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東広島市の石造物
(御建神社の石造物)
御建
神社
の石造物 広島県ないしは広島市の特徴である標柱、バチ形灯籠、尾道形狛犬、出雲形狛犬および性別,のある狛犬を総合して見られる
神社
として東広島市西条町の中央部に位置する御建
神社
がある。 ,本
神社
はここにあげた石造物以外にも多くの種類のものが所在する。 / 御建
神社
の石造物
東広島市の石造物
(荒神社石段 こうじんじゃいしだん)
荒
神社
石段 こうじんじゃいしだん 所在地 東広島市高屋町白市 年 代 江戸時代 宝暦八年(1758,一八cm 銘 文 (親柱)奉寄進石階 宝暦八戌寅三月吉日 願主 木原保満 概 要 かまどの神、荒
神社
,[荒
神社
石段] / 荒
神社
石段 こうじんじゃいしだん
東広島市の石造物
(岩蔵神社巨石 いわくらじんじゃきょせき)
岩蔵
神社
巨石 いわくらじんじゃきょせき 所在地 東広島市八本松町篠(虚空蔵山山頂近辺) 年 代 不明,形 状 花崗岩 高さ一八・三m ヨコ一六・五m タテ九・二m 概 要 岩蔵
神社
は延暦元年(782,岩蔵(旧名岩倉)
神社
の祭神は京都・上賀茂
神社
の祭神で賀茂族の神であり、岩窟は昔賀茂族がこの地に入ったとき,先祖を祭った原始
神社
の遺構と考えられている。 ,(用語解説 岩蔵
神社
参照のこと) [岩蔵
神社
巨石] / 岩蔵
神社
巨石 いわくらじんじゃきょせき
東広島市の石造物
(御建神社石鳥居 みたてじんじゃいしとりい)
御建
神社
石鳥居 みたてじんじゃいしとりい 所在地 東広島市西条町西条 年 代 大正三年(1914),御建
神社
には大型の標柱、灯籠、狛犬、記念碑や多くの石造物が境内にある。,この
神社
にふさわしい石鳥居である。 ,(用語解説 御建
神社
参照のこと) [御建
神社
石鳥居] / 御建
神社
石鳥居 みたてじんじゃいしとりい
東広島市の石造物
(白鳥神社標柱 しらとりじんじゃしめばしら)
白鳥
神社
標柱 しらとりじんじゃしめばしら 所在地 東広島市高屋町溝口(白鳥
神社
旧東参道) 年 代 ,なお白鳥
神社
への参道は数本あって、そのため標柱、石燈籠、石鳥居、町石も多数設置されている。 ,(用語解説 白鳥
神社
および標柱 参照のこと) [白鳥
神社
標柱] / 白鳥
神社
標柱 しらとりじんじゃしめばしら
東広島市の石造物
(御建神社標柱 みたてじんじゃしめばしら)
御建
神社
標柱 みたてじんじゃしめばしら 所在地 東広島市西条町西条 年 代 明治四十四年(1911,明治四十四年晩秋 広島県知事正四位勲三等 宗像政撰并書 石工寺西村山口市太郎顕正 概 要 御建
神社
,)う 世は心配事もなく萬神が守り給う 美しい光の中に民が憩う (用語解説 御建
神社
,および標柱 参照のこと) [御建
神社
標柱] / 御建
神社
標柱 みたてじんじゃしめばしら
東広島市の石造物
(岩崎神社巨石 いわさきじんじゃきょせき)
岩崎
神社
巨石 いわさきじんじゃきょせき 所在地 東広島市西条町上三永 年 代 不明 形 状 花崗岩, 高さ二二〇cm ヨコ四五〇cm 概 要 本巨石は岩崎
神社
のご神体である。,[岩崎
神社
巨石] / 岩崎
神社
巨石 いわさきじんじゃきょせき
東広島市の石造物
(小倉神社五輪塔 おぐらじんじゃごりんとう)
小倉
神社
五輪塔 おぐらじんじゃごりんとう 所在地 東広島市八本松町原 年 代 不明 形 状 花崗岩, 高さ九六cm ヨコ二九cm タテ二九cm 種 子 なし 銘 文 無銘 概 要 小倉
