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東広島市の石造物
(御建神社の石造物)
御建
神
社
の石造物 広島県ないしは広島市の特徴である標柱、バチ形灯籠、尾道形狛犬、出雲形狛犬および性別,のある狛犬を総合して見られる
神
社
として東広島市西条町の中央部に位置する御建
神
社
がある。 ,本
神
社
はここにあげた石造物以外にも多くの種類のものが所在する。 / 御建
神
社
の石造物
東広島市の石造物
(荒神社石段 こうじんじゃいしだん)
荒
神
社
石段 こうじんじゃいしだん 所在地 東広島市高屋町白市 年 代 江戸時代 宝暦八年(1758, タテ一八cm 銘 文 (親柱)奉寄進石階 宝暦八戌寅三月吉日 願主 木原保満 概 要 かまどの
神
、,荒
神
社
は元御土居(平賀氏居館跡)の横に竹林で囲まれた古い
社
に石段を保満が寄進した。,[荒
神
社
石段] / 荒
神
社
石段 こうじんじゃいしだん
東広島市の石造物
(岩蔵神社巨石 いわくらじんじゃきょせき)
岩蔵
神
社
巨石 いわくらじんじゃきょせき 所在地 東広島市八本松町篠(虚空蔵山山頂近辺) 年 代 不明,形 状 花崗岩 高さ一八・三m ヨコ一六・五m タテ九・二m 概 要 岩蔵
神
社
は延暦元年(782,岩蔵(旧名岩倉)
神
社
の祭
神
は京都・上賀茂
神
社
の祭
神
で賀茂族の
神
であり、岩窟は昔賀茂族がこの地に入ったとき,先祖を祭った原始
神
社
の遺構と考えられている。 ,(用語解説 岩蔵
神
社
参照のこと) [岩蔵
神
社
巨石] / 岩蔵
神
社
巨石 いわくらじんじゃきょせき
東広島市の石造物
(御建神社標柱 みたてじんじゃしめばしら)
御建
神
社
標柱 みたてじんじゃしめばしら 所在地 東広島市西条町西条 年 代 明治四十四年(1911,) 形 状 花崗岩 高さ五六〇cm ヨコ六〇cm タテ六〇cm 銘 文 (宣揚文)妖気霽兮萬
神
蕃 ,明治四十四年晩秋 広島県知事正四位勲三等 宗像政撰并書 石工寺西村山口市太郎顕正 概 要 御建
神
社
,宣揚文の読みと大意 妖気(ようき)霽(は)れて萬
神
蕃(しげ)り 慶雲(けいうん)爛(ひか)りて黎元(,(用語解説 御建
神
社
および標柱 参照のこと) [御建
神
社
標柱] / 御建
神
社
標柱 みたてじんじゃしめばしら
東広島市の石造物
(岩崎神社巨石 いわさきじんじゃきょせき)
岩崎
神
社
巨石 いわさきじんじゃきょせき 所在地 東広島市西条町上三永 年 代 不明 形 状 花崗岩, 高さ二二〇cm ヨコ四五〇cm 概 要 本巨石は岩崎
神
社
のご
神
体である。,自然崇拝による祭祀遺跡で巨石を
神
体としている。 ,[岩崎
神
社
巨石] / 岩崎
神
社
巨石 いわさきじんじゃきょせき
東広島市の石造物
(諏訪神社手水鉢 すわじんじゃちょうずばち)
諏訪
神
社
手水鉢 すわじんじゃちょうずばち 所在地 東広島市西条東北町 年 代 不明 形 状 高さ, 水溜部 深さ七cm ヨコ八八cm タテ五一cm 水溜形状 扇形 銘 文 無銘 概 要 諏訪
神
社
,は祭
神
が建御名方命(諏訪の
神
)と品陀和気命(八幡
神
)。 ,また、古は賀茂郡内海村(現呉市安浦町)の諏訪
神
社
に渡御の
神
事があったと言う。,[諏訪
神
社
手水鉢] / 諏訪
神
社
手水鉢 すわじんじゃちょうずばち
東広島市の石造物
(御建神社石鳥居 みたてじんじゃいしとりい)
御建
神
社
