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東広島市の石造物
(板碑)
板
碑
自然石
板
碑
整形
板
碑
/
板
碑
東広島市の石造物
(7 板碑 いたび)
名称の由来 江戸時代に緑泥片岩で
板
状に整形した石
碑
に命名された。 ,このようにして
板
碑
は石墓に変遷した。 ,形式 整形
板
碑
、自然石
板
碑
。 ,自然石
板
碑
は山形、額部がない自然石に種子、文字を刻む。 ,起源 平安時代末期の長崎の自然石
板
碑
を最古として、鎌倉前期には関東では主として緑泥片岩の
板
を整形して
板
碑
/ 7
板
碑
いたび
東広島市の石造物
(板碑(いたび))
板
碑
(いたび) 前項で述べたように広島県は全国的に
板
碑
が少ない県であるが、その中にあって東広島市は県内,の
板
碑
総数約45基の内の25基約60%が所在する。 ,
板
碑
の形式は自然石
板
碑
が非常に多い。 /
板
碑
(いたび)
東広島市の石造物
(板碑(いたび))
板
碑
(いたび)
板
碑
については全国の状況がよく調査、報告がなされているので、その内容を要約する。,広島県の
板
碑
の初見年次は1290年代であり、最も早い長崎県(1190年)に比べると約100年下る。,中国地方は全国総数(5万2千)の内の0.3%とされ(文献6)全国的に非常に少なく、従って広島県も全国的に
板
碑
/
板
碑
(いたび)
東広島市の石造物
(寺家大日種子板碑 じけだいにちしゅじいたび)
寺家大日種子
板
碑
じけだいにちしゅじいたび 所在地 東広島市西条町寺家 年 代 室町時代 文明九年,(1477) 形 状 花崗岩 高さ一七七cm ヨコ五六cm タテ一五cm 形 式 自然石
板
碑
種,ア・胎蔵界大日如来 銘 文 (部分)大道目前 文明九酉秊春好日 南録叟 理延 概 要 本
板
碑
,
板
碑
は縦に割れ更に横に割れている。 ,[寺家大日種子
板
碑
] / 寺家大日種子
板
碑
じけだいにちしゅじいたび
東広島市の石造物
(森実二尊種子板碑 もりざねにそんしゅじいたび)
森実二尊種子
板
碑
もりざねにそんしゅじいたび 所在地 東広島市高屋町杵原 年 代 室町時代 亨禄三年,(1530) 形 状 高さ二二四cm ヨコ二六七cm タテ二五五cm 形 式 自然石
板
碑
種 子,(芸藩通志絵図) 巨石であるが
板
碑
の要件を備えているので
板
碑
に分類される。 ,本遺物の同類に尾道・浄土寺奥の院阿弥陀三尊
板
碑
がある。 [森実二尊種子
板
碑
] / 森実二尊種子
板
碑
もりざねにそんしゅじいたび
東広島市の石造物
(青谷地蔵図像板碑 あおだにじぞうずぞういたび)
青谷地蔵図像
板
碑
あおだにじぞうずぞういたび 所在地 東広島市西条町寺家 年 代 不明 形 状 ,花崗岩 高さ一〇七cm ヨコ五〇cm タテ三三cm 形 式 自然石
板
碑
種 子 カ・地蔵菩薩 尊, 像 地蔵菩薩 銘 文 無銘 概 要 本
板
碑
は地蔵菩薩の種子と線刻と薄肉彫りの図像(画像)の双方をもつ,
板
碑
である。,[青谷地蔵図像
板
碑
] / 青谷地蔵図像
板
碑
あおだにじぞうずぞういたび
東広島市の石造物
(廃專光寺文明板碑 はいせんこうじぶんめいいたび)
廃專光寺文明
板
碑
はいせんこうじぶんめいいたび 所在地 東広島市河内町宇山 年 代 文明十二年(1480,) 形 状 花崗岩 高さ一二九cm ヨコ三九cm タテ二三cm 形 式 自然石
板
碑
種 子 バン・,(羅漢古
碑
、青谷
板
碑
に次ぐものである。)
板
碑
の頂部は平らで山形をなしていない。,[廃專光寺文明
板
碑
] / 廃專光寺文明
板
碑
はいせんこうじぶんめいいたび
東広島市の石造物
(田房阿弥陀種子板碑 たぶさあみだしゅじいたび)
田房阿弥陀種子
板
碑
たぶさあみだしゅじいたび 所在地 東広島市八本松町篠 年 代 室町時代 形 ,状 花崗岩 高さ九五cm ヨコ四九cm タテ三五cm 形 式 自然石
板
碑
種 子 キリーク・阿弥陀如来,五輪塔は墓石として用いられるのでこの
板
碑
は墓石を目的としたものと考えられている。,[田房阿弥陀種子
板
碑
] / 田房阿弥陀種子
板
碑