神社
本殿近くに,(用語解説 小倉
神社
参照のこと) [小倉
神社
五輪塔] / 小倉
神社
五輪塔 おぐらじんじゃごりんとう
東広島市の石造物
(諏訪神社手水鉢 すわじんじゃちょうずばち)
諏訪
神社
手水鉢 すわじんじゃちょうずばち 所在地 東広島市西条東北町 年 代 不明 形 状 高さ, 水溜部 深さ七cm ヨコ八八cm タテ五一cm 水溜形状 扇形 銘 文 無銘 概 要 諏訪
神社
,また、古は賀茂郡内海村(現呉市安浦町)の諏訪
神社
に渡御の神事があったと言う。,[諏訪
神社
手水鉢] / 諏訪
神社
手水鉢 すわじんじゃちょうずばち
東広島市の石造物
(稲荷神社石鳥居 いなりじんじゃいしどりい)
稲荷
神社
石鳥居 いなりじんじゃいしどりい 所在地 呉市仁方町 年 代 江戸時代 宝暦十二年(1762,願主 木原保満 同 元章 備後尾道住石工藤原氏道種 忠四郎重光作 概 要 八岩華
神社
境内,[稲荷
神社
石鳥居] / 稲荷
神社
石鳥居 いなりじんじゃいしどりい
東広島市の石造物
(清水川神社標柱 しみずがわじんじゃしめばしら)
清水川
神社
標柱 しみずがわじんじゃしめばしら 所在地 東広島市八本松東 年 代 江戸時代 安政二年,〇〇cm ヨコ二三cm タテ二三cm 銘 文 安政二年二月二日 庄屋嘉平 中曽庄吉 概 要 清水川
神社
,元は妙現社(明現社)と称したが、明治の神仏分離の際に中曽山
神社
と改称、さらに昭和十七年に清水川
神社
と改,本
神社
はもとは街道に面していたが、乗馬のまま当社の前を通行すると必ず落馬したので、社の向きを変えたと伝,(用語解説 標柱 参照のこと) [清水川
神社
標柱] / 清水川
神社
標柱 しみずがわじんじゃしめばしら
東広島市の石造物
(土宮神社石段 つちのみやじんじゃいしだん)
土宮
神社
石段 つちのみやじんじゃいしだん 所在地 東広島市高屋町白市 年 代 江戸時代 寛延四年(,坂の街白市は広場が少なく
神社
境内は子供達の遊び場であり、町民の憩いの場である。,[土宮
神社
石段] / 土宮
神社
石段 つちのみやじんじゃいしだん
東広島市の石造物
(今岡神社石段 いまおかじんじゃいしだん)
今岡
神社
石段 いまおかじんじゃいしだん 所在地 東広島市志和町内 年 代 不明 形 状 花崗岩 ,[今岡
神社
石段] / 今岡
神社
石段 いまおかじんじゃいしだん
東広島市の石造物
(白鳥神社手水鉢 しらとりじんじゃちょうずばち)
白鳥
神社
手水鉢 しらとりじんじゃちょうずばち 所在地 東広島市高屋町郷 年 代 江戸時代 宝暦二年,(用語解説 白鳥
神社
参照のこと) [白鳥
神社
手水鉢] / 白鳥
神社
手水鉢 しらとりじんじゃちょうずばち
東広島市の石造物
(小倉神社宝篋印塔 おぐらじんじゃほうきょういんとう)
小倉
神社
宝篋印塔 おぐらじんじゃほうきょういんとう 所在地 東広島市八本松町原(小倉
神社
本殿より左に, 不明 形 状 花崗岩 高さ一一八cm ヨコ三四cm タテ三四cm 銘 文 無銘 概 要 小倉
神社
,(用語解説 菖蒲前伝説 小倉
神社
参照のこと) [小倉
神社
宝篋印塔] / 小倉
神社
宝篋印塔 おぐらじんじゃほうきょういんとう
東広島市の石造物
(榊山神社百度石 さかきやまじんじゃひゃくどいし)
榊山
神社
百度石 さかきやまじんじゃひゃくどいし 所在地 東広島市安芸津町三津 年 代 不明 形 ,
神社
拝殿と百度石の間の距離が長いと体力と気力を必要としたであろう。 [榊山
神社
百度石] / 榊山
神社
百度石 さかきやまじんじゃひゃくどいし
