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東広島市立図書館/東広島市デジタルアーカイブ

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東広島市の石造物 (白市民家石垣 しらいちみんかいしがき)

白市民家石垣 しらいちみんかいしがき 所在地 東広島市高屋町白市 年 代 不明 形 状 花崗岩 ,高さ二七七cm ヨコ三・五m 概 要 白市は江戸時代から明治時代にかけて裕福な町民が多く住む町であった / 白市民家石垣 しらいちみんかいしがき
東広島市の石造物 (白市稲荷神社玉垣 しらいちいなりじんじゃたまがき)

白市稲荷神社玉垣 しらいちいなりじんじゃたまがき 所在地 東広島市高屋町白市 年 代 江戸時代 安政三年, 花崗岩 高さ九七cm ヨコ一八cm タテ一八cm 銘 文 安政三丙辰十二月吉旦 伊原兵重郎正隆 白市里正,境内には木下および矢野曲馬団寄進の石柱が数本あり、往時白市が近隣の遊楽地であった面影を遺している。,(用語解説 白市 参照のこと) 白市稲荷神社玉垣全景 木下、矢野曲馬団石柱 / 白市稲荷神社玉垣 しらいちいなりじんじゃたまがき
東広島市の石造物 (白市稲荷神社力石 しらいちいなりじんじゃちからいし)

白市稲荷神社力石 しらいちいなりじんじゃちからいし 所在地 東広島市高屋町白市 年 代 江戸時代,形 状 花崗閃緑岩 高さ三〇cm ヨコ五五cm タテ一六〇cm 銘 文 力石 七十五メ(貫) 白市,山間地の白市にあることは珍しいが、かつて白市は牛馬市、神明祭、市立で大勢の人でにぎわった名残であろう。,[白市稲荷神社力石] / 白市稲荷神社力石 しらいちいなりじんじゃちからいし
東広島市の石造物 (白市稲荷神社石垣 しらいちいなりじんじゃいしがき)

白市稲荷神社石垣 しらいちいなりじんじゃいしがき 所在地 東広島市高屋町白市 年 代 江戸時代 安政三年,白市稲荷神社の石垣はその御土居の石垣を移設したものである。 / 白市稲荷神社石垣 しらいちいなりじんじゃいしがき
東広島市の石造物 (白市稲荷神社石造狐 しらいちいなりじんじゃせきぞうきつね)

白市稲荷神社石造狐 しらいちいなりじんじゃせきぞうきつね 所在地 東広島市高屋町白市 年 代 江戸時代,白市稲荷神社の狐像は東広島市内では特別に表情豊かな像で思わず油揚げを想像してしまう。  ,[白市稲荷神社石造狐] [白市稲荷神社石造狐] / 白市稲荷神社石造狐 しらいちいなりじんじゃせきぞうきつね
わたしたちの東広島市(中国語) (<高屋町留存的古迹>)

<高屋町留存的古迹> 木原家住宅旧址 木原家住宅旧址位于高屋町东南方的白市地区,是江户时代初期町中的住宅,木原家住宅旧址   白市歌舞伎 白市地区早在江户时代中期就开设了称作“白市大市”的牛马集市,自从1993年“白市歌舞伎”恢复后,每年都坚持公演。,儿童歌舞伎 如果可以调查白市的历史,那就太好了。
わたしたちの東広島市(日本語) (<高屋町にのこる歴史があるもの>)

<高屋町にのこる歴史があるもの> 旧木原家住宅  高屋町の南東の白市(しらいち)地区にある江戸時代,旧木原家住宅   白市かぶき  白市地区は江戸時代の中ごろから,白市大市(おおいち)とよばれる,平成5年に「白市かぶき」がふっかつしてから,毎年公演(こうえん)をつづけています。,子どもかぶき 白市のれきしを調べてみるといいね。
東広島市の石造物 (鶯塚 うぐいすづか)

鶯塚 うぐいすづか 所在地 東広島市高屋町白市 年 代 江戸時代 寛政五年(1739) 形 状 ,白市の弟子たちが十三回忌に建立した追慕の碑である。  ,当時白市は裕福な町で俳諧を嗜む町民が多くいた。            ,(用語解説 白市 参照のこと) [鶯塚]
東広島市の石造物 (土宮神社石段 つちのみやじんじゃいしだん)

土宮神社石段 つちのみやじんじゃいしだん 所在地 東広島市高屋町白市 年 代 江戸時代 寛延四年(,白市特有の神明祭りの中心である。  ,坂の街白市は広場が少なく神社境内は子供達の遊び場であり、町民の憩いの場である。
東広島市の石造物 (う)

  鶯 塚 うぐいすづか  高屋町白市の白山城山麓の光政寺近くに所在する。,白市は江戸時代俳諧の盛んな町であり、この山麓にはよく鶯が啼く。
東広島市の石造物 (宮領牛像道標 みやりょうぎゅうぞうどうひょう)