たぶさあみだしゅじいたび
東広島市の石造物
(青谷阿弥陀種子板碑 あおだにあみだしゅじいたび)
青谷阿弥陀種子
板
碑
あおだにあみだしゅじいたび 所在地 東広島市西条町寺家 年 代 室町時代 形, 状 花崗岩 高さ七九cm ヨコ六一cm タテ一三cm 形 式 自然石
板
碑
種 子 キリーク・阿弥陀如来,銘 文 陀智印達磨佛(以下略) 太陽 南无(以下略) 概 要 種子は円相の周囲に火炎があり火炎
板
碑
,銘文の「太陽」は羅漢古
碑
の銘文にもあり注目されている。,羅漢古
碑
の紀年銘 長享三年(1489)と同時期とされている。 [青谷阿弥陀種子
板
碑
] / 青谷阿弥陀種子
板
碑
あおだにあみだしゅじいたび
東広島市の石造物
(寺家阿弥陀種子板碑 じけあみだしゅじいたび)
寺家阿弥陀種子
板
碑
じけあみだしゅじいたび 所在地 東広島市西条町寺家 年 代 室町時代 文明十三年,(1481) 形 状 安山岩 高さ一六六cm ヨコ四五cm タテ一六cm 形 式 自然石
板
碑
種,全景 [寺家阿弥陀種子
板
碑
] / 寺家阿弥陀種子
板
碑
じけあみだしゅじいたび
東広島市の石造物
(小越四面種子板碑 おごししめんしゅじいたび)
小越四面種子
板
碑
おごししめんしゅじいたび 所在地 東広島市八本松町正力 年 代 室町時代 形 ,状 花崗岩 高さ九二cm ヨコ三八cm タテ二六cm 形 式 自然石
板
碑
種 子 (正面)主尊ウーン・,[小越四面種子
板
碑
] / 小越四面種子
板
碑
おごししめんしゅじいたび
東広島市の石造物
(西山地蔵種子板碑(4) にしやまじぞうしゅじいたび)
西山地蔵種子
板
碑
(4) にしやまじぞうしゅじいたび 所在地 東広島市高屋町稲木 年 代 南北朝時代,形 状 花崗岩 高さ一一八cm ヨコ五一cm タテ三二cm 形 式 自然石
板
碑
種 子 カ・地蔵菩薩,銘 文 無銘 概 要 本
板
碑
の隣に西山大日種子
板
碑
(3)が立つ。 ,(行賢遺跡 参照のこと) [西山地蔵種子
板
碑
(4)] / 西山地蔵種子
板
碑
(4) にしやまじぞうしゅじいたび
東広島市の石造物
(志和内阿弥陀種子板碑 しわうちあみだしゅじいたび)
志和内阿弥陀種子
板
碑
しわうちあみだしゅじいたび 在所地 東広島市志和町内 年 代 安土桃山時代 ,天正四年(1576) 形 状 花崗岩 高さ五七cm ヨコ三七cm タテ一二cm 形 式 自然石
板
碑
,といえば戦国時代末期で、内村とよばれたこの地は石井氏の支配地であり、その石井氏ゆかりの女性のための供養
碑
で,
板
碑
が墓石に変遷する過渡期のものと考えられる。,[志和内阿弥陀種子
板
碑
] / 志和内阿弥陀種子
板
碑
しわうちあみだしゅじいたび
東広島市の石造物
(平泰寺阿弥陀種子板碑 へいたいじあみだしゅじいたび)
平泰寺阿弥陀種子
板
碑
へいたいじあみだしゅじいたび 所在地 東広島市西条町寺家 年 代 南北朝時代, 暦応二年(1339) 形 状 花崗岩 高さ九八cm ヨコ三〇cm タテ一五cm 形 式 整形
板
碑
,
板
碑
の形式は当地では数少ない整形
板
碑
で、頭部山形、二条線、額部を備えている。 ,(用語解説 平泰寺 参照のこと) [平泰寺阿弥陀種子
板
碑
] / 平泰寺阿弥陀種子
板
碑
へいたいじあみだしゅじいたび
東広島市の石造物
(西山不動種子板碑(5) にしやまふどうしゅじいたび)
西山不動種子
板
碑
(5) にしやまふどうしゅじいたび 所在地 東広島市高屋町稲木 年 代 南北朝時代,形 状 花崗岩 高さ八二cm ヨコ三五cm タテ一八cm 形 式 自然石
板
碑
種 子 カーン・,不動明王 銘 文 無銘 概 要 行賢に関連した
板
碑
とする説がある。,[西山不動種子
板
碑
(5)] / 西山不動種子
板
碑
(5) にしやまふどうしゅじいたび
東広島市の石造物
(大畠大日種子板碑 おおばたけだいにちしゅじいたび)
大畠大日種子
板
碑
おおばたけだいにちしゅじいたび 所在地 東広島市高屋町大畠 年 代 室町時代 享禄五年,(1532) 形 状 花崗岩 高さ六四cm ヨコ七六cm タテ一三cm 形 式 自然石
板
碑
種 ,子 円相内にバン・金剛界大日如来 銘 文 享禄五壬辰 浄裕 妙珎 妙林 双霊 概 要 この