東広島市の石造物
(川上神社盃状穴 かわかみじんじゃはいじょうけつ)
川上
神社
盃状穴 かわかみじんじゃはいじょうけつ 所在地 東広島市八本松飯田 年 代 不明 対象物,大正十一年(1922)川上
神社
と改称した。 [川上
神社
盃状穴] / 川上
神社
盃状穴 かわかみじんじゃはいじょうけつ
東広島市の石造物
(白鳥神社町石 しらとりじんじゃちょうせき)
白鳥
神社
町石 しらとりじんじゃちょうせき 所在地 東広島市高屋町中島および郷 年 代 江戸時代,廿六丁石 形 状 高さ四五cm ヨコ一二cm タテ一二cm 銘 文 一丁 廿六丁 概 要 白鳥
神社
/ 白鳥
神社
町石 しらとりじんじゃちょうせき
東広島市の石造物
(福岡八幡神社石段 ふくおかはちまんじんじゃいしだん)
福岡八幡
神社
石段 ふくおかはちまんじんじゃいしだん 所在地 東広島市高屋町高屋東 年 代 江戸時代, (親柱)奉寄進石階 延享三丙寅季九月吉日 願主 白市住 木原孫七保満 概 要 福岡八幡
神社
,は天文年間(1532~55年)木原城主木原保成が鶴岡八幡宮から勧請したという木原家ゆかりの
神社
である。,[福岡八幡
神社
石段] / 福岡八幡
神社
石段 ふくおかはちまんじんじゃいしだん
東広島市の石造物
(白市稲荷神社力石 しらいちいなりじんじゃちからいし)
白市稲荷
神社
力石 しらいちいなりじんじゃちからいし 所在地 東広島市高屋町白市 年 代 江戸時代,さ三〇cm ヨコ五五cm タテ一六〇cm 銘 文 力石 七十五メ(貫) 白市 概 要 江戸時代、
神社
,港町では荷の運搬が盛んで力自慢の男が多く、
神社
、仏閣に「奉納、力石、何貫、紀年銘」が刻まれた石がたくさん,[白市稲荷
神社
力石] / 白市稲荷
神社
力石 しらいちいなりじんじゃちからいし
東広島市の石造物
(三種神社五百度石 さんしゅじんじゃごひゃくどいし)
三種
神社
五百度石 さんしゅじんじゃごひゃくどいし 所在地 東広島市安芸津町木谷 年 代 明治二十七年,銘 文 五百度石 為國威宣揚 兵士健康祈願 明治廿七年八月三十一日 概 要 百度石はあちこちの
神社
,[三種
神社
五百度石] / 三種
神社
五百度石 さんしゅじんじゃごひゃくどいし
東広島市の石造物
(御建神社亥の子石 みたてじんじゃのいのこいし)
御建
神社
亥の子石 みたてじんじゃのいのこいし 所在地 東広島市西条町西条 年 代 不明 形 状 ,[御建
神社
亥の子石] / 御建
神社
亥の子石 みたてじんじゃのいのこいし
東広島市の石造物
(白市稲荷神社石造狐 しらいちいなりじんじゃせきぞうきつね)
白市稲荷
神社
石造狐 しらいちいなりじんじゃせきぞうきつね 所在地 東広島市高屋町白市 年 代 江戸時代, 竹原伊予屋久五郎 原久文立 尾道石工佐七 安政四年歳在 丁巳三月吉日 概 要 本稲荷
神社
,白市稲荷
神社
の狐像は東広島市内では特別に表情豊かな像で思わず油揚げを想像してしまう。 ,[白市稲荷
神社
石造狐] [白市稲荷
神社
石造狐] / 白市稲荷
神社
石造狐 しらいちいなりじんじゃせきぞうきつね
東広島市の石造物
(白市稲荷神社玉垣 しらいちいなりじんじゃたまがき)
白市稲荷
神社
玉垣 しらいちいなりじんじゃたまがき 所在地 東広島市高屋町白市 年 代 江戸時代 安政三年,一八cm 銘 文 安政三丙辰十二月吉旦 伊原兵重郎正隆 白市里正 福原隆介源正利 概 要 玉垣は
神社
,(用語解説 白市 参照のこと) 白市稲荷
神社
玉垣全景 木下、矢野曲馬団石柱 / 白市稲荷
神社
玉垣 しらいちいなりじんじゃたまがき