大正四年(1915) 形 状 花崗岩 高さ七二cm ヨコ三三cm タテ一八cm 銘 文 左ハ東高屋村白市,大正四年十一月建之     西高屋村字宮領 施人島田淳三 概 要 文字だけを刻んだ道標が圧倒的に多い中で、白市
東広島市の石造物 (西福寺石仏 さいふくじせきぶつ)

西福寺石仏 さいふくじせきぶつ 所在地 東広島市高屋町白市 年 代 江戸時代 元文五年(1740),天正十一年(1583)時の住僧西蓮法師は事情あって寺地を白市に移し己の名の一字西を冠し西福寺と号した。
東広島市の石造物 (安芸国分寺宝篋印塔 あきこくぶんじほうきょういんとう)

銘 文 (二百字余の漢文で記されている)     金亀山学如欽記 現住権大僧都宥雄八十歳書之 當郡白市村住檀主,その記念として宝暦七年に賀茂郡白市村の木原保満が宝篋印塔を寄進した。   
東広島市の石造物 (し)

  白 市 しらいち  白市の町名の由来は白山に因なみ、養国寺の門前町として始まった。,文亀四年(1504)平賀弘保が高屋堀・御薗宇城から移り白山城を築城し白市を城下町とした。,白市は江戸から昭和にかけて牛馬市、露天商、神明祭、競馬、サーカス、回り舞台に花道のあった二階建ての長栄座
東広島市の石造物 (養国寺石灯籠出(1) ようこくじいしとうろう)

養国寺石灯籠出(1) ようこくじいしとうろう 所在地 東広島市高屋町白市 年 代 江戸時代 寛延四年
東広島市の石造物 (旧木原家住宅石垣 きゅうきはらけじゅうたくいしがき)

旧木原家住宅石垣 きゅうきはらけじゅうたくいしがき 所在地 東広島市高屋町白市 年 代 不明 形
東広島市の石造物 (白鳥神社手水鉢 しらとりじんじゃちょうずばち)

1752) 形 状 花崗岩 高さ七八cm ヨコ八七cm タテ五三cm 銘 文 宝暦二歳壬申五月 白市村
東広島市の石造物 (荒神社石段 こうじんじゃいしだん)

荒神社石段 こうじんじゃいしだん 所在地 東広島市高屋町白市 年 代 江戸時代 宝暦八年(1758
東広島市の石造物 (よ)

東広島市高屋町白市に所在する。  往古は真言宗で元暦元年(1184)創建という。
東広島市の石造物 (安宿指差道標 あすかゆびさしどうひょう)

形 状 花崗岩 高さ九七cm ヨコ二六cm タテ二五cm 銘 文 河内道 約四里 河戸ヨリ分レテ白市
東広島市の石造物 (長照寺石灯籠 ちょうしょうじいしとうろう)

 状 花崗岩 高さ二三五cm ヨコ七六cm タテ七六cm 形 式 神前形 銘 文 □楼灯 施主 白市住
東広島市の石造物 (岩谷観音舎利塔 いわやかんのんしゃりとう)

 花崗岩 高さ一四七cm ヨコ五七cm タテ五七cm 形 式 保満舎利塔 銘 文 奉寄進 施主 白市住
東広島市の石造物 (木原家墓地六地蔵石仏 きはらけぼちろくじぞうせきぶつ)

木原家墓地六地蔵石仏 きはらけぼちろくじぞうせきぶつ 所在地 東広島市高屋町白市 年 代 江戸時代
東広島市の石造物 (福岡八幡神社石段 ふくおかはちまんじんじゃいしだん)

花崗岩 段数 三六段 ヨコ三m 銘 文 (親柱)奉寄進石階 延享三丙寅季九月吉日     願主 白市住
東広島市の石造物 (養国寺石灯籠(2) ようこくじいしとうろう)

養国寺石灯籠(2) ようこくじいしとうろう 所在地 東広島市高屋町白市 年 代 江戸時代 宝暦十一年
東広島市の石造物 (岩谷観音宝籤印塔 いわやかんのんほうきょういんとう)

cm ヨコ六六cm タテ六六cm 種 子 金剛界四仏 銘 文 三界萬霊 奉建立 宝篋印塔 施主 白市住木原保満
東広島市の石造物 (旧木原家住宅石仏 きゅうきはらけじゅうたくせきぶつ)

旧木原家住宅石仏 きゅうきはらけじゅうたくせきぶつ 所在地 東広島市高屋町白市 年 代 江戸時代 
東広島市の石造物 (竹林寺木原宝篋印塔 ちくりんじきはらほうきょういんとう)

 タテ八三cm 種 子 金剛界四仏 銘 文 三界萬霊 奉建立 宝篋印塔 寛延四辛未天九月日 施主白市住木原保満
東広島市の石造物 (竹林寺西参道町石 ちくりんじにしさんどうちょうせき)