碑
は金剛界大日如来,[大畠大日種子
板
碑
] / 大畠大日種子
板
碑
おおばたけだいにちしゅじいたび
東広島市の石造物
(西山大日種子板碑(3) にしやまだいにちしゅじいたび)
西山大日種子
板
碑
(3) にしやまだいにちしゅじいたび 所在地 東広島市高屋町稲木 年 代 南北朝時代,暦応四年(1341) 形 状 花崗岩 高さ一三一cm ヨコ六〇cm タテ二二cm 形 式 自然石
板
碑
,右側が本
板
碑
。左側は西山地蔵種子
板
碑
(4)である。 [西山大日種子
板
碑
(3)] / 西山大日種子
板
碑
(3) にしやまだいにちしゅじいたび
東広島市の石造物
(西山地蔵種子板碑(8) にしやまじぞうしゅじいたび)
西山地蔵種子
板
碑
(8) にしやまじぞうしゅじいたび 所在地 東広島市高屋町稲木 年 代 南北朝時代,形 状 花崗岩 高さ一〇九cm ヨコ三五cm タテ三〇cm 形 式 自然石
板
碑
種 子 カ・地蔵菩薩,この
板
碑
の造立にも地蔵菩薩の救いを求める一般庶民の参加があったかもしれない。,[西山地蔵種子
板
碑
(8)] / 西山地蔵種子
板
碑
(8) にしやまじぞうしゅじいたび
東広島市の石造物
(薬師丸阿弥陀種子板碑 やくしまるあみだしゅじいたび)
薬師丸阿弥陀種子
板
碑
やくしまるあみだしゅじいたび 所在地 東広島市高屋町桧山 形 状 安山岩 高,八四cm ヨコ二五cm タテ一二cm 年 代 安土桃山時代 天正十五年(1587) 形 式 自然石
板
碑
,
板
碑
が墓標に変化する過渡期の遺物と考えられている。 [薬師丸阿弥陀種子
板
碑
] / 薬師丸阿弥陀種子
板
碑
やくしまるあみだしゅじいたび
東広島市の石造物
(西山大日種子板碑(7) にしやまだいにちしゅじいたび)
西山大日種子
板
碑
(7) にしやまだいにちしゅじいたび 所在地 東広島市高屋町稲木 年 代 南北朝時代,形 状 花崗岩 高さ六四cm ヨコ二四cm タテ一三cm 形 式 自然石
板
碑
種 子 アーンク・,胎蔵界大日如来 銘 文 無銘 概 要 密教系の信仰で、西山にある他の
板
碑
と関連するものであろう。,[西山大日種子
板
碑
(7)] / 西山大日種子
板
碑
(7) にしやまだいにちしゅじいたび
東広島市の石造物
(西山三尊種子板碑(6) にしやまさんぞんしゅじいたび)
西山三尊種子
板
碑
(6) にしやまさんぞんしゅじいたび 所在地 東広島市高屋町稲木 年 代 南北朝時代,形 状 花崗岩 高さ六八cm ヨコ三〇cm タテ二五cm 形 式 自然石
板
碑
種 子 ア・胎蔵界大日如来,阿閦如来 銘 文 無銘 概 要 珍らしい三尊種子の組み合わせであるが密教系の信仰で、西山にある他の
板
碑
,[西山三尊種子
板
碑
(6)] / 西山三尊種子
板
碑
(6) にしやまさんぞんしゅじいたび
東広島市の石造物
(西山大日種子板碑(2) にしやまだいにちしゅじいたび)
西山大日種子
板
碑
(2) にしやまだいにちしゅじいたび 所在地 東広島市高屋町稲木 年 代 南北朝時代, 暦応三年(1340) 形 状 花崗岩 高さ九六cm ヨコ八二cm タテ一四cm 形 式 自然石
板
碑
,(写真、形状および銘文は播磨定男編著 「中国地方の
板
碑
」による) [西山大日種子
板
碑
(2)] / 西山大日種子
板
碑
(2) にしやまだいにちしゅじいたび
東広島市の石造物
(西山大日種子板碑(1) にしやまだいにちしゅじいたび)
西山大日種子
板
碑
(1) にしやまだいにちしゅじいたび 所在地 東広島市高屋町稲木 年 代 南北朝時代, 建武五年(1338) 形 状 花崗岩 高さ八四cm ヨコ二〇cm タテ二〇cm 形 式 自然石
板
碑
,[西山大日種子
板
碑
(1)] / 西山大日種子
板
碑
(1) にしやまだいにちしゅじいたび
東広島市の石造物
(大畠不動明王種子板碑 おおばたけふどうみょうおうしゅじいたび)
大畠不動明王種子
板
碑
おおばたけふどうみょうおうしゅじいたび 所在地 東広島市高屋町大畠 形 状 ,一四八cm ヨコ五八cm タテ二三cm 年 代 南北朝時代 暦応三年(1340) 形 式 自然石
板
碑
