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東広島市の石造物
(福成寺町石 ふくじょうじちょうせき)
東広島市の
石
造物 / 福成寺
町
石
ふくじょうじちょうせき 所在地 東広島市西条
町
下三永 年 代 江戸時代 形 状 花崗岩, タテ二一cm 銘 文 十六丁 概 要 福成寺山裾にある広島カンツリー倶楽部西条コース場の松林に
町
石
,竹林寺の
町
石
に較べ高さも低く、梵字もない簡素なものである。 ,現代流行のスポーツ「ゴルフ」と
町
石
は妙に馴染まぬ光景に古刹の歴史を実感する
町
石
である。,山頂に立つ三角点と見まがう形状の
町
石
である。 [福成寺
町
石
] / 福成寺
町
石
ふくじょうじちょうせき
東広島市の石造物
(白鳥神社町石 しらとりじんじゃちょうせき)
東広島市の
石
造物 / 白鳥神社
町
石
しらとりじんじゃちょうせき 所在地 東広島市高屋
町
中島および郷 年 代 江戸時代,一丁
石
形 状 高さ八〇cm ヨコ二一cm タテ一二cm 廿六丁
石
形 状 高さ四五cm ヨコ一二,、標柱、
町
石
がそろっているのが特徴である。,なかでも
町
石
は一丁から二十六丁まであり他の寺社の倍以上であり、いかに遠方からの参詣者が絶えなかったかを,(用語解説
町
石
参照のこと) 一丁
石
廿六丁
石
/ 白鳥神社
町
石
しらとりじんじゃちょうせき
東広島市の石造物
(石工与七)
東広島市の
石
造物 / 資料のひとつは「四日市宿
町
並絵図」と称されるもので、幕末の頃、長州征伐に向かう幕府軍を四日市宿に泊めるに,絵図の位置を現在に当てはめると西条岡
町
通りの西条駅側の周辺に該当する。 ,
石
工・与七の
石
造物 表 (松村昌彦氏提供) 種類
石
工名 年号 場所
石
鳥居
石
工當
町
與七郎 文政元年,安政4年(1857) 御建神社 〃 當
町
石
工久保田屋与七 安政4年(1857) 御建神社
石
仏
石
工与七,嘉永4年(1851) 氏神社
石
灯籠 當
町
石
工久□田 安政4年(1857) 御建神社
石
段
石
工与七 /
石
工与七
東広島市の石造物
(竹林寺西参道町石 ちくりんじにしさんどうちょうせき)
東広島市の
石
造物 / 竹林寺西参道
町
石
ちくりんじにしさんどうちょうせき 所在地 東広島市河内
町
入野 年 代 江戸時代 ,天和三年(1683) 西参道初丁
石
形 状 花崗岩 高さ一二〇cm ヨコ二四cm タテ二二cm,九丁
石
は最高部にあり第三番梵字岩のすぐ近くにある。,表参道も西参道も丁
石
に梵字が刻んであるのが特徴である。 初丁
石
九丁
石
/ 竹林寺西参道
町
石
ちくりんじにしさんどうちょうせき
東広島市の石造物
(沓石 くついし)
東広島市の
石
造物 / 沓
石
くついし 所在地 東広島市西条上市
町
(酒泉館敷地内) 形 状 花崗岩 高さ三一cm 直径二二,このとき活躍したのが沓
石
である。,かつては
石
を円柱状に加工して使っていたが、今日ではセメント製に変わっている。 ,使われなくなった沓
石
は今では庭の踏
石
や装飾
石
として活用されている。, 庭の飾りに生き返った沓
石
タンクを支えるセメント製の沓
石
/ 沓
石
くついし
東広島市の石造物
(竹林寺表参道町石 ちくりんじおもてさんどうちょうせき)