ヨコ二四cm タテ二二cm 種 子 キリーク・阿弥陀如来 銘 文 初丁 従是山門迠九丁 施主賀茂郡白市之住
東広島市の石造物 (光政寺宝篋印塔 こうしょうじほうきょういんとう)

光政寺宝篋印塔 こうしょうじほうきょういんとう 所在地 東広島市高屋町白市 年 代 江戸時代 享保十九年
東広島市の石造物 (石清水八幡宮石灯籠 いわしみずはちまんぐういしどうろう)

一八二cm ヨコ五八cm タテ五八cm 形 式 神前形 銘 文 奉建立 宝暦六年丙子八月日 願主 白市住
東広島市の石造物 (頭崎神社石灯籠 かしらざきじんじゃいしどうろう)

一五八cm ヨコ五七cm タテ五七cm  形 式 バチ形  銘 文 奉寄進 宝暦六年丙子九月 願主 白市住木原保満
東広島市の石造物 (養国寺舟形手水鉢 ようこくじふながたちょうずばち)

養国寺舟形手水鉢 ようこくじふながたちょうずばち 所在地 東広島市高屋町白市 年 代 不明 形 
東広島市の石造物 (福岡八幡神社手水鉢 ふくおかはちまんじんじゃちょうずばち)

 ヨコ一四二cm タテ八二cm 銘 文 奉寄進 手水鉢 壬午八月吉日     宝暦十二歳 願主 白市町中
東広島市の石造物 (旧木原家住宅井戸 きゅうきはらけじゅうたくいど)

旧木原家住宅井戸 きゅうきはらけじゅうたくいど 所在地 東広島市高屋町白市 年 代 江戸時代 形
東広島市の石造物 (常楽寺跡舎利塔 じょうらくじあとしゃりとう)

 高さ一八六cm ヨコ六〇cm タテ六〇cm 形 式 保満舎利塔 銘 文 奉寄進 舎利塔 施主 白市住
わたしたちの東広島市(中国語) (1 参加当地的活动吧)

小贴士 白市町建设会议  2010年,高屋东小学的六年级学生邀请当地人士,举办了思考未来城市建设的会议
東広島市の石造物 (円満寺跡舎利塔 えんまんじあとしゃりとう)

 タテ六一cm 形 式 保満舎利塔 銘 文 奉寄進 舎利塔 宝暦十一辛巳天 五月吉日     白市住
東広島市の石造物 (御建神社出雲形石造狛犬 みたてじんじゃいずもがたせきぞうこまいぬ)

ヨコ九〇cm タテ四五cm 形 式 出雲形 銘 文 献 願主石井重郎治慶応三年卯秋 石持氏子中 白市住石工市田屋佐七作
東広島市の石造物 (旧木原家住宅石こたつ きゅうきはらけじゅうたくいしこたつ)

旧木原家住宅石こたつ きゅうきはらけじゅうたくいしこたつ 所在地 東広島市高屋町白市 年 代 不明
東広島市の石造物 (旧木原家住宅側溝 きゅうきはらけじゅうたくそっこう)

旧木原家住宅側溝 きゅうきはらけじゅうたくそっこう 所在地 東広島市高屋町白市 年 代 江戸時代
わたしたちの東広島市(日本語) (1 地域の行事に参加してみよう)

豆ちしき 【白市まちづくり会議】  平成22年に、高屋東小学校の6年生は,地域(ちいき)の方(かた)を
わたしたちの東広島市(中国語) ((5)从前留下的建筑)

其中,位于高屋町白市的“木原家住宅旧址”是建于距今约350年前的住宅。  
東広島市の石造物 (安芸国分寺無縫塔 あきこくぶんじむほうとう)

その記念として宝暦七年(1757)には賀茂郡白市村の木原保満が宝篋印塔を建てたのである。
わたしたちの東広島市(日本語) ((5)古くからのこるたてもの)

その中で,高屋町の白市にある「旧木原家住宅」は,今から約350年前に,たてられてた家です。  
東広島市の石造物 (き)

  木原家墓地 きはらけぼち  白市・光政寺前の道の先に木原家墓地がある。  
東広島市の石造物 ([遺物編目次])

38  御建神社標柱………………………39  白鳥神社標柱………………………39 5玉垣  白市稲荷神社玉垣,43  御建神社尾道形石造狛犬…………44  御建神社出雲形石造狛犬…………44 8石造狐  白市稲荷神社石造狐,建築 1石垣  浄福寺石垣(安芸津町)…………54  旧木原家住宅石垣…………………54  白市民家石垣,………………………55  白市稲荷神社石垣…………………55 2石段  今岡神社石段………………,原爆碑  東広島市原爆死没者慰霊碑………73  賀北部隊原爆被災者救援之碑……73 7力石  白市稲荷神社力石
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