,種 子 カンマーン・不動明王 銘 文 暦応三庚辰 行賢 概 要 民家邸内に所在し
板
碑
は頂部が,本
板
碑
の左側にバン・金剛界大日如来の種子を刻した
板
碑
の残欠が並置されている。,残欠は
板
碑
の上部の部分で高さ六三cmである。 [大畠不動明王種子
板
碑
] / 大畠不動明王種子
板
碑
おおばたけふどうみょうおうしゅじいたび
東広島市の石造物
(法華寺跡大日種子板碑(1) ほっけじあとだいにちしゅじいたび)
法華寺跡大日種子
板
碑
(1) ほっけじあとだいにちしゅじいたび 所在地 東広島市西条町寺家 年 代 ,南北朝時代 形 状 花崗岩 高さ七九cm ヨコ三〇cm タテ一六cm 形 式 整形
板
碑
種 子 ,
板
碑
の形式は整形
板
碑
で、頭部山形、二条線、額部を備えている。,[法華寺跡大日種子
板
碑
(1)] / 法華寺跡大日種子
板
碑
(1) ほっけじあとだいにちしゅじいたび
東広島市の石造物
(法華寺跡阿弥陀種子板碑(2) ほっけじあとあみだしゅじいたび)
法華寺跡阿弥陀種子
板
碑
(2) ほっけじあとあみだしゅじいたび 所在地 東広島市西条町寺家 年 代 ,南北朝時代 形 状 花崗岩 高さ八九cm ヨコ二七cm タテ一六cm 形 式 整形
板
碑
種 子 ,
板
碑
の形式は整形
板
碑
で、頭部山形、二条線、額部を備えている。,[法華寺跡阿弥陀種子
板
碑
(2)] / 法華寺跡阿弥陀種子
板
碑
(2) ほっけじあとあみだしゅじいたび
東広島市の石造物
(友広阿弥陀三尊種子板碑 ともひろあみださんぞんしゅじいたび)
友広阿弥陀三尊種子
板
碑
ともひろあみださんぞんしゅじいたび 所在地 東広島市高屋町貞重 年 代 南北朝時代,応安三年(1370) 形 状 花崗岩 高さ一六四cm ヨコ七三cm タテ二七cm 形 式 自然石
板
碑
,銘 文 応安三年庚戌二月日 概 要 民家の裏にあり、自然石ながら頂部は山形の形状をしていて大型の
板
碑
,[友広阿弥陀三尊種子
板
碑
] / 友広阿弥陀三尊種子
板
碑
ともひろあみださんぞんしゅじいたび
東広島市の石造物
(小田八幡神社種子板碑(2) おだはちまんじんじゃしゅじいたび)
小田八幡神社種子
板
碑
(2) おだはちまんじんじゃしゅじいたび (市重文) 所在地 東広島市河内町小田,永禄十三年(1570) 形 状 花崗岩 高さ一七四cm ヨコ四九cm タテ二四cm 形 式 自然石
板
碑
, 法華妙典 永禄十三庚午十月珠日□ 敬白 二千部供養 概 要 小田城主景範が建立した逆修
板
碑
,(東広島市教委の呼称は小田八幡神社
板
碑
) 全景 [小田八幡神社種子
板
碑
(2)] / 小田八幡神社種子
板
碑
(2) おだはちまんじんじゃしゅじいたび
東広島市の石造物
(竹林寺阿弥陀名号板碑 ちくりんじあみだみょうごういたび)
竹林寺阿弥陀名号
板
碑
ちくりんじあみだみょうごういたび (市重文) 所在地 東広島市河内町入野,永正十一年(1514) 形 状 花崗岩 高さ二三五cm ヨコ九三cm タテ二五cm 形 式 自然石
板
碑
,(東広島市教委の呼称は竹林寺石造物) [竹林寺阿弥陀名号
板
碑
] / 竹林寺阿弥陀名号
板
碑
ちくりんじあみだみょうごういたび
東広島市の石造物
(西福寺跡大日種子板碑(1) さいふくじあとだいにちしゅじいたび)
西福寺跡大日種子
板
碑
(1) さいふくじあとだいにちしゅじいたび (県重文) 所在地 東広島市高屋町稲木,正中二年(1325) 形 状 花崗岩 高さ一四八cm ヨコ五二cm タテ三〇cm 形 式 自然石
板
碑
,
板
碑
の右側に割石のノミの跡が残っている。 ,(用語解説 行賢 参照のこと) (東広島市教委の呼称は石造供養
碑
) [西福寺跡大日種子
板
碑
( / 西福寺跡大日種子
板
碑
(1) さいふくじあとだいにちしゅじいたび
東広島市の石造物
(西福寺跡大日種子板碑(2) さいふくじあとだいにちしゅじいたび)
西福寺跡大日種子
板
碑
(2) さいふくじあとだいにちしゅじいたび (県重文) 所在地 東広島市高屋町稲木,年 代 鎌倉時代 形 状 花崗岩 高さ一五七cm ヨコ五二cm タテ三三cm 形 式 自然石
板
碑
,アーンク・胎蔵界大日如来 銘 文 今此三界 皆是我有 其中衆生 悉是吾子 概 要 前述(1)