東広島市の石造物
(頭崎神社石灯籠 かしらざきじんじゃいしどうろう)
頭崎
神社
石灯籠 かしらざきじんじゃいしどうろう 所在地 東広島市高屋町貞重 年 代 江戸時代 宝暦六年,[頭崎
神社
石灯籠] / 頭崎
神社
石灯籠 かしらざきじんじゃいしどうろう
東広島市の石造物
(白市稲荷神社石垣 しらいちいなりじんじゃいしがき)
白市稲荷
神社
石垣 しらいちいなりじんじゃいしがき 所在地 東広島市高屋町白市 年 代 江戸時代 安政三年,白市稲荷
神社
の石垣はその御土居の石垣を移設したものである。 / 白市稲荷
神社
石垣 しらいちいなりじんじゃいしがき
東広島市の石造物
(楽市八幡神社手水鉢 らくいちはちまんじんじゃちょうずばち)
楽市八幡
神社
手水鉢 らくいちはちまんじんじゃちょうずばち 所在地 東広島市高屋町杵原 年 代 江戸時代,cm タテ三九cm 水溜形状 ひょうたん形 銘 文 元治元子九月 願主□田屋 概 要 楽市八幡
神社
,[楽市八幡
神社
手水鉢] / 楽市八幡
神社
手水鉢 らくいちはちまんじんじゃちょうずばち
東広島市の石造物
(福岡八幡神社手水鉢 ふくおかはちまんじんじゃちょうずばち)
福岡八幡
神社
手水鉢 ふくおかはちまんじんじゃちょうずばち 所在地 東広島市高屋町高屋東 年 代 江戸時代,奉寄進 手水鉢 壬午八月吉日 宝暦十二歳 願主 白市町中 水溜形状 富士山形 概 要 福岡
神社
,[福岡八幡
神社
手水鉢] / 福岡八幡
神社
手水鉢 ふくおかはちまんじんじゃちょうずばち
東広島市の石造物
(小田八幡神社種子板碑(2) おだはちまんじんじゃしゅじいたび)
小田八幡
神社
種子板碑(2) おだはちまんじんじゃしゅじいたび (市重文) 所在地 東広島市河内町小田,(東広島市教委の呼称は小田八幡
神社
板碑) 全景 [小田八幡
神社
種子板碑(2)] / 小田八幡
神社
種子板碑(2) おだはちまんじんじゃしゅじいたび
東広島市の石造物
(稲生神社出雲形石造狛犬 いなりじんじゃいずもがたせきぞうこまいぬ)
稲生
神社
出雲形石造狛犬 いなりじんじゃいずもがたせきぞうこまいぬ 所在地 東広島市西条町郷曽 年 ,御建
神社
の出雲形と違う点は、石材は脆い出雲の来待石であり、尻尾は太い棒状で、蝋燭状で出雲尾と呼ばれている,(用語解説 狛犬 参照のこと) [稲生
神社
出雲形石造狛犬] [稲生
神社
出雲形石造狛犬] / 稲生
神社
出雲形石造狛犬 いなりじんじゃいずもがたせきぞうこまいぬ
東広島市の石造物
(亀山八幡神社盃状穴 かめやまはちまんじんじゃはいじょうけつ)
亀山八幡
神社
盃状穴 かめやまはちまんじんじゃはいじょうけつ 所在地 東広島市西条町田口 年 代 不明,[亀山八幡
神社
盃状穴] / 亀山八幡
神社
盃状穴 かめやまはちまんじんじゃはいじょうけつ
東広島市の石造物
(稲生神社浪花形石造狛犬 いなりじんじゃなにわがたせきぞうこまいぬ)
稲生
神社
浪花形石造狛犬 いなりじんじゃなにわがたせきぞうこまいぬ 所在地 東広島市西条町郷曽 年 ,(用語解説 狛犬 参照のこと) [稲生
神社
浪花形石造狛犬] [稲生
神社
浪花形石造狛犬 / 稲生
神社
浪花形石造狛犬 いなりじんじゃなにわがたせきぞうこまいぬ
東広島市の石造物
(大多田八幡神社盃状穴 おおただはちまんじんじゃはいじょうけつ)
大多田八幡
神社
盃状穴 おおただはちまんじんじゃはいじょうけつ 所在地 東広島市黒瀬町大多田 年 代,[大多田八幡
神社
盃状穴] / 大多田八幡
神社
盃状穴 おおただはちまんじんじゃはいじょうけつ
東広島市の石造物