石鳥居 みたてじんじゃいしとりい 所在地 東広島市西条町西条 年 代 大正三年(1914),御建
神
社
には大型の標柱、灯籠、狛犬、記念碑や多くの石造物が境内にある。,この
神
社
にふさわしい石鳥居である。 ,(用語解説 御建
神
社
参照のこと) [御建
神
社
石鳥居] / 御建
神
社
石鳥居 みたてじんじゃいしとりい
東広島市の石造物
(白鳥神社標柱 しらとりじんじゃしめばしら)
白鳥
神
社
標柱 しらとりじんじゃしめばしら 所在地 東広島市高屋町溝口(白鳥
神
社
旧東参道) 年 代 ,1866) 形 状 花崗岩 高さ二五〇cm ヨコ二六cm タテ二三cm 銘 文 (宣揚文)献白鳥大明
神
宝前古川秀集,なお白鳥
神
社
への参道は数本あって、そのため標柱、石燈籠、石鳥居、町石も多数設置されている。 ,(用語解説 白鳥
神
社
および標柱 参照のこと) [白鳥
神
社
標柱] / 白鳥
神
社
標柱 しらとりじんじゃしめばしら
東広島市の石造物
(小倉神社五輪塔 おぐらじんじゃごりんとう)
小倉
神
社
五輪塔 おぐらじんじゃごりんとう 所在地 東広島市八本松町原 年 代 不明 形 状 花崗岩, 高さ九六cm ヨコ二九cm タテ二九cm 種 子 なし 銘 文 無銘 概 要 小倉
神
社
本殿近くに,数基の五輪塔があり、祭
神
菖蒲前の家臣団の墓とされている数基の中の1基である。 ,(用語解説 小倉
神
社
参照のこと) [小倉
神
社
五輪塔] / 小倉
神
社
五輪塔 おぐらじんじゃごりんとう
東広島市の石造物
(土宮神社石段 つちのみやじんじゃいしだん)
土宮
神
社
石段 つちのみやじんじゃいしだん 所在地 東広島市高屋町白市 年 代 江戸時代 寛延四年(,一六段 三七八cm 銘 文 (親柱)奉寄進石階 寛延四辛未九月吉日 木原保満 概 要 土宮は伊勢
神
宮外宮,白市特有の
神
明祭りの中心である。 ,坂の街白市は広場が少なく
神
社
境内は子供達の遊び場であり、町民の憩いの場である。,[土宮
神
社
石段] / 土宮
神
社
石段 つちのみやじんじゃいしだん
東広島市の石造物
(清水川神社標柱 しみずがわじんじゃしめばしら)
清水川
神
社
標柱 しみずがわじんじゃしめばしら 所在地 東広島市八本松東 年 代 江戸時代 安政二年,〇〇cm ヨコ二三cm タテ二三cm 銘 文 安政二年二月二日 庄屋嘉平 中曽庄吉 概 要 清水川
神
社
,元は妙現
社
(明現
社
)と称したが、明治の
神
仏分離の際に中曽山
神
社
と改称、さらに昭和十七年に清水川
神
社
と改,本
神
社
はもとは街道に面していたが、乗馬のまま当
社
の前を通行すると必ず落馬したので、
社
の向きを変えたと伝,(用語解説 標柱 参照のこと) [清水川
神
社
標柱] / 清水川
神
社
標柱 しみずがわじんじゃしめばしら
東広島市の石造物
(稲荷神社石鳥居 いなりじんじゃいしどりい)
稲荷
神
社
石鳥居 いなりじんじゃいしどりい 所在地 呉市仁方町 年 代 江戸時代 宝暦十二年(1762,願主 木原保満 同 元章 備後尾道住石工藤原氏道種 忠四郎重光作 概 要 八岩華
神
社
境内,[稲荷
神
社
石鳥居] / 稲荷
神
社
石鳥居 いなりじんじゃいしどりい
東広島市の石造物
(今岡神社石段 いまおかじんじゃいしだん)
今岡
神
社
石段 いまおかじんじゃいしだん 所在地 東広島市志和町内 年 代 不明 形 状 花崗岩 ,[今岡
神
社
石段] / 今岡
神
社
石段 いまおかじんじゃいしだん
東広島市の石造物
(川上神社盃状穴 かわかみじんじゃはいじょうけつ)