東広島市の
石
造物 / 竹林寺表参道
町
石
ちくりんじおもてさんどうちょうせき 所在地 東広島市河内
町
入野 年 代 江戸時代,表参道初丁
石
形 状 花崗岩 高さ九四cm ヨコ四〇cm タテ三五cm 種 子 キリーク・阿弥陀如来,(用語解説 竹林寺 参照のこと) 初丁
石
九丁
石
/ 竹林寺表参道
町
石
ちくりんじおもてさんどうちょうせき
東広島市の石造物
(仙石庭園石庭 せんせきていえんせきてい)
東広島市の
石
造物 / 仙
石
庭園
石
庭 せんせきていえんせきてい 所在地 東広島市高屋
町
高屋堀 年 代 平成二十五年(2013,) 敷 地 一万八千㎡ 概 要 仙
石
庭園は、苑主が究極の美を自然
石
に見出し、
石
を主座に造営した
石
庭,池ではワニ
石
の周りに鯉が遊び、イースター島のモアイに似た
石
、自然
石
の手水鉢、将軍家の灯籠などもあり、多様,個々の
石
を楽しむもよし、組
石
の妙を楽しむもよしの
石
庭である。 ,(用語解説 仙
石
庭園 参照のこと) 砂谷
石
奥の院 / 仙
石
庭園
石
庭 せんせきていえんせきてい
東広島市の石造物
(仙石庭園石燈籠 せんせきていえんいしどうろう)
東広島市の
石
造物 / 仙
石
庭園
石
燈籠 せんせきていえんいしどうろう 所在地 東広島市高屋
町
高屋堀 年 代 江戸時代 天明六年,(1786) 形 状 大谷
石
高さ三〇〇cm ヨコ一三五cm タテ一三五cm 銘 文 奉献
石
燈籠一基,この
石
灯籠が仙
石
庭園に辿り着いた経緯は不明である。,三つ葉葵の紋 [仙
石
庭園
石
燈籠] / 仙
石
庭園
石
燈籠 せんせきていえんいしどうろう
東広島市の石造物
(御建神社の石造物)
東広島市の
石
造物 / 御建神社の
石
造物 広島県ないしは広島市の特徴である標柱、バチ形灯籠、尾道形狛犬、出雲形狛犬および性別,のある狛犬を総合して見られる神社として東広島市西条
町
の中央部に位置する御建神社がある。 ,本神社はここにあげた
石
造物以外にも多くの種類のものが所在する。 / 御建神社の
石
造物
東広島市の石造物
(石清水八幡宮石灯籠 いわしみずはちまんぐういしどうろう)
東広島市の
石
造物 /
石
清水八幡宮
石
灯籠 いわしみずはちまんぐういしどうろう 所在地 東広島市西条
町
吉行 年 代 江戸時代, 奉建立 宝暦六年丙子八月日 願主 白市住 木原保満 (2基とも同文) 概 要 神社の
石
段,[
石
清水八幡宮
石
灯籠] /
石
清水八幡宮
石
灯籠 いわしみずはちまんぐういしどうろう
東広島市の石造物
([東広島市の石造物の特徴])
東広島市の
石
造物 / [東広島市の
石
造物の特徴] 今回の我々の
石
造物の調査の中で気づいた、東広島市が広島県内の他の市
町
村に,尚すべての
石
造物を対象に、広島県内の各市
町
村のデータを比較してまとめたものではなく、一つの試みとして報告,するものであり、他市
町
村でもそのような試みがなされることを期待するものである。 / [東広島市の
石
造物の特徴]
東広島市の石造物
(光野家石祠 みつのけせきし)
東広島市の
石
造物 / 光野家
石
祠 みつのけせきし 所在地 東広島市西条本
町
年 代 江戸時代 文政四年(1821) 形,花崗岩 高さ八二cm ヨコ五二cm タテ四六cm 銘 文 此祠也原是松柱檜扉 為風雨所壊敗今茲新造