板
碑
,(用語解説 偈頌 参照のこと) (東広島市教委の呼称は石造供養
碑
) 全景 [西福寺跡大日種子
板
碑
/ 西福寺跡大日種子
板
碑
(2) さいふくじあとだいにちしゅじいたび
東広島市の石造物
(岩ノ前遺跡地蔵種子板碑(1) いわのまえいせきじぞうしゅじいたび)
岩ノ前遺跡地蔵種子
板
碑
(1) いわのまえいせきじぞうしゅじいたび 所在地 東広島市八本松南(八本松歴史民俗資料館,) 年 代 室町時代 形 状 花崗岩 高さ七六cm ヨコ四〇cm タテ二八cm 形 式 自然石
板
碑
,上部に三日月状の宝珠、種子を囲む光背、蓮座にも宝珠を刻す装飾性豊かな
板
碑
である。,[岩ノ前遺跡地蔵種子
板
碑
(1)] / 岩ノ前遺跡地蔵種子
板
碑
(1) いわのまえいせきじぞうしゅじいたび
東広島市の石造物
(西光寺跡阿弥陀三尊種子板碑 さいこうじあとあみださんぞんしゅじいたび)
西光寺跡阿弥陀三尊種子
板
碑
さいこうじあとあみださんぞんしゅじいたび 所在地 東広島市高屋町高屋堀,年 代 室町時代 形 状 花崗岩 高さ七〇cm ヨコ三九cm タテ一七cm 形 式 自然石
板
碑
,種 子 キリーク・阿弥陀如来、サ・観音菩薩、サク・勢至菩薩 銘 文 無銘 概 要
板
碑
の頂部は平らで,[西光寺跡阿弥陀三尊種子
板
碑
] / 西光寺跡阿弥陀三尊種子
板
碑
さいこうじあとあみださんぞんしゅじいたび
東広島市の石造物
(小田八幡神社阿弥陀種子板碑(1) おだはちまんじんじゃあみだしゅじいたび)
小田八幡神社阿弥陀種子
板
碑
(1) おだはちまんじんじゃあみだしゅじいたび (市重文) 所在地 東広島市河内町小田,文明十一年(1479) 形 状 花崗岩 高さ一一二cm ヨコ四七cm タテ三一cm 形 式 自然石
板
碑
,文 憶五劫古 当八幡峯 風吹神木 弾無絃琴 文明十一年己亥三月十六日 真□ 概 要 この
板
碑
,(東広島市教委の呼称は小田八幡神社
板
碑
) [小田八幡神社阿弥陀種子
板
碑
(1)] / 小田八幡神社阿弥陀種子
板
碑
(1) おだはちまんじんじゃあみだしゅじいたび
東広島市の石造物
(岩ノ前遺跡大日如来種子板碑(2) いわのまえいせきだいにちにょらいしゅじいたび)
岩ノ前遺跡大日如来種子
板
碑
(2) いわのまえいせきだいにちにょらいしゅじいたび 所在地 東広島市八本松南,) 年 代 室町時代 形 状 花崗岩 高さ九五cm ヨコ六〇cm タテ一五cm 形 式 自然石
板
碑
,[岩ノ前遺跡大日如来種子
板
碑
(2)] / 岩ノ前遺跡大日如来種子
板
碑
(2) いわのまえいせきだいにちにょらいしゅじいたび
東広島市の石造物
(解剖碑 かいぼうひ)
解剖
碑
かいぼうひ 所在地 東広島市高屋町稲木(西福寺内) 年 代 明治二十二年(1889) 形,解剖
碑
は医学の向上に貢献した記念
碑
である。 ,平成十六年に東広島地区医師会が三十周年記念行事として解剖
碑
の解説
板
を設置した。,全 景 [解剖
碑
] / 解剖
碑
かいぼうひ
東広島市の石造物
(壬生忠見歌碑 みぶただみかひ)
壬生忠見歌
碑
みぶただみかひ 所在地 東広島市高屋町杵原(楽市八幡神社の北) 年 代 平成二十五年, 壬生忠見 芸藩通志より 地主 楽市 守 発起人 梅谷秀夫 施工 有石福一
板
谷, 巌 平成二十五年八月吉日 概 要 平安中期の歌人で三十六歌仙の一人壬生忠見の歌
碑
である。,三十六歌仙の歌
碑
は東広島市で唯一のもので貴重である。 全 景 [壬生忠見歌
碑
] / 壬生忠見歌
碑
みぶただみかひ
東広島市の石造物
(木谷電燈設置記念碑 きだにでんとうせっちきねんひ)
木谷電燈設置記念
碑
きだにでんとうせっちきねんひ 所在地 東広島市安芸津町木谷 年 代 大正十三年,(1924) 形 状 花崗岩 高さ一六四cm ヨコ三九cm タテ一五cm(
板
状) 銘 文 電燈設置記念,であったが、電燈に切り替わって何倍もの明るさになり、人々は歓喜したことであろう、その喜びが伝わって来る記念
碑
である,(用語解説 電灯の普及 参照のこと) [木谷電燈設置記念
碑
] / 木谷電燈設置記念
碑
きだにでんとうせっちきねんひ
東広島市の石造物