川上
神
社
盃状穴 かわかみじんじゃはいじょうけつ 所在地 東広島市八本松飯田 年 代 不明 対象物,さ三五cm ヨコ一〇〇cm タテ一二〇cm 穴 数 十七 銘 文 無銘 概 要 元村
社
で,南北朝から室町時代頃にかけての勧請と伝えられ、大歳大明
神
と言い旧飯田村の氏
神
であった。,大正十一年(1922)川上
神
社
と改称した。 [川上
神
社
盃状穴] / 川上
神
社
盃状穴 かわかみじんじゃはいじょうけつ
東広島市の石造物
(白鳥神社町石 しらとりじんじゃちょうせき)
白鳥
神
社
町石 しらとりじんじゃちょうせき 所在地 東広島市高屋町中島および郷 年 代 江戸時代,廿六丁石 形 状 高さ四五cm ヨコ一二cm タテ一二cm 銘 文 一丁 廿六丁 概 要 白鳥
神
社
,なかでも町石は一丁から二十六丁まであり他の寺
社
の倍以上であり、いかに遠方からの参詣者が絶えなかったかを / 白鳥
神
社
町石 しらとりじんじゃちょうせき
東広島市の石造物
(白鳥神社手水鉢 しらとりじんじゃちょうずばち)
白鳥
神
社
手水鉢 しらとりじんじゃちょうずばち 所在地 東広島市高屋町郷 年 代 江戸時代 宝暦二年,(用語解説 白鳥
神
社
参照のこと) [白鳥
神
社
手水鉢] / 白鳥
神
社
手水鉢 しらとりじんじゃちょうずばち
東広島市の石造物
(榊山神社百度石 さかきやまじんじゃひゃくどいし)
榊山
神
社
百度石 さかきやまじんじゃひゃくどいし 所在地 東広島市安芸津町三津 年 代 不明 形 ,状 花崗岩 高さ一四一cm ヨコ二五cm タテ二四cm 銘 文 百度石 概 要
社
寺の境内で一日に,
神
社
拝殿と百度石の間の距離が長いと体力と気力を必要としたであろう。 [榊山
神
社
百度石] / 榊山
神
社
百度石 さかきやまじんじゃひゃくどいし
東広島市の石造物
(小倉神社宝篋印塔 おぐらじんじゃほうきょういんとう)
小倉
神
社
宝篋印塔 おぐらじんじゃほうきょういんとう 所在地 東広島市八本松町原(小倉
神
社
本殿より左に, 不明 形 状 花崗岩 高さ一一八cm ヨコ三四cm タテ三四cm 銘 文 無銘 概 要 小倉
神
社
,の祭
神
菖蒲前の墓と伝えられている。,(用語解説 菖蒲前伝説 小倉
神
社
参照のこと) [小倉
神
社
宝篋印塔] / 小倉
神
社
宝篋印塔 おぐらじんじゃほうきょういんとう
東広島市の石造物
(福岡八幡神社石段 ふくおかはちまんじんじゃいしだん)
福岡八幡
神
社
石段 ふくおかはちまんじんじゃいしだん 所在地 東広島市高屋町高屋東 年 代 江戸時代, (親柱)奉寄進石階 延享三丙寅季九月吉日 願主 白市住 木原孫七保満 概 要 福岡八幡
神
社
,は天文年間(1532~55年)木原城主木原保成が鶴岡八幡宮から勧請したという木原家ゆかりの
神
社
である。,[福岡八幡
神
社
石段] / 福岡八幡
神
社
石段 ふくおかはちまんじんじゃいしだん
東広島市の石造物
(白市稲荷神社力石 しらいちいなりじんじゃちからいし)
白市稲荷
神
社
力石 しらいちいなりじんじゃちからいし 所在地 東広島市高屋町白市 年 代 江戸時代,さ三〇cm ヨコ五五cm タテ一六〇cm 銘 文 力石 七十五メ(貫) 白市 概 要 江戸時代、
神
社
,港町では荷の運搬が盛んで力自慢の男が多く、
神
社
、仏閣に「奉納、力石、何貫、紀年銘」が刻まれた石がたくさん,山間地の白市にあることは珍しいが、かつて白市は牛馬市、
神
明祭、市立で大勢の人でにぎわった名残であろう。,[白市稲荷