石
祠目安,概 要 この
石
祠は光野平左衛門通義が一族の繁栄を祈願して、屋敷神として祀ったものである。 ,当地近隣には四日市住
石
工與七銘のある
石
造物が数多く見られるがその中でも秀作である。 ,(用語解説 屋敷神 参照のこと) [光野家
石
祠] / 光野家
石
祠 みつのけせきし
東広島市の石造物
(溝口立石 みぞくちたていし)
東広島市の
石
造物 / 溝口立
石
みぞくちたていし 所在地 東広島市高屋
町
溝口 年 代 不明 形 状 花崗岩 高さ一〇三,cm ヨコ五五cm タテ五三cm 銘 文 無銘 概 要 芸藩通志の溝口村絵図によると地名に立
石
が見,地名「立
石
」には2種類ある。,一に古代道の標識、二に先端が尖った細長い自立した自然
石
で崇拝の対象となる。 ,[溝口立
石
] / 溝口立
石
みぞくちたていし
東広島市の石造物
(8 石灯籠 いしどうろう)
東広島市の
石
造物 / 8
石
灯籠 いしどうろう 形態 基礎、竿、中台、火袋、笠、宝珠からなる。 ,バチ形の名称は宮島
町
史による。 起源 インドでは古くから1基の燈明を仏前に捧げた。,現在見る
石
灯籠は中国に1基のみ現存する。朝鮮半島では古いものが多く存在する。 / 8
石
灯籠 いしどうろう
東広島市の石造物
(黒瀬石風呂 くろせいしぶろ)
東広島市の
石
造物 / 黒瀬
石
風呂 くろせいしぶろ 所在地 東広島市黒瀬
町
兼沢 年 代 江戸時代 明和三年(1766),
石
風呂は内部が男女の部屋に仕切られ、昭和二十年代初め頃までは焚かれていた。 ,昭和十年頃、
石
風呂を焚いていた人の話では燃料は松葉(こくば)と薪で、
石
風呂の内側が白くなるまで焼いたあと,
石
風呂に入った年は、風邪を引かないと言ううたい文句で大変人気があったという。,記念碑 [黒瀬
石
風呂] / 黒瀬
石
風呂 くろせいしぶろ
東広島市の石造物
(白市民家石垣 しらいちみんかいしがき)
東広島市の
石
造物 / 白市民家
石
垣 しらいちみんかいしがき 所在地 東広島市高屋
町
白市 年 代 不明 形 状 花崗岩 ,高さ二七七cm ヨコ三・五m 概 要 白市は江戸時代から明治時代にかけて裕福な
町
民が多く住む
町
であった,この
石
垣もそのような
町
民の屋敷の
石
垣で、精密加工した多種類の形状の
石
を隙間なく谷積みした美しい
石
垣である,全 景 全景写真の左側の
石
垣 / 白市民家
石
垣 しらいちみんかいしがき
東広島市の石造物
(三永の石門 みながのいしもん)
東広島市の
石
造物 / 三永の
石
門 みながのいしもん (登録) 所在地 東広島市西条
町
上三永 国道二号線(上り)北側 年,四七七cm 概 要 明治十年(1877)国道の改修にあたり、農業用水路路確保のため道路上に設けられた
石
造,以来「三永の
石
門」として親しまれていたが昭和五十三年(1978)国道2号線の改修工事により現在地に移築復元,かつては中国駅伝の選手が通り抜けた思い出の
石
門である。,中央上部に水路が見える [三永の
石
門] / 三永の
石
門 みながのいしもん
東広島市の石造物
(尻ノ池石橋 しりのいけいしばし)
東広島市の
石
造物 / 尻ノ池
石
橋 しりのいけいしばし 所在地 東広島市西条
町
寺家 年 代 不明 形 状 高さ三六六cm,橋幅はは二三cmの長
