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東広島市の石造物
(円通寺石庭 えんつうじせきてい)
形 式 石庭 概 要 臨済宗 善応山 福寿
院
円通
寺
JR西条駅から東へ歩いて白壁の酒蔵が連なり,酒の香がする路地を歩くと、その一角に、山陽花の
寺
二十三番福寿
院
の案内板がある。 ,龍安
寺
を模して15個の石で造られている。,龍安
寺
は石庭面や塀に傾斜を設けて遠近感を助長するように工夫されている。,[円通
寺
石庭] / 円通
寺
石庭 えんつうじせきてい
東広島市の石造物
(西福寺石仏 さいふくじせきぶつ)
タテ三〇cm 銘 文 法界 釈迦仏 元文五年七月日 施主 木原保満 概 要 浄土宗 白雲山 来迎
院
,西福
寺
本尊は阿弥陀如来 西福
寺
は元は大福
寺
といい高屋町溝口にあった。,開基は文治二年(1186)で白鳥神社の別当職に補せられた大
寺
であった。 ,天正十一年(1583)時の住僧西蓮法師は事情あって
寺
地を白市に移し己の名の一字西を冠し西福
寺
と号した。,[西福
寺
石仏] / 西福
寺
石仏 さいふくじせきぶつ
東広島市の石造物
(妙福寺石幢 みょうふくじせきどう)
妙福
寺
は顕本法華宗京都妙満
寺
派。山号は自性山。本尊は日蓮大菩薩。,隠岐に流されていた後醍醐天皇が京に帰り重祚の時、持明
院
の皇子(光巌天皇の御子)が罪を得て安芸国に配され,当妙福
寺
に住し、帰京することなく死去されたという。,当時の妙福
寺
は飯田中畝の妙福
寺
(地)とよぶ地にあり栄えた。 ,慶長年間(1596~1615)廃
寺
となった。 / 妙福
寺
石幢 みょうふくじせきどう
東広島市の石造物
(清誓寺盃状穴 しょうせいじはいじょうけつ)
清誓
寺
盃状穴 しょうせいじはいじょうけつ 所在地 東広島市黒瀬町国近 年 代 不明 対象物 舟型手水鉢,花崗岩 高さ三二cm ヨコ一二〇cm タテ五四cm 穴 数 十四 銘 文 無銘 概 要 金嶺山清誓
寺
は,元は宗近覚寿が開基した禅宗
寺
院
。,[清誓
寺
盃状穴] / 清誓
寺
盃状穴 しょうせいじはいじょうけつ
東広島市の石造物
(西福寺経塚 さいふくじきょうづか)
西福
寺
経塚 さいふくじきょうづか 所在地 東広島市八本松町吉川 年 代 室町時代 天文二十一年(1552,花崗岩 高さ一四五cm ヨコ四五〇cm タテ三九〇cm 形 式 一字一石塔 概 要 浄土真宗本願
寺
派, 多聞山西福
寺
創建は南北朝時代の応安元年(1368)で禅宗の
寺
院
であった。 ,槌山城の城番衆、菅田越中守・大森(大林とも)和泉守・尾和備後守ら3人の武将は、宝蔵に帰依して西福
寺
の檀徒,(用語解説 一字一石塔 参照のこと) [西福
寺
経塚] / 西福
寺
経塚 さいふくじきょうづか
東広島市の石造物
(教善寺神前形石灯籠 きょうぜんじしんぜんがたいしどうろう)
教善
寺
神前形石灯籠 きょうぜんじしんぜんがたいしどうろう 所在地 東広島市西条町西条 年 代 明治四十一年,土肥サク 明治四十一年一月 概 要 この灯籠は神前形と呼ばれるもので全国的に神社や
寺
院
,(用語解説 教善
寺
参照のこと) [教善
寺
神前形石灯籠] / 教善
寺
神前形石灯籠 きょうぜんじしんぜんがたいしどうろう
東広島市の石造物
(東広島市の寺社石造物の統計 一覧表)
東広島市の
寺
社石造物の統計 一覧表 神社 石鳥居 手水鉢 No 項 目 神社数 比率(%) 1 1,13 2 性別なし 86 96 73 97 13 87 3 調査総数 90 75 15