(小田八幡神社阿弥陀種子板碑(1) おだはちまんじんじゃあみだしゅじいたび)
小田八幡
神社
阿弥陀種子板碑(1) おだはちまんじんじゃあみだしゅじいたび (市重文) 所在地 東広島市河内町小田, 文明十一年己亥三月十六日 真□ 概 要 この板碑には偈文(げぶん 仏徳を賛嘆する字句)が記され、
神社
,(東広島市教委の呼称は小田八幡
神社
板碑) [小田八幡
神社
阿弥陀種子板碑(1)] / 小田八幡
神社
阿弥陀種子板碑(1) おだはちまんじんじゃあみだしゅじいたび
東広島市の石造物
(御建神社尾道形石造狛犬 みたてじんじゃおのみちがたせきぞうこまいぬ)
御建
神社
尾道形石造狛犬 みたてじんじゃおのみちがたせきぞうこまいぬ 所在地 東広島市西条町西条 年,(用語解説 狛犬 参照のこと) [御建
神社
尾道形石造狛犬] [御建
神社
尾道形石造狛犬 / 御建
神社
尾道形石造狛犬 みたてじんじゃおのみちがたせきぞうこまいぬ
東広島市の石造物
(御建神社出雲形石造狛犬 みたてじんじゃいずもがたせきぞうこまいぬ)
御建
神社
出雲形石造狛犬 みたてじんじゃいずもがたせきぞうこまいぬ 所在地 東広島市西条町西条 年 ,(用誤解説 狛犬 参照のこと) [御建
神社
出雲形石造狛犬] [御建
神社
出雲形石造狛犬] / 御建
神社
出雲形石造狛犬 みたてじんじゃいずもがたせきぞうこまいぬ
東広島市の石造物
(東広島市の寺社石造物の統計 一覧表)
東広島市の寺社石造物の統計 一覧表
神社
石鳥居 手水鉢 No 項 目
神社
数 比率(%) 1 1,基以上ある
神社
数 83 73 2 2基以上ある
神社
数 17 15 3 調査総
神社
数 113 No,41 3 調査総手水鉢数 123 石段 標柱 No 項目 数 比率(%) 1 40段以上の
神社
数,15 13 2 40段以下の
神社
数 98 87 3 調査総
神社
数 113 No 項目 数 比率(,%) 1 1基以上ある
神社
数 91 81 2 2基以上ある
神社
数 31 27 3 調査総
神社
数 113
わたしたちの東広島市(中国語)
(<八本松町留存的古迹>)
<八本松町留存的古迹> 小仓
神社
小仓
神社
位于曾场城山的西南方,处于树木繁茂的大山之中。,小仓
神社
中流传着“菖蒲御前的传说”。,成为平原守护神的“菖蒲御前”就被供奉在小仓
神社
中,如今依然很受重视。,
神社
旁边还有“菖蒲御前”的坟墓。,小仓
神社
巡游留下了“菖蒲御前”传说的因缘之地,也不错哦。
わたしたちの東広島市(中国語)
(<黑濑町留存的古迹 >)
神社
樋之上八幡
神社
三岛
神社
神社
是当地人自古以来就很重视的地方,门前
神社
的悬佛 樋之上八幡
神社
的悬佛 小贴士 那座山、什么山、挂念的山 远远看去
東広島市の石造物
(盃状穴(はいじょうけつ))
現東広島市は江戸時代の87か村よりなるが、13基の盃状穴は全て黒瀬川(呉市・阿賀湾に注ぐ)流域に所在し、
神社
,の盃状穴については1か村につき1
神社
で、盃状穴のある
神社
が2社ある村は1村もない。,当然ながら霊験あらたかな
神社
は特定の1
神社
のみであることを物語っている。
東広島市の石造物
(9 標柱 しめばしら)
造立の目的
神社
の神域を示す。 ,起源 標柱の研究者篠原起昌氏によると標柱の初めは広島県尾道市土堂町の住吉
神社
とする。,海上交通の祈願のため玉垣を寄進した際に
神社
入り口の柱だけを高く作りしめ縄を張った。,最古の紀年銘 住吉
神社
広島県 文政三年(1820)
わたしたちの東広島市(日本語)
(<黒瀬町にのこる歴史があるもの>)
神社