石
を5枚ならべて一一五cmある。 ,長さ二一五cmの
石
2枚を中央で拝み合わせて四三〇cmとし、柱も長
石
で溝川の中央にたっていて、橋の中央が,いたってシンプルな構造で最近では目にしない優美な
石
橋である。 ,[尻ノ池
石
橋] [尻ノ池
石
橋] / 尻ノ池
石
橋 しりのいけいしばし
東広島市の石造物
(杣木石仏群 そまきせきぶつぐん)
東広島市の
石
造物 / 杣木
石
仏群 そまきせきぶつぐん (市重文) 所在地 東広島市河内
町
入野 年 代 室
町
時代 応永二十五年,前列中央の
石
仏は錫杖と宝珠を持ち、紀年銘が刻まれている。 ,(東広島市教委の呼称は杣木の
石
造地蔵菩薩立像) 全景 後列 / 杣木
石
仏群 そまきせきぶつぐん
東広島市の石造物
(円通寺石庭 えんつうじせきてい)
東広島市の
石
造物 / 円通寺
石
庭 えんつうじせきてい 所在地 東広島市西条本
町
年 代 平成時代 敷 地 約三〇〇㎡,形 式
石
庭 概 要 臨済宗 善応山 福寿院 円通寺 JR西条駅から東へ歩いて白壁の酒蔵が連なり,龍安寺を模して15個の
石
で造られている。,龍安寺は
石
庭面や塀に傾斜を設けて遠近感を助長するように工夫されている。,特に裏の墓地と酒蔵煙突と
石
庭のコントラストは印象的である。 [円通寺
石
庭] / 円通寺
石
庭 えんつうじせきてい
東広島市の石造物
(浄福寺石垣 じょうふくじいしがき)
東広島市の
石
造物 / 浄福寺
石
垣 じょうふくじいしがき 所在地 東広島市安芸津
町
風早 年 代 桃山時代以降 形 状 花崗岩,第一期(桃山時代)偏平で長方形に近い
石
材を層状に横目地を通して積む手法。,第三期(明治時代)
石
材を斜めに落とし込む谷積み。構造的に堅固。,東広島市の
石
垣の変遷を知る上でも貴重な資料である。,第一期、第二期
石
垣 第三期
石
垣 / 浄福寺
石
垣 じょうふくじいしがき
東広島市の石造物
(石造狛犬(せきぞうこまいぬ))
東広島市の
石
造物 /
石
造狛犬(せきぞうこまいぬ) 東広島市内の旧四
町
に所在する
石
造狛犬の全数(対数(ついすう))の内、尾道形約,40%、出雲形約40%でありほとんどこの形式の
石
造狛犬である。 /
石
造狛犬(せきぞうこまいぬ)
東広島市の石造物
(西福寺石仏 さいふくじせきぶつ)
東広島市の
石
造物 / 西福寺
石
仏 さいふくじせきぶつ 所在地 東広島市高屋
町
白市 年 代 江戸時代 元文五年(1740),木原保満 概 要 浄土宗 白雲山 来迎院 西福寺 本尊は阿弥陀如来 西福寺は元は大福寺といい高屋
町
溝口,[西福寺
石
仏] / 西福寺
石
仏 さいふくじせきぶつ
東広島市の石造物
(荒神社石段 こうじんじゃいしだん)
東広島市の
石
造物 / 荒神社
石
段 こうじんじゃいしだん 所在地 東広島市高屋
町
白市 年 代 江戸時代 宝暦八年(1758,) 形 状 花崗岩 高さ七〇cm ヨコ一八cm タテ一八cm 銘 文 (親柱)奉寄進
石
階 宝暦八戌寅三月吉日, 願主 木原保満 概 要 かまどの神、荒神社は元御土居(平賀氏居館跡)の横に竹林で囲まれた古い社に
石
段,[荒神社
石
段] / 荒神社
石
段 こうじんじゃいしだん
東広島市の石造物
(壽延庭石庭 じゅえんていせきてい)
東広島市の
石
造物 / 壽延庭
石