寺
院
/ 東広島市の
寺
社石造物の統計 一覧表
わたしたちの東広島市(中国語)
(<福富町留存的古迹 >)
<福富町留存的古迹 > 明眼
寺
这座
寺
院
是建于1938年的木结构
寺
院
。,长圆
寺
冈山八幡宫 宫崎神社 森政神社 福富町里有许多从前留下来的
寺
院
和神社呢。
東広島市の石造物
(調査内容)
項目・・石鳥居数、手水鉢の形式、石段数 B項目・・標柱、石灯籠の形式、石造狛犬の形式
寺
院
, A項目・・手水鉢の形式 B項目・・石灯籠の形式 調査
寺
社数 神社・・113社
寺
院
,・・50
寺
東広島市の石造物
(え)
え 円通
寺
えんつうじ 臨済宗 善応山・福寿
院
・円通
寺
山陽花の
寺
第二十三番。,京都・竜安
寺
を模した石庭がある。 灯籠、六地蔵その他貴重な石造物が多い。
東広島市の石造物
(ち)
ち 竹林
寺
ちくりんじ (重文) 真言宗 篁山 竹林
寺
標高535mの篁山の山頂付近にある,
寺
院
で、縁起によると天平二年(730)に行基によって建立されたと伝わっている。,また、
寺
付近は竹林
寺
用倉山県立自然公園に指定されている。三重塔が東京都の椿山荘へ移されている。 , 手水鉢 ちょうずばち
寺
社で参拝の際、手などを清めるための水を溜めておく石製の鉢。,町 石 ちょうせき 平安時代真言宗などは山岳に
寺
院
を建てた。
東広島市の石造物
(頭崎梵字岩 かしらざきぼんじいわ)
cm タテ一三五cm 種 子 ア・胎蔵界大日如来 銘 文 無銘 概 要 頭崎山の麓近くにある極楽
寺
に,奥ノ
院
があり、巨石に取り囲まれた奥の
院
のすぐ手前にすわっている巨石に種子が一文字陽刻されている。
わたしたちの東広島市(中国語)
(<河内町留存的古迹 >)
<河内町留存的古迹 > 竹林
寺
竹林
寺
是位于篁山(535m)山顶的
寺
院
,由僧人行基建于730, 据说在竹林
寺
里还有其他许多物品作为文化遗产得到珍视呢。
わたしたちの東広島市(中国語)
(<志和町留存的古迹>)
并泷
寺
的山门 并泷
寺
建于距今1200多年前的773年,是一座历史非常悠久的
寺
院
。,此外,并泷
寺
里的挂画和佛像都已被指定为东广岛市重要文化遗产。,西莲
寺
据说西莲
寺
曾是称作“神机队”的人们的集会场所。
東広島市の石造物
(調査結果)
調査結果 (詳細は「東広島市の
寺
社石造物の統計一覧表」参照) 神社 A項目・・石鳥居数,石造狛犬の形式が出雲形 43%、尾道形 43% 石造狛犬の性別の有無 有 4%
寺
院
東広島市の石造物
(バチ形石灯籠(ばちがたいしどうろう))
ばちがたいしどうろう) 広島県の特徴であるバチ形灯籠は東広島市でも多く見られ、調査総石造灯籠数にたいして神社30%、
寺
院
東広島市の石造物
(仙石庭園石燈籠 せんせきていえんいしどうろう)
大谷石 高さ三〇〇cm ヨコ一三五cm タテ一三五cm 銘 文 奉献 石燈籠一基 武州東叡山 浚明
院
殿尊前,天明六丙年九月八日 従五位下保科弾正忠源正率 概 要 銘文によると本燈籠は第十代将軍徳川家治の菩提
寺
、,武蔵国東叡山寛永
寺
の墓前に保科弾正によって献ぜられたものである。
東広島市の石造物
(6 石幢 せきどう)
起源
寺
院
の須弥壇脇の飾りに見られる、細長い布製の幢幡が6連組み合わさって出来る細長い六角形を幢身として
わたしたちの東広島市(中国語)
(<志和町的情况>)
町内有许多
寺
院
和神社,还有三个高尔夫球场,这些都是志和町的特征。
