町白市 年 代 江戸時代 享保十九年,花崗岩 高さ三七〇cm ヨコ八〇cm タテ八〇cm 種 子 金剛界四仏 銘 文 三界萬霊 奉建立
宝篋印塔
,本
宝篋印塔
は木原保満が47歳のとき寄進したものである。 [光政寺
宝篋印塔
] / 光政寺
宝篋印塔
こうしょうじほうきょういんとう
東広島市の石造物
(廃真光寺宝篋印塔 はいしんこうじほうきょういんとう)
廃真光寺
宝篋印塔
はいしんこうじほうきょういんとう (県重文) 所在地 東広島市河内町小田 年 ,境内には十四世紀(南北朝時代)の
宝篋印塔
が8基ある。,その中で特に大きいのが、小田景範の墓と言われていたが、景範は元亀三年(1572)没しているので
宝篋印塔
,東広島市の中世の
宝篋印塔
として最大級で芸術的価値も高い優品である。 [廃真光寺
宝篋印塔
] / 廃真光寺
宝篋印塔
はいしんこうじほうきょういんとう
東広島市の石造物
(竹林寺木原宝篋印塔 ちくりんじきはらほうきょういんとう)
竹林寺木原
宝篋印塔
ちくりんじきはらほうきょういんとう 所在地 東広島市河内町入野 年 代 江戸時代,花崗岩 高さ三二五cm ヨコ八三cm タテ八三cm 種 子 金剛界四仏 銘 文 三界萬霊 奉建立
宝篋印塔
, 寛延四辛未天九月日 施主白市住木原保満 概 要 前項の光政寺の
宝篋印塔
と、形式、規模とも酷似している,(用語解説 金剛界五仏 参照のこと) [竹林寺木原
宝篋印塔
] / 竹林寺木原
宝篋印塔
ちくりんじきはらほうきょういんとう
東広島市の石造物
(竹林寺宝篋印塔 ちくりんじほうきょういんとう)
竹林寺
宝篋印塔
ちくりんじほうきょういんとう (市重文) 所在地 東広島市河内町入野 年 代 室町時代,(東広島市教委の呼称は竹林寺石造物) [竹林寺
宝篋印塔
] / 竹林寺
宝篋印塔
ちくりんじほうきょういんとう
東広島市の石造物
(吾妻子滝宝篋印塔 あずまこのたきほうきょういんとう)
吾妻子滝
宝篋印塔
あずまこのたきほうきょういんとう 所在地 東広島市西条町御薗宇(吾妻子滝観音堂内),観音堂の中に
宝篋印塔
が安置されている。 ,(用語解説 菖蒲前伝説 参照のこと) [吾妻子滝
宝篋印塔
] / 吾妻子滝
宝篋印塔
あずまこのたきほうきょういんとう
東広島市の石造物
(安芸国分寺宝篋印塔 あきこくぶんじほうきょういんとう)
安芸国分寺
宝篋印塔
あきこくぶんじほうきょういんとう 所在地 東広島市西条町吉行 年 代 江戸時代,その記念として宝暦七年に賀茂郡白市村の木原保満が
宝篋印塔
を寄進した。 ,(用語解説 安芸国分寺無縫塔 金剛界五仏 参照のこと) [安芸国分寺
宝篋印塔
] / 安芸国分寺
宝篋印塔
あきこくぶんじほうきょういんとう
東広島市の石造物
(小倉神社宝篋印塔 おぐらじんじゃほうきょういんとう)
小倉神社
宝篋印塔
おぐらじんじゃほうきょういんとう 所在地 東広島市八本松町原(小倉神社本殿より左に,(用語解説 菖蒲前伝説 小倉神社 参照のこと) [小倉神社
宝篋印塔
] / 小倉神社
宝篋印塔
おぐらじんじゃほうきょういんとう
東広島市の石造物
(岩谷観音宝籤印塔 いわやかんのんほうきょういんとう)
花崗岩 高さ二六二cm ヨコ六六cm タテ六六cm 種 子 金剛界四仏 銘 文 三界萬霊 奉建立
宝篋印塔
,当山遠孫 小比□智明代 概 要 庶民に崇敬されている広島観音霊場である岩谷観音堂に寄進された立派な
宝篋印塔
東広島市の石造物
([参考文献])
板碑 昭62 山陽新聞社 6 播磨 定男 中世の板碑文化 1989 東京美術 7 吉川 功 石造
宝篋印塔
,東広島郷土史研究会 東広島市の歴史事典 平9 渓水社 11 篠原 起昌 歴史を歩く 平2 12 藪田嘉一郎
宝篋印塔
,50 綜芸社 13 シルクロード学研究センター 中日石造物の技術的交流に関する 基礎研究―
宝篋印塔
東広島市の石造物
(平賀氏墓地五輪塔 ひらがしぼちごりんとう)
多くの
宝篋印塔
・五輪塔などがあるが、この中で葬主のわかるのは「真岳」の法名を刻んだ平賀弘保(十五代)と,どちらも
宝篋印塔
で、墓地の西側にある。
東広島市の石造物
(ふ)
境内や南方山上に多くの
宝篋印塔
や五輪塔の古墓があり、三十一宇の諸堂と四十二坊があったという。, 福成寺古墓 ふくじょうじこぼ 福成寺の南西約300mの地に石仏、
宝篋印塔
、五輪塔等
東広島市の石造物
(内容)
内容 1層 塔 2五輪塔 3一石五輪塔 4
宝篋印塔
5無縫塔 6石 幢 7板 碑 8
東広島市の石造物
(安芸国分寺無縫塔 あきこくぶんじむほうとう)
その記念として宝暦七年(1757)には賀茂郡白市村の木原保満が
宝篋印塔
を建てたのである。,(木原保満寄進石造物集成 国分寺
宝篋印塔
参照のこと) [安芸国分寺無縫塔]
東広島市の石造物
(ひ)
多くの
宝篋印塔
、五輪塔などがあるが、この中で葬主のわかるのは「真岳」の法名を刻んだ平賀弘保(十五代)、,どちらも
宝篋印塔
で、墓地の西側にある。
東広島市の石造物
(こ)
こ 格狭間 こうざま 灯籠の基礎や、
宝篋印塔
の基礎等に刻んだ装飾文様。,層塔や
宝篋印塔
の四面に金剛界四仏がよく刻まれる。 (主要種子参照のこと)
東広島市の石造物
(平賀氏墓地 ひらがしぼち)
(県史跡) 所在地 東広島市高屋町高屋堀 年 代 室町時代 敷 地 一一〇㎡ 銘 文 (
宝篋印塔
東広島市の石造物
(荒谷家墓地 あらたにけぼち)
全景 荒谷氏
宝篋印塔
東広島市の石造物
([遺物編目次])
4 3一石五輪塔 平泰寺一石五輪塔…………………4 円通寺一石五輪塔…………………5 4
宝篋印塔
, 廃真光寺
宝篋印塔
(河内町)……5 吾妻子滝
宝篋印塔
…………………6 小倉神社
宝篋印塔
……,……………6 上戸野
宝篋印塔
(福富町)………7 5無縫塔 安芸国分寺無縫塔…………………7,……………78 酒蔵通り掛石(3)……………………79 14木原保満寄進石造物集成 光政寺
宝篋印塔
,……………………81 竹林寺木原
宝篋印塔
(河内町)…81 西福寺石仏…………………………82
東広島市の石造物
(あ)
宝暦七年(1757)衰微していた寺勢を復興した記念の
宝篋印塔
が建立されている。
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