庭 じゅえんていせきてい 所在地 東広島市西条上市
町
(前垣氏宅 非公開) 年 代 昭和三十年,高価な
石
は用いておらず、材質に頼らない
石
組みの面白さは重森三玲の初期の特徴であり清新さが感じられる。,後ろに旧庭にあった巨
石
や前垣家の山から掘り出した
石
で自己の表現がされている。,特に立
石
と横
石
の組み合わせは重森の出世作である京都・東福寺本坊庭園を彷彿させるものと評価が高い。 ,[壽延庭
石
庭] / 壽延庭
石
庭 じゅえんていせきてい
東広島市の石造物
(愛郷廟石鳥居 あいきょうびょういしとりい)
東広島市の
石
造物 / 愛郷廟
石
鳥居 あいきょうびょういしとりい 所在地 東広島市西条
町
西条 年 代 昭和十六年(1941,柱間二三四cm 柱径二八cm 形式 靖国形 銘文 奉納 昭和五十三年秋(1978) 施工者イノカワ
石
材,概 要 愛郷廟は昭和十六年西条
町
出身で
町
の発展のために特別に功労のあった、殉国犠牲者、自治功労者、,聖地を選び建立された
石
造の廟である。 ,(用語解説 愛郷廟、
石
鳥居 参照のこと) [愛郷廟
石
鳥居] / 愛郷廟
石
鳥居 あいきょうびょういしとりい
東広島市の石造物
(安芸国分寺石橋 あきこくぶんじいしばし)
東広島市の
石
造物 / 安芸国分寺
石
橋 あきこくぶんじいしばし 所在地 東広島市西条
町
吉行 年 代 不明 形 状 花崗岩,庭には小池があり、池に架かる
石
橋には最近では見られない6枚の
石
板を並べた形式である。,[安芸国分寺
石
橋] / 安芸国分寺
石
橋 あきこくぶんじいしばし
東広島市の石造物
(岩崎神社巨石 いわさきじんじゃきょせき)
東広島市の
石
造物 / 岩崎神社巨
石
いわさきじんじゃきょせき 所在地 東広島市西条
町
上三永 年 代 不明 形 状 花崗岩, 高さ二二〇cm ヨコ四五〇cm 概 要 本巨
石
は岩崎神社のご神体である。,自然崇拝による祭祀遺跡で巨
石
を神体としている。 ,[岩崎神社巨
石
] / 岩崎神社巨
石
いわさきじんじゃきょせき
東広島市の石造物
(賀茂・豊田郡境界石 かもとよたぐんきょうかいせき)
東広島市の
石
造物 / 賀茂・豊田郡境界
石
かもとよたぐんきょうかいせき 所在地 東広島市高屋
町
造賀と福富
町
上戸野との境界, 不明 形 状 花崗岩 高さ一四五cm ヨコ四六cm タテ二七cm 銘 文 無銘 概 要 高屋
町
造賀,と福富
町
上戸野との境界の少し高い所に郡の境界
石
といわれる
石
が立っている。 ,小高い丘に立つありふれた自然
石
であり、
石
に文字が刻んであるわけではないし、近くに案内板が立っているわけでもない,[賀茂・豊田郡境界
石
] / 賀茂・豊田郡境界
石
かもとよたぐんきょうかいせき
東広島市の石造物
(土宮神社石段 つちのみやじんじゃいしだん)
東広島市の
石
造物 / 土宮神社
石
段 つちのみやじんじゃいしだん 所在地 東広島市高屋
町
白市 年 代 江戸時代 寛延四年(, 状 花崗岩 高さ八八cm ヨコ二一cm タテ二一cm 一六段 三七八cm 銘 文 (親柱)奉寄進
石
階,坂の街白市は広場が少なく神社境内は子供達の遊び場であり、
町
民の憩いの場である。,[土宮神社
石
段] / 土宮神社
石
段 つちのみやじんじゃいしだん
東広島市の石造物
(広島県中央石 ひろしまけんちゅうおうせき)