東広島市の石造物
(森実二尊種子板碑 もりざねにそんしゅじいたび)
本遺物の同類に尾道・浄土
寺
奥の
院
阿弥陀三尊板碑がある。 [森実二尊種子板碑]
東広島市の石造物
(まとめ)
寺
院
手水鉢の形式 水溜まり形状が○または□、石灯籠の形式がバチ形は神社のデータ,統計のデータは次ページの「東広島市の
寺
社石造物の統計 一覧表」に示す。
東広島市の石造物
(み)
名井因幡守光叶は竹林
寺
七重層塔など多くの石造物を遺している。 , 妙福
寺
みょうふくじ 顕本法華宗京都妙満
寺
派 自性山妙福
寺
本尊は日蓮大菩薩。,北条高時によって隠岐に流されていた後醍醐天皇が京に帰り重祚の時、持明
院
の皇子(光巌天皇の御子)が罪を得,当時の妙福
寺
は飯田中畝の妙福
寺
とよぶ地にあり、
寺
の前に小堂があって皇子が使用していた冠などが納められていたという,慶長年間廃
寺
となったが浅野氏の時代に再興した。
わたしたちの東広島市(中国語)
(<八本松町留存的古迹>)
因此,从1号到88号,将四国88处各家
寺
院
的主要佛像都雕刻成了石佛,以八本松站为中心,矗立在山里和乡间
東広島市の石造物
(せ)
形状の由来は、
寺
院
の須弥壇脇の飾りに見られる、細長い布製の幢幡が6連組み合わさって出来る細長い六角形を,長年の歳月と私財を投じて病
院
の保養施設として、また市民の憩いの場とし企画、設計・施工したものである。
東広島市の石造物
(あ)
安芸国分
寺
跡 あきこくぶんじあと (史跡) 国分
寺
は天平十三年(741)聖武天皇,奈良の東大
寺
は総国分
寺
であった。 , 安芸国分
寺
あきこくぶんじ 当初の安芸国分
寺
は平安末期源平の合戦のため焼失した。,現在の安芸国分
寺
は真言宗・金嶽山・常光
院
と号す。,関連する
寺
社は10
寺
社におよび古文書も多数現存する。伝説の概要は以下の通りである。
『万葉火』を灯す町
(2.調査方法(ちょうさほうほう))
かつやく)している方々へのインタビュー ・郷土史研究家 ・市の職員(しょくいん) ・
寺
院
『万葉火』を灯す町
(参考文献)
p71 (広島県立図書館) ・「豊田郡史年表」53 豊田郡教育研究所(1954) p13 (市立竹原書
院
図書館,) ・「日本民俗写真大系」6 網野善彦他(2000)日本図書センター、p90、91 (市立竹原書
院
図書館,) ・「環境の日本史」2 浅野啓介他(2013)吉川弘文館、p190、191 (市立竹原書
院
図書館),1994) 広島県神社庁、p535、536、537、539 (東広島市立安芸津図書館) ・「瑠璃山浄福
寺
,
寺
誌」 伊藤陽堂(2017) p57 (東広島市立安芸津図書館) ・「安芸津町史」通史編 東広島市安芸津町史編
東広島市の石造物
([遺物編目次])
……………………4 3一石五輪塔 平泰
寺
一石五輪塔…………………4 円通
寺
一石五輪塔…………,…………………7 平泰
寺
無縫塔………………………8 6石幢 妙福
寺
石幢…………………………8, 蔵田備中守供養塔…………………16 10結界石 福寿
院
結界石(安芸津町)………16 11石仏,………………40 教善
寺
神前形石灯籠………………41 教善
寺
バチ形石灯籠………………41 , 西福
寺
跡大日種子板碑(1)…………25 西福
寺
跡大日種子板碑(2)…………25 西福
寺
跡地蔵石仏
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