(その他)
その他 西福寺跡大日種子
板
碑
(1) さいふくじあとだいにちしゅじいたび 西福寺跡大日種子
板
碑
(2), さいふくじあとだいにちしゅじいたび 西山大日種子
板
碑
(2) にしやまだいにちしゅじいたび 西山大日種子
板
碑
,(3) にしやまだいにちしゅじいたび 大畠不動明王種子
板
碑
おおばたけふどうみょうおうしゅじいたび, (行賢遺跡を参照のこと) 森実二尊種子
板
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もりざねにそんしゅじいたび 竹林寺阿弥陀名号
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東広島市の石造物
([遺物編目次])
岩ノ前遺跡大日如来種子
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(2)…11 平泰寺阿弥陀種子
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……………11 法華寺跡大日種子
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, 寺家大日種子
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…………………12 青谷阿弥陀種子
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………………12 青谷地蔵図像
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,13 西山不動種子
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(5)………………13 西山三尊種子
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(6)………………13 西山大日種子
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,14 大畠大日種子
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…………………14 西光寺跡阿弥陀三尊種子
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……15 友広阿弥陀三尊種子
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, 西山大日種子
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(2)………………25 西山大日種子
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(3)………………26 大畠不動明王種子
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東広島市の石造物
([参考文献])
日本石仏事典 昭61 雄山閣 4 蔵橋純海夫 広島県の古石塔 2007 5 播磨 定男 中国地方の
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, 昭62 山陽新聞社 6 播磨 定男 中世の
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文化 1989 東京美術 7 吉川 功 石造宝篋印塔,(1)(2) 16 森 納 塞神考 平成2 17 宮島町 宮島町史 石造物編 18 坂詰秀一
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東広島市の石造物
(平泰寺無縫塔 へいたいじむほうとう)
境内に暦応の年号のある整形
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、また、蔵田房信の位牌、供養塔がある。 ,(平泰寺一石五輪塔および 平泰寺阿弥陀種子