東広島市の
石
造物 / 広島県中央
石
ひろしまけんちゅうおうせき 所在地 東広島市福富
町
久芳 年 代 平成八年(1996), 花崗岩 高さ二二〇cm ヨコ一〇〇cm タテ三五cm 球七〇cm 銘 文 無銘 概 要 県央の
町
福富
町
,説明板 広島県中央
石
/ 広島県中央
石
ひろしまけんちゅうおうせき
東広島市の石造物
(御建神社石鳥居 みたてじんじゃいしとりい)
東広島市の
石
造物 / 御建神社
石
鳥居 みたてじんじゃいしとりい 所在地 東広島市西条
町
西条 年 代 大正三年(1914),柱径五五cm 銘 文 奉献 大正三年六月吉日 寄進者 吉井常夫(他) 概 要 東広島市で最大規模の
石
鳥居,御建神社には大型の標柱、灯籠、狛犬、記念碑や多くの
石
造物が境内にある。,この神社にふさわしい
石
鳥居である。 ,(用語解説 御建神社 参照のこと) [御建神社
石
鳥居] / 御建神社
石
鳥居 みたてじんじゃいしとりい
東広島市の石造物
(酒蔵通り掛石(1) さかぐらどおりかけいし)
東広島市の
石
造物 / 酒蔵通り掛
石
(1) さかぐらどおりかけいし 所在地 東広島市西条本
町
年 代 不明 形 状 花崗岩, 高さ五〇cm ヨコ三五cm タテ一五cm 概 要 本遺物は重りの
石
を縄で縛って吊るす際に
石
が滑って,落ちないように、
石
の中ほどに切り込みが彫られている。,(用語解説 掛
石
参照のこと) [酒蔵通り掛
石
(1)] / 酒蔵通り掛
石
(1) さかぐらどおりかけいし
東広島市の石造物
(酒蔵通り掛石(3) さかぐらどおりかけいし)
東広島市の
石
造物 / 酒蔵通り掛
石
(3) さかぐらどおりかけいし 所在地 東広島市西条本
町
年 代 不明 形 状 花崗岩,〇cm ヨコ三五cm タテ一五cm 概 要 白牡丹延宝蔵の南面、酒蔵通りに面した蔵の軒下に数個の掛
石
を,
石
は全て自然
石
である。 ,(用語解説 掛
石
参照のこと) 延宝蔵全景 [酒蔵通り掛
石
(3)] / 酒蔵通り掛
石
(3) さかぐらどおりかけいし
東広島市の石造物
(酒蔵通り掛石(2) さかぐらどおりかけいし)
東広島市の
石
造物 / 酒蔵通り掛
石
(2) さかぐらどおりかけいし 所在地 東広島市西条上市
町
年 代 不明 形 状 花崗閃緑岩, 高さ五〇cm ヨコ三五cm タテ一五cm 概 要 本遺物は重りの
石
を吊すために縄ではなく、太い針金,そのため
石
に穴を彫る形式であり、酒蔵通り掛
石
(1)に較べて時代が新しいと考えられる。 ,(用語解説 掛
石
参照のこと) [酒蔵通り掛
石
(2)] / 酒蔵通り掛
石
(2) さかぐらどおりかけいし
東広島市の石造物
(今岡神社石段 いまおかじんじゃいしだん)
東広島市の
石
造物 / 今岡神社
石
段 いまおかじんじゃいしだん 所在地 東広島市志和
町
内 年 代 不明 形 状 花崗岩 ,(一段の形状)高さ二二cm ヨコ二七六cm タテ二五cm 概 要 市内で最も段数が多い
石
段。,[今岡神社
石
段] / 今岡神社
石
段 いまおかじんじゃいしだん
東広島市の石造物
(頭崎八十八石仏 かしらざきはちじゅうはちせきぶつ)
東広島市の
石
造物 / 頭崎八十八
石
仏 かしらざきはちじゅうはちせきぶつ 所在地 東広島市局屋
町
貞重 年 代 大正時代,第一番
石