樋之上八幡
神社
(ひのうえはちまんじんじゃ) 三島
神社
,(みしまじんじゃ)
神社
は地域の人がむかしから大切にしてきたもので、むかしのことを知る大切なものです,門前
神社
の懸仏 樋之上八幡
神社
の懸仏 豆ちしき 【あの山,何の山,気になる山】
東広島市の石造物
(し)
の上に建てられた
神社
で、祭神は日本武尊。,楽音寺古神明帳に二位白鳥明神と記されている格式の高い
神社
であった。 , 新宮
神社
しんぐうじんじゃ (市重文) 創祀は大同二年(807)。,その後金比良
神社
、国松
神社
、諏訪
神社
を合祀した。 ,創祀以来約250年毎の修理記録が残る貴重な
神社
である。
わたしたちの東広島市(中国語)
(<福富町留存的古迹 >)
长圆寺 冈山八幡宫 宫崎
神社
森政
神社
福富町里有许多从前留下来的寺院和
神社
呢。
わたしたちの東広島市(中国語)
(<安芸津町留存的古迹 >)
<安芸津町留存的古迹 > 榊山八幡
神社
榊山八幡
神社
就位于可以眺望安芸津海面的小山丘上。,
神社
的院落内,矗立着广岛酿酒的奠基人——三浦仙三郎先生的铜像。,此外,附近还有供奉酒神的松尾
神社
,是一座与酿酒有着深远关系的
神社
。
東広島市の石造物
(神武天皇腰掛岩 じんむてんのうこしかけいわ)
後に神武天皇を祭神とする賀茂
神社
が創建された。 ,賀茂
神社
が焼失したので新宮
神社
に合祀され、その際腰掛岩も境内に移された。 ,この神武天皇腰掛岩の盃状穴を主題にする場合には新宮
神社
盃状穴と呼称する。 ,(用語解説 新宮
神社
および盃状穴参照のこと) [神武天皇腰掛岩]
わたしたちの東広島市(日本語)
(<安芸津町にのこる歴史があるもの>)
<安芸津町にのこる歴史があるもの> 榊山八幡
神社
(さかきやまはちまんじんじゃ) 安芸津の海,が見わたせる,小高いおかに榊山八幡
神社
があります。,この
神社
の境内には,広島の酒づくりのもとをつくった三浦仙三郎(みうらせんさぶろう)さんの銅像があります,また,近くには,お酒の神様がまつってある松尾(まつお)
神社
があり,酒づくりととても関係の深い
神社
です。
わたしたちの東広島市(日本語)
(<福富町にのこる歴史があるもの>)
長円寺(ちょうえんじ) 岡山八幡宮(おかやまはちまんぐう) 宮崎
神社
(みやざきじんじゃ),森政
神社
(もりまさじんじゃ) 福富町には古くから残る,寺や
神社
がたくさんあるんだね。
わたしたちの東広島市(日本語)
(<八本松町にのこる歴史があるもの>)
<八本松町にのこる歴史があるもの> 小倉
神社
(おぐらじんじゃ) 曽場ヶ城山(そばがじょうやま)の,小倉
神社
には,「あやめの前(まえ)の伝説」が言い伝えられています。,原の守り神となった「あやめの前(まえ)」は,小倉
神社
にまつられ,今でも大切にされています。,小倉
神社
「あやめの前」の伝説がのこっているゆかりの地をめぐってみるのもいいね。
東広島市の石造物
(石工与七)
表 (松村昌彦氏提供) 種類 石工名 年号 場所 石鳥居 石工當町與七郎 文政元年(1818) 御建
神社
,〃 四日市住石工与七 文政3年(1820) 三升原・稲荷
神社
〃 四日市住石工與七 文政3年(1820,) 柏原・稲生
神社
〃 窪田屋與七 嘉永2年(1849) 御建
神社
玉垣 石工久保田屋与七 安政4年(,1857) 御建
神社
〃 當町石工久保田屋与七 安政4年(1857) 御建
神社
石仏 石工与七 文化6,石灯籠 當町石工久□田 安政4年(1857) 御建
神社
石段 石工与七 文久元年(1861) 教善寺山門
/ 3ページ