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を参照のこと) [平泰寺無縫塔]
東広島市の石造物
(高屋夫婦古墓 たかやめおとこぼ)
花崗岩 高さ一八二cm ヨコ二〇cm タテ二二cm 銘 文 元和元乙卯十月八日 概 要 頂部が山形の
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,は墓
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に変遷する。
東広島市の石造物
(内容)
内容 1層 塔 2五輪塔 3一石五輪塔 4宝篋印塔 5無縫塔 6石 幢 7
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東広島市の石造物
(へ)
境内墓地には貴重な
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、五輪塔、一石五輪塔が造立されている。
東広島市の石造物
(西福寺跡地蔵石仏 さいふくじあとじぞうせきぶつ)
cm ヨコ五四cm タテ二四cm 形 式 半肉彫石像 銘 文 暦応四年 概 要 地蔵菩薩立像は
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『万葉火』を灯す町
(「万葉の里」の万葉とは?)
【祝詞山八幡神社(のりとやまはちまんじんじゃ)の境内(けいだい)にある「万葉の里」案内
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(あんないばん,光村の国語 はじめて出会う古典作品集②(2010)光村教育図書 【祝詞山八幡神社の万葉歌
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(
わたしたちの東広島市(中国語)
((1)中之岭隧道与冲田嘉市)
有的地方还留下了传颂这些工作的石
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和故事等。,柏原的人们非常感谢冲田先生,后来修建了石
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,还将冲田先生的功绩咏进了盂兰盆歌中,传颂至今。,1930 昭和5 从
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城等地来了4名石匠。 开始水渠工程。 使用炸药,开始施工。,(66岁) 1950 昭和25 修建“冲田嘉市翁之
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”。 ,1975 昭和50 修建“中之岭隧道之
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”。
わたしたちの東広島市(日本語)
((1)中の峠ずい道と沖田嘉市)
そのはたらきを伝える石
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(せきひ)や話などが残っている地域もあります。 ,矢印が沖田さん (開通当時の写真) 村から沖田さんに送られた感謝状 沖田嘉市の石
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郷田盆,1930 昭和5
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城などから4人の石工が来る。 水路工事にとりかかる。,(66歳) 1950 昭和25 「沖田嘉市翁の
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」建てられる。 ,1975 昭和50 「中の峠ずい道の
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」建てられる。
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