仏 形 状 花崗岩 高さ七〇cm ヨコ三六cm タテ一六cm 尊 像 釈迦如来像 ,ヨコ三五cm タテ一二cm 尊 像 薬師如来像 銘 文 八十八番 施主 竹原
町
吉井半三郎正友,しかし頭崎八十八
石
仏は極楽寺周辺の狭い範囲に集積しているので一時間以内に全てを巡拝できる。,(用語解説 八十八
石
仏 参照のこと) 第一番
石
仏 第八十八番
石
仏 / 頭崎八十八
石
仏 かしらざきはちじゅうはちせきぶつ
東広島市の石造物
(稲荷神社石鳥居 いなりじんじゃいしどりい)
東広島市の
石
造物 / 稲荷神社
石
鳥居 いなりじんじゃいしどりい 所在地 呉市仁方
町
年 代 江戸時代 宝暦十二年(1762,諸願成就 宝暦十二壬午歳五月吉祥日 願主 木原保満 同 元章 備後尾道住
石
工藤原氏道種,[稲荷神社
石
鳥居] / 稲荷神社
石
鳥居 いなりじんじゃいしどりい
東広島市の石造物
(西品寺石灯籠 さいほんじいしどうろう)
東広島市の
石
造物 / 西品寺
石
灯籠 さいほんじいしどうろう 所在地 東広島市高屋
町
中島 年 代 明治二十九年(1896,[西品寺
石
灯籠] / 西品寺
石
灯籠 さいほんじいしどうろう
東広島市の石造物
(白市稲荷神社力石 しらいちいなりじんじゃちからいし)
東広島市の
石
造物 / 白市稲荷神社力
石
しらいちいなりじんじゃちからいし 所在地 東広島市高屋
町
白市 年 代 江戸時代,概 要 江戸時代、神社の例祭での余興に力自慢の若者が力
石
を持ち上げてその腕力を競った。,差し
石
ともいう。 ,港
町
では荷の運搬が盛んで力自慢の男が多く、神社、仏閣に「奉納、力
石
、何貫、紀年銘」が刻まれた
石
がたくさん,[白市稲荷神社力
石
] / 白市稲荷神社力
石
しらいちいなりじんじゃちからいし
東広島市の石造物
(並滝寺地蔵石仏 なみたきじじぞうせきぶつ)
東広島市の
石
造物 / 並滝寺地蔵
石
仏 なみたきじじぞうせきぶつ 所在地 東広島市志和
町
志和東 年 代 不明 形 状 花崗岩,この地蔵
石
仏は滝のある場所にあって、何百年もの間、滝見物の人々を見守っていたが、滝が枯れ人が途絶えたので,[並滝寺地蔵
石
仏] / 並滝寺地蔵
石
仏 なみたきじじぞうせきぶつ
東広島市の石造物
(榊山神社百度石 さかきやまじんじゃひゃくどいし)
東広島市の
石
造物 / 榊山神社百度
石
さかきやまじんじゃひゃくどいし 所在地 東広島市安芸津
町
三津 年 代 不明 形 ,状 花崗岩 高さ一四一cm ヨコ二五cm タテ二四cm 銘 文 百度
石
概 要 社寺の境内で一日に,百度お参りをする起点の標識として立てた
石
柱。 ,神社拝殿と百度
石
の間の距離が長いと体力と気力を必要としたであろう。 [榊山神社百度
石
] / 榊山神社百度
石
さかきやまじんじゃひゃくどいし
東広島市の石造物
(福成寺八十八石仏 ふくじょうじはちじゅうはちせきぶつ)
東広島市の
石
造物 / 福成寺八十八
石
仏 ふくじょうじはちじゅうはちせきぶつ 年 代 大正時代 第一番
石
仏 所在地 東広島市西条
町
下三永, 形 状 花崗岩 高さ四九cm ヨコ二二cm タテ一三cm 尊 像 釈迦如来像 第七十八番
石
仏, 所在地 東広島市西条
町
下三永 形 状 花崗岩 高さ四六cm ヨコ二二cm タテ一三cm ,、道路、圃場整備などの工事によって
石