神
社
力石] / 白市稲荷
神
社
力石 しらいちいなりじんじゃちからいし
東広島市の石造物
(三種神社五百度石 さんしゅじんじゃごひゃくどいし)
三種
神
社
五百度石 さんしゅじんじゃごひゃくどいし 所在地 東広島市安芸津町木谷 年 代 明治二十七年,銘 文 五百度石 為國威宣揚 兵士健康祈願 明治廿七年八月三十一日 概 要 百度石はあちこちの
神
社
,[三種
神
社
五百度石] / 三種
神
社
五百度石 さんしゅじんじゃごひゃくどいし
東広島市の石造物
(御建神社亥の子石 みたてじんじゃのいのこいし)
御建
神
社
亥の子石 みたてじんじゃのいのこいし 所在地 東広島市西条町西条 年 代 不明 形 状 ,[御建
神
社
亥の子石] / 御建
神
社
亥の子石 みたてじんじゃのいのこいし
東広島市の石造物
(白市稲荷神社玉垣 しらいちいなりじんじゃたまがき)
白市稲荷
神
社
玉垣 しらいちいなりじんじゃたまがき 所在地 東広島市高屋町白市 年 代 江戸時代 安政三年,一八cm 銘 文 安政三丙辰十二月吉旦 伊原兵重郎正隆 白市里正 福原隆介源正利 概 要 玉垣は
神
社
,もしくは
神
域の周囲にめぐらされた垣を言う。 ,(用語解説 白市 参照のこと) 白市稲荷
神
社
玉垣全景 木下、矢野曲馬団石柱 / 白市稲荷
神
社
玉垣 しらいちいなりじんじゃたまがき
東広島市の石造物
(頭崎神社石灯籠 かしらざきじんじゃいしどうろう)
頭崎
神
社
石灯籠 かしらざきじんじゃいしどうろう 所在地 東広島市高屋町貞重 年 代 江戸時代 宝暦六年,[頭崎
神
社
石灯籠] / 頭崎
神
社
石灯籠 かしらざきじんじゃいしどうろう
東広島市の石造物
(白市稲荷神社石造狐 しらいちいなりじんじゃせきぞうきつね)
白市稲荷
神
社
石造狐 しらいちいなりじんじゃせきぞうきつね 所在地 東広島市高屋町白市 年 代 江戸時代, 竹原伊予屋久五郎 原久文立 尾道石工佐七 安政四年歳在 丁巳三月吉日 概 要 本稲荷
神
社
,白市稲荷
神
社
の狐像は東広島市内では特別に表情豊かな像で思わず油揚げを想像してしまう。 ,[白市稲荷
神
社
石造狐] [白市稲荷
神
社
石造狐] / 白市稲荷
神
社
石造狐 しらいちいなりじんじゃせきぞうきつね
東広島市の石造物
(白市稲荷神社石垣 しらいちいなりじんじゃいしがき)
白市稲荷
神
社
石垣 しらいちいなりじんじゃいしがき 所在地 東広島市高屋町白市 年 代 江戸時代 安政三年,白市稲荷
神
社
の石垣はその御土居の石垣を移設したものである。 / 白市稲荷
神
社
石垣 しらいちいなりじんじゃいしがき
東広島市の石造物
(福岡八幡神社手水鉢 ふくおかはちまんじんじゃちょうずばち)
福岡八幡
神
社
手水鉢 ふくおかはちまんじんじゃちょうずばち 所在地 東広島市高屋町高屋東 年 代 江戸時代,奉寄進 手水鉢 壬午八月吉日 宝暦十二歳 願主 白市町中 水溜形状 富士山形 概 要 福岡
神
社
,は文亀三年(1503)平賀氏が鶴岡八幡
神
宮より勧請したといい、高屋十三か村の産土
神
であった。,[福岡八幡
神
社
手水鉢] / 福岡八幡
神
社
手水鉢 ふくおかはちまんじんじゃちょうずばち
東広島市の石造物
(楽市八幡神社手水鉢 らくいちはちまんじんじゃちょうずばち)
楽市八幡
神
社
手水鉢 らくいちはちまんじんじゃちょうずばち 所在地 東広島市高屋町杵原 年 代 江戸時代,cm タテ三九cm 水溜形状 ひょうたん形 銘 文 元治元子九月 願主□田屋 概 要 楽市八幡
