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東広島市立図書館/東広島市デジタルアーカイブ

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東広島市の石造物 (酒蔵通り掛石(3) さかぐらどおりかけいし)

東広島市の石造物 / 酒蔵通り掛石(3) さかぐらどおりかけいし 所在地 東広島市西条本町 年 代 不明 形 状 花崗岩,五〇cm ヨコ三五cm タテ一五cm 概 要 白牡丹延宝蔵の南面、酒蔵通りに面した蔵の軒下に数個の掛石,石は全て自然石である。    ,(用語解説 掛石 参照のこと) 延宝蔵全景 [酒蔵通り掛石(3)] / 酒蔵通り掛石(3) さかぐらどおりかけいし
東広島市の石造物 (酒蔵通り掛石(2) さかぐらどおりかけいし)

東広島市の石造物 / 酒蔵通り掛石(2) さかぐらどおりかけいし 所在地 東広島市西条上市町 年 代 不明 形 状 花崗閃緑岩, 高さ五〇cm ヨコ三五cm タテ一五cm 概 要 本遺物は重りの石を吊すために縄ではなく、太い針金,そのため石に穴を彫る形式であり、酒蔵通り掛石(1)に較べて時代が新しいと考えられる。  ,(用語解説 掛石 参照のこと) [酒蔵通り掛石(2)] / 酒蔵通り掛石(2) さかぐらどおりかけいし
東広島市の石造物 (酒蔵通り掛石(1) さかぐらどおりかけいし)

東広島市の石造物 / 酒蔵通り掛石(1) さかぐらどおりかけいし 所在地 東広島市西条本町 年 代 不明 形 状 花崗岩, 高さ五〇cm ヨコ三五cm タテ一五cm 概 要 本遺物は重りの石を縄で縛って吊るす際に石が滑って,落ちないように、石の中ほどに切り込みが彫られている。,(用語解説 掛石 参照のこと) [酒蔵通り掛石(1)] / 酒蔵通り掛石(1) さかぐらどおりかけいし
東広島市の石造物 (神武天皇腰掛岩 じんむてんのうこしかけいわ)

東広島市の石造物 / 賀茂神社が焼失したので新宮神社に合祀され、その際腰掛岩も境内に移された。  ,その後手水鉢に造りかえられ、神武天皇腰掛岩として伝承されてきた。  ,神武天皇腰掛岩は「記紀伝説」にある安芸郡府中町埃宮の松崎八幡宮跡にもある。   ,この神武天皇腰掛岩の盃状穴を主題にする場合には新宮神社盃状穴と呼称する。  ,(用語解説 新宮神社および盃状穴参照のこと) [神武天皇腰掛岩] / 神武天皇腰掛岩 じんむてんのうこしかけいわ
東広島市の石造物 (黒瀬石風呂 くろせいしぶろ)

東広島市の石造物 / 石風呂は内部が男女の部屋に仕切られ、昭和二十年代初め頃までは焚かれていた。  ,昭和十年頃、石風呂を焚いていた人の話では燃料は松葉(こくば)と薪で、石風呂の内側が白くなるまで焼いたあと,その上に呉市広から運んだ海水に浸したムシロを掛けゴザを敷いた。,石風呂に入った年は、風邪を引かないと言ううたい文句で大変人気があったという。,記念碑 [黒瀬石風呂] / 黒瀬石風呂 くろせいしぶろ
東広島市の石造物 (旧木原家住宅石こたつ きゅうきはらけじゅうたくいしこたつ)

東広島市の石造物 / 旧木原家住宅石こたつ きゅうきはらけじゅうたくいしこたつ 所在地 東広島市高屋町白市 年 代 不明,、赤土を固めて仕切りを造って中に灰を詰めて、灰の中に火の付いた炭を入れて木製の櫓を置き、こたつ布団を掛けて,この旧木原家住宅のこたつは石のブロックを刳り抜いて中に灰を入れる構造になっている。  ,旧木原家住宅 全景 [旧木原家住宅石こたつ] / 旧木原家住宅石こたつ きゅうきはらけじゅうたくいしこたつ
東広島市の石造物 (か)

東広島市の石造物 /   掛 石 かけいし  かかりいしともいう。,酒製造過程で酒粕を絞るための棹に下げる重りのための石。  ,江戸時代の酒の搾り方であった天秤搾りに不可欠だったのがこの掛石である。  ,天秤棒の先端に縄で吊り下げて使われたが、縄が滑って落ちることがないように、石の中ほどに切り込みが彫られているものもある
東広島市の石造物 ([遺物編目次])

東広島市の石造物 /  神武天皇腰掛岩……………………30 21巨石信仰  金剛岩………………………………31  , 黒瀬石風呂(黒瀬町)……………78 11掛石集成……………………………78 12石こたつ,68  菖蒲前歌碑(3)………………………68  菖蒲前歌碑(4)………………………68 11掛石集成, 酒蔵通り掛石(1)……………………78  酒蔵通り掛石(2)……………………78  酒蔵通り,掛石(3)……………………79 14木原保満寄進石造物集成  光政寺宝篋印塔……………………81
東広島市の石造物 (こ)

東広島市の石造物 /   虎口石 こぐちいし  城の曲輪門を固める石を虎口石という。  ,東広島市の神社参道に設置されている石造狛犬の主な形式は①尾道形(玉に足を掛けているタイプ)と②出雲形(,   最古の紀年銘 宗像大社石造狛犬 福岡県 建仁元年(1201)  (注) 尾道形、出雲形,石塔では塔自体を大日如来とするので他の四如来を金剛四仏という。
東広島市の石造物 (き)

東広島市の石造物 / かつて木原家墓地内には礼拝堂(宗清堂)があり、その遺物、扁額、石仏、鰐口、建築組み物は旧木家家住宅内に,扁額の銘は(表)願王殿 (裏)奉掛額 宝暦十庚辰(1760)三月吉日 願主 木原保満  ,芸南屈指の豪商として栄え、各地の寺社に多くの石造物を寄進している。,切妻造、平入、本瓦葺、間口六間半、奥行五間、延床面積218㎡   境界石 きょうかいせき, 国境、郡境、村境を示す目印の石。
東広島市の石造物 (その他)

東広島市の石造物 / その他 新宮神社盃状穴 しんぐうじんじゃはいじょうけつ   (神武天皇腰掛岩を参照のこと)
東広島市の石造物 (調査に関わるエピソード       船越雄治)

東広島市の石造物 / 調査に関わるエピソード       船越雄治 石造物研究会は、約8年前に発足したが、研究テーマが超マニアック,こうして目指した石造物に出会えた時は我々にとっては至福の瞬間であった。,「他の類似の冊子とは一線を画するものを作ろう」との提案を受けて寺社の石造物を全て計測する作業からスタート,晴天、斜め上から射す順光線、正対位置からの撮影を心掛けた。  ,そのため、ひとつの石造物を撮影するため2~3度通うことは当たり前であった。
東広島市の石造物 (蔵田備中守供養塔 くらたびっちゅうのかみくようとう)

東広島市の石造物 / この碑は元は西条東の田の溝に掛かって橋に使われていたがここ平泰寺へ移された。        
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