仏が散逸される恐れが生じ、福成寺の理照住職が福成寺境内に大半の
石
仏,(用語解説 八十八
石
仏 参照のこと) 第一番
石
仏 第七十八番
石
仏 / 福成寺八十八
石
仏 ふくじょうじはちじゅうはちせきぶつ
東広島市の石造物
(平泰寺一石五輪塔 へいたいじいっせきごりんとう)
東広島市の
石
造物 / 平泰寺一
石
五輪塔 へいたいじいっせきごりんとう 所在地 東広島市西条
町
寺家 年 代 不明 形 状, 花崗岩 高さ 七六cm ヨコ二四cm タテ二五cm 銘 文 無銘 概 要 平泰寺には一
石
五輪塔が,(用語解説 一
石
五輪塔 平泰寺 参照のこと) [平泰寺一
石
五輪塔] / 平泰寺一
石
五輪塔 へいたいじいっせきごりんとう
東広島市の石造物
(福寿院結界石 ふくじゅいんけっかいせき)
東広島市の
石
造物 / 福寿院結界
石
ふくじゅいんけっかいせき 所在地 東広島市安芸津
町
三津 年 代 不明 形 状 花崗岩,[福寿院結界
石
] / 福寿院結界
石
ふくじゅいんけっかいせき
東広島市の石造物
(養国寺石灯籠(2) ようこくじいしとうろう)
東広島市の
石
造物 / 養国寺
石
灯籠(2) ようこくじいしとうろう 所在地 東広島市高屋
町
白市 年 代 江戸時代 宝暦十一年,宝暦十一辛巳天三月吉辰 (外側) 施主 木原保満 同苗元章 概 要 木原保満が前項の養国寺
石
灯籠,(用語解説 養国寺 参照のこと) [養国寺
石
灯籠(2)] / 養国寺
石
灯籠(2) ようこくじいしとうろう
東広島市の石造物
(円通寺一石五輪塔 えんつうじいっせきごりんとう)
東広島市の
石
造物 / 円通寺一
石
五輪塔 えんつうじいっせきごりんとう 所在地 東広島市西条本
町
年 代 不明 形 状 ,花崗岩 高さ五五cm ヨコ一六cm タテ一五cm 銘 文 無銘 概 要 一
石
五輪塔として彫りの浅い,(用語解説 円通寺 一
石
五輪塔 参照のこと) [円通寺一
石
五輪塔] / 円通寺一
石
五輪塔 えんつうじいっせきごりんとう
東広島市の石造物
(御建神社亥の子石 みたてじんじゃのいのこいし)
東広島市の
石
造物 / 御建神社亥の子
石
みたてじんじゃのいのこいし 所在地 東広島市西条
町
西条 年 代 不明 形 状 ,十数人の子供らが
石
に縄を何本もつけ、土を打って唱えごとをして回る。,その土を打つ丸い
石
のことである。 ,[御建神社亥の子
石
] / 御建神社亥の子
石
みたてじんじゃのいのこいし
東広島市の石造物
(養国寺石灯籠出(1) ようこくじいしとうろう)
東広島市の
石
造物 / 養国寺
石
灯籠出(1) ようこくじいしとうろう 所在地 東広島市高屋
町
白市 年 代 江戸時代 寛延四年, 寛延四辛未年九月吉日 (外側)施主 木原保満 概 要 木原保満が養国寺に寄進した
石
灯籠,[養国寺
石
灯籠出(1)] / 養国寺
石
灯籠出(1) ようこくじいしとうろう
東広島市の石造物
(長照寺石灯籠 ちょうしょうじいしとうろう)
東広島市の
石
造物 / 長照寺
石
灯籠 ちょうしょうじいしとうろう 所在地 東広島市河内
町
入野 年 代 江戸時代 宝暦八年(,[長照寺
石
灯籠] / 長照寺
石
灯籠 ちょうしょうじいしとうろう
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