神
社
,)村中の者相談の上、宇佐八幡宮から勧請し、楽市喜三郎の祖先彦右衛門と云う人が私有林を寄進し、その地に
社
を,[楽市八幡
神
社
手水鉢] / 楽市八幡
神
社
手水鉢 らくいちはちまんじんじゃちょうずばち
東広島市の石造物
(小田八幡神社種子板碑(2) おだはちまんじんじゃしゅじいたび)
小田八幡
神
社
種子板碑(2) おだはちまんじんじゃしゅじいたび (市重文) 所在地 東広島市河内町小田,(東広島市教委の呼称は小田八幡
神
社
板碑) 全景 [小田八幡
神
社
種子板碑(2)] / 小田八幡
神
社
種子板碑(2) おだはちまんじんじゃしゅじいたび
東広島市の石造物
(大多田八幡神社盃状穴 おおただはちまんじんじゃはいじょうけつ)
大多田八幡
神
社
盃状穴 おおただはちまんじんじゃはいじょうけつ 所在地 東広島市黒瀬町大多田 年 代,ご
神
体の懸仏の一つに永享三年藤原朝臣清秀の銘がある。 [大多田八幡
神
社
盃状穴] / 大多田八幡
神
社
盃状穴 おおただはちまんじんじゃはいじょうけつ
東広島市の石造物
(稲生神社出雲形石造狛犬 いなりじんじゃいずもがたせきぞうこまいぬ)
稲生
神
社
出雲形石造狛犬 いなりじんじゃいずもがたせきぞうこまいぬ 所在地 東広島市西条町郷曽 年 ,御建
神
社
の出雲形と違う点は、石材は脆い出雲の来待石であり、尻尾は太い棒状で、蝋燭状で出雲尾と呼ばれている,(用語解説 狛犬 参照のこと) [稲生
神
社
出雲形石造狛犬] [稲生
神
社
出雲形石造狛犬] / 稲生
神
社
出雲形石造狛犬 いなりじんじゃいずもがたせきぞうこまいぬ
東広島市の石造物
(亀山八幡神社盃状穴 かめやまはちまんじんじゃはいじょうけつ)
亀山八幡
神
社
盃状穴 かめやまはちまんじんじゃはいじょうけつ 所在地 東広島市西条町田口 年 代 不明,[亀山八幡
神
社
盃状穴] / 亀山八幡
神
社
盃状穴 かめやまはちまんじんじゃはいじょうけつ
東広島市の石造物
(稲生神社浪花形石造狛犬 いなりじんじゃなにわがたせきぞうこまいぬ)
稲生
神
社
浪花形石造狛犬 いなりじんじゃなにわがたせきぞうこまいぬ 所在地 東広島市西条町郷曽 年 ,(用語解説 狛犬 参照のこと) [稲生
神
社
浪花形石造狛犬] [稲生
神
社
浪花形石造狛犬 / 稲生
神
社
浪花形石造狛犬 いなりじんじゃなにわがたせきぞうこまいぬ
東広島市の石造物
(小田八幡神社阿弥陀種子板碑(1) おだはちまんじんじゃあみだしゅじいたび)
小田八幡
神
社
阿弥陀種子板碑(1) おだはちまんじんじゃあみだしゅじいたび (市重文) 所在地 東広島市河内町小田,cm 形 式 自然石板碑 種 子 円相中にキリーク・阿弥陀如来 銘 文 憶五劫古 当八幡峯 風吹
神
木, 文明十一年己亥三月十六日 真□ 概 要 この板碑には偈文(げぶん 仏徳を賛嘆する字句)が記され、
神
社
,(東広島市教委の呼称は小田八幡
神
社
板碑) [小田八幡
神
社
阿弥陀種子板碑(1)] / 小田八幡
神
社
阿弥陀種子板碑(1) おだはちまんじんじゃあみだしゅじいたび
東広島市の石造物
(御建神社尾道形石造狛犬 みたてじんじゃおのみちがたせきぞうこまいぬ)
御建
神
社
尾道形石造狛犬 みたてじんじゃおのみちがたせきぞうこまいぬ 所在地 東広島市西条町西条 年,(用語解説 狛犬 参照のこと) [御建
神
社
尾道形石造狛犬] [御建
神
社
尾道形石造狛犬 / 御建
神
社
尾道形石造狛犬 みたてじんじゃおのみちがたせきぞうこまいぬ
東広島市の石造物
(御建神社出雲形石造狛犬 みたてじんじゃいずもがたせきぞうこまいぬ)
御建
神
社
出雲形石造狛犬 みたてじんじゃいずもがたせきぞうこまいぬ 所在地 東広島市西条町西条 年 ,(用誤解説 狛犬 参照のこと) [御建
神
社
出雲形石造狛犬] [御建
神
社
出雲形石造狛犬] / 御建
神
社
出雲形石造狛犬 みたてじんじゃいずもがたせきぞうこまいぬ
東広島市の石造物
(東広島市の寺社石造物の統計 一覧表)
東広島市の寺
社
石造物の統計 一覧表
神
社
石鳥居 手水鉢 No 項 目
神
社
数 比率(%) 1 1,基以上ある
神
社
数 83 73 2 2基以上ある
神
社
数 17 15 3 調査総
神
社
数 113 No,41 3 調査総手水鉢数 123 石段 標柱 No 項目 数 比率(%) 1 40段以上の
神
社
数,15 13 2 40段以下の
神
社
数 98 87 3 調査総
神
社
数 113 No 項目 数 比率(,%) 1 1基以上ある
神
社
数 91 81 2 2基以上ある
神
社
数 31 27 3 調査総
神
社
数 113 / 東広島市の寺
社
石造物の統計 一覧表
東広島市の石造物
(神武天皇腰掛岩 じんむてんのうこしかけいわ)
後に
神
武天皇を祭
神
とする賀茂
神
社
が創建された。 ,賀茂
神
社
が焼失したので新宮
神
社
に合祀され、その際腰掛岩も境内に移された。 ,昭和十五年(1940)の皇紀二千六百年記念式典には広島県知事が
神
武天皇ゆかりの当
社
に奉幣使を参向させ幣,この
神
武天皇腰掛岩の盃状穴を主題にする場合には新宮
神
社
盃状穴と呼称する。 ,(用語解説 新宮
神
社
および盃状穴参照のこと) [
神
武天皇腰掛岩] /
神
武天皇腰掛岩 じんむてんのうこしかけいわ
東広島市の石造物
(教善寺神前形石灯籠 きょうぜんじしんぜんがたいしどうろう)
教善寺
神
前形石灯籠 きょうぜんじしんぜんがたいしどうろう 所在地 東広島市西条町西条 年 代 明治四十一年,(1908) 形 状 高さ二三五cm ヨコ八〇cm タテ八〇cm 形 式
神
前形 銘 文 法灯 , 世話人 檜山シュン 齊藤トメ 土肥サク 明治四十一年一月 概 要 この灯籠は
神
前形,と呼ばれるもので全国的に
神
社
や寺院に多く見られる。 ,(用語解説 教善寺 参照のこと) [教善寺
神
前形石灯籠] / 教善寺
神
前形石灯籠 きょうぜんじしんぜんがたいしどうろう
わたしたちの東広島市(中国語)
(<八本松町留存的古迹>)
<八本松町留存的古迹> 小仓
神
社
小仓
神
社
位于曾场城山的西南方,处于树木繁茂的大山之中。,小仓
神
社
中流传着“菖蒲御前的传说”。,成为平原守护
神
的“菖蒲御前”就被供奉在小仓
神
社
中,如今依然很受重视。,
神
社
旁边还有“菖蒲御前”的坟墓。,小仓
神
社
巡游留下了“菖蒲御前”传说的因缘之地,也不错哦。
東広島市の石造物
(し)
の上に建てられた
神
社
で、祭
神
は日本武尊。,楽音寺古
神
明帳に二位白鳥明
神
と記されている格式の高い
神
社
であった。 , 新宮
神
社
しんぐうじんじゃ (市重文) 創祀は大同二年(807)。,その後金比良
神
社
、国松
神
社
、諏訪
神
社
を合祀した。 ,創祀以来約250年毎の修理記録が残る貴重な
神
社
である。
わたしたちの東広島市(中国語)
(<黑濑町留存的古迹 >)
神
社
樋之上八幡
神
社
三岛
神
社
神
社
是当地人自古以来就很重视的地方,门前
神
社
的悬佛 樋之上八幡
神
社
的悬佛 小贴士 那座山、什么山、挂念的山 远远看去
東広島市の石造物
(盃状穴(はいじょうけつ))
現東広島市は江戸時代の87か村よりなるが、13基の盃状穴は全て黒瀬川(呉市・阿賀湾に注ぐ)流域に所在し、
神
社
,の盃状穴については1か村につき1
神
社
で、盃状穴のある
神
社
が2
社
ある村は1村もない。,当然ながら霊験あらたかな
神
社
は特定の1
神
社
のみであることを物語っている。
東広島市の石造物
(9 標柱 しめばしら)
造立の目的
神
社
の
神
域を示す。 ,起源 標柱の研究者篠原起昌氏によると標柱の初めは広島県尾道市土堂町の住吉
神
社
とする。,海上交通の祈願のため玉垣を寄進した際に
神
社
入り口の柱だけを高く作りしめ縄を張った。,最古の紀年銘 住吉
神
社
広島県 文政三年(1820)
東広島市の石造物
(い)
岩蔵
神
社
いわくらじんじゃ 祭
神
は大己貴命(おおなむちのみこと)と別雷
神
(わけいかずちのかみ,平安時代末期の楽音寺・安芸国
神
名帳に賀茂郡四位七前、佐々村明
神
とあるのは当
社
のこととされている。,参考事項 大己貴命は大国主命(おおくにぬしのみこと) 別雷
神
は京都の古
社
、賀茂別雷
神
社
(別称上賀茂
神
社
, 岩崎
神
社
いわさきじんじゃ 祭
神
は岩長比売命(いわながひめのみこと)と宇気母智命(,参考事項 岩長比売命 古事記にあらわれる
神
でこの
神
を祀る
神
社
は少なく貴重である。
わたしたちの東広島市(日本語)
(<黒瀬町にのこる歴史があるもの>)
神
社
樋之上八幡
神
社
(ひのうえはちまんじんじゃ) 三島
神
社
,(みしまじんじゃ)
神
社
は地域の人がむかしから大切にしてきたもので、むかしのことを知る大切なものです,門前
神
社
の懸仏 樋之上八幡
神
社
の懸仏 豆ちしき 【あの山,何の山,気になる山】
わたしたちの東広島市(中国語)
(<安芸津町留存的古迹 >)
<安芸津町留存的古迹 > 榊山八幡
神
社
榊山八幡
神
社
就位于可以眺望安芸津海面的小山丘上。,
神
社
的院落内,矗立着广岛酿酒的奠基人——三浦仙三郎先生的铜像。,此外,附近还有供奉酒
神
的松尾
神
社
,是一座与酿酒有着深远关系的
神
社
。
わたしたちの東広島市(中国語)
(<福富町留存的古迹 >)
长圆寺 冈山八幡宫 宫崎
神
社
森政
神
社
福富町里有许多从前留下来的寺院和
神
社
呢。
東広島市の石造物
(み)
み 御建
神
社
みたてじんじゃ 主祭
神
は素戔嗚尊(すさのおのみこと)。,慶雲三年(706)創始の元祇園
社
に周辺数
社
と合併。西条町中心部の大
社
。 ,境内摂
社
に酒の
神
様松尾
神
社
が鎮座。 境内には多くの優品の石造物が造立されている。,参考事項 素戔嗚尊は天照大
神
の弟
神
。京都・八坂
神
社
(元祇園
社
)の主祭
神
。
わたしたちの東広島市(日本語)
(<安芸津町にのこる歴史があるもの>)
<安芸津町にのこる歴史があるもの> 榊山八幡
神
社
(さかきやまはちまんじんじゃ) 安芸津の海,が見わたせる,小高いおかに榊山八幡
神
社
があります。,この
神
社
の境内には,広島の酒づくりのもとをつくった三浦仙三郎(みうらせんさぶろう)さんの銅像があります,また,近くには,お酒の
神
様がまつってある松尾(まつお)
神
社
があり,酒づくりととても関係の深い
神
社
です。
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