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東広島市立図書館/東広島市デジタルアーカイブ

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東広島市の石造物 (福富道標 ふくとみどうひょう)

福富道標 ふくとみどうひょう 所在地 東広島市福富町久芳 年 代 不明 形 状 花崗岩 高さ一一,〇cm ヨコ五二cm タテ三二cm 銘 文 右ハ久井 本郷 左ハのみ 甲山 道 概 要 この道標はかつて,県道脇に説明板を設けて橋の親柱と道標を残して後世に伝えている。,全 景 [福富道標] / 福富道標 ふくとみどうひょう
東広島市の石造物 (戸野指差道標 とのゆびさしどうひょう)

戸野指差道標 とのゆびさしどうひょう 所在地 東広島市河内町戸野 年 代 明治三十八年(1905),形 状 花崗岩 高さ九〇cm ヨコ二四cm タテ二五cm 銘 文 右 久芳 乃美 吉田道 左 竹仁, 志和 広島道     明治三十八年二月 上杉文吉建之 概 要 河内町戸野の県道33号福富本郷線の,旧道を通り出合宮のすぐ西の戸野に入った所の県道33号と県道342号別府河内線との分岐点にある。,[戸野指差道標] / 戸野指差道標 とのゆびさしどうひょう
東広島市の石造物 (能良指差道標 のうらゆびさしどうひょう)

能良指差道標 のうらゆびさしどうひょう 所在地 東広島市豊栄町能良 年 代 明治四十二年(1909,) 形 状 花崗岩 高さ九四cm ヨコ三三cm タテ三三cm 銘 文 北 吉舎 三次道 南 竹原 ,河内道 東 三原 久井道     西 志和 広島道     明治四十二年九月 概 要 福富町久芳,との境界、県道60号大和福富線と県道342号別府河内線の交差点にある。,[能良指差道標] / 能良指差道標 のうらゆびさしどうひょう
東広島市の石造物 (安宿指差道標 あすかゆびさしどうひょう)

安宿指差道標 あすかゆびさしどうひょう 所在地 東広島市豊栄町安宿 年 代 大正七年(1918),形 状 花崗岩 高さ九七cm ヨコ二六cm タテ二五cm 銘 文 河内道 約四里 河戸ヨリ分レテ白市,ヱ通ズ     三原道 約八里 和木ヨリ分レテ河内ヱ通ズ     大正七年三月建之 概 要 豊栄町安宿,から能良へ入る手前、県道347号河戸豊栄線の旧道に、大和町和木への道と能良への分岐点の池のほとりにある,[安宿指差道標] / 安宿指差道標 あすかゆびさしどうひょう
東広島市の石造物 (宇山指差道標(1) うやまゆびさしどうひょう)

宇山指差道標(1) うやまゆびさしどうひょう 所在地 東広島市河内町宇山 年 代 大正十三年(1924, 和木 大草 左 椋梨 徳良 久井     大正十三年一月吉日建之 宇山村峠主 概 要 宇山の県道347,号河戸豊栄線から三原市大和町椋梨への道へ入った所にある。  ,文字だけ彫ってある道標に較べて、指差の形の彫り込みがあると、人の温もりを感じて旅の疲れがほぐれること間違,そんな温もりのある道標がなぜか、当市北部に多く残っている。 [宇山指差道標(1)] / 宇山指差道標(1) うやまゆびさしどうひょう
東広島市の石造物 (宇山指差道標(2) うやまゆびさしどうひょう)

宇山指差道標(2) うやまゆびさしどうひょう 所在地 東広島市河内町宇山 年 代 大正十三年(1924,右 椋梨 徳良 久井 左 乃美 川源      大正十三年一月吉日 宇山村峠主 概 要 宇山指差道標,[宇山指差道標(2)] / 宇山指差道標(2) うやまゆびさしどうひょう
東広島市の石造物 (宮領牛像道標 みやりょうぎゅうぞうどうひょう)

宮領牛像道標 みやりょうぎゅうぞうどうひょう 所在地 東広島市局屋町宮領 年 代 大正四年(1915,豊田郡小谷村     大正四年十一月建之     西高屋村字宮領 施人島田淳三 概 要 文字だけを刻んだ道標,[宮領牛像道標] / 宮領牛像道標 みやりょうぎゅうぞうどうひょう
東広島市の石造物 (下竹仁指差道標 しもたけにゆびさしどうひょう)

下竹仁指差道標 しもたけにゆびさしどうひょう 所在地 東広島市福富町下竹仁 年 代 明治時代 形,道路改修によって少し東の民家の庭先に移設された。 [下竹仁指差道標] / 下竹仁指差道標 しもたけにゆびさしどうひょう
東広島市の石造物 (9 標柱 しめばしら)

9 標柱 しめばしら 形態 石柱を2本建てて、しめ縄を張る。柱には宣揚文などを刻む。  ,起源 標柱の研究者篠原起昌氏によると標柱の初めは広島県尾道市土堂町の住吉神社とする。 / 9 標柱 しめばしら
東広島市の石造物 (中河内指差道標(2) なかごうちゆびさしどうひょう)

中河内指差道標(2) なかごうちゆびさしどうひょう 所在地 東広島市河内町中河内 年 代 不明,形 状 花崗岩 高さ九〇cm ヨコ一七cm タテ一八cm 銘 文 ちくりん寺道 三原塩浜中 概 要, 中河内指差道標(1)から約40m登った所にある。,[中河内指差道標(2)] / 中河内指差道標(2) なかごうちゆびさしどうひょう
東広島市の石造物 (標 柱(しめばしら))

標 柱(しめばしら) 研究者の篠原起昌氏によると、標柱の起源は尾道・住吉神社の文政3年(1820)とされ,(文献11)  簡単な調査の結果は広島市、東広島市、尾道市はほとんどの神社には標柱が建立されているが / 標 柱(しめばしら)
東広島市の石造物 (中河内指差道標(1) なかごうちゆびさしどうひょう)

中河内指差道標(1) なかごうちゆびさしどうひょう 所在地 東広島市河内町中河内 年 代 不明,さ八五cm ヨコ二二cm タテ二〇cm 銘 文 左 ちくりんじ 概 要 中河内から竹林寺に至る参道の,[中河内指差道標(1)] / 中河内指差道標(1) なかごうちゆびさしどうひょう
東広島市の石造物 (白鳥神社標柱 しらとりじんじゃしめばしら)

白鳥神社標柱 しらとりじんじゃしめばしら 所在地 東広島市高屋町溝口(白鳥神社旧東参道) 年 代 ,為泰路改府拝衆安康願成謝     當村里正俗称奥本臨祐謹建 郷村桂良作 慶応二年丙寅二月 概 要 標柱,に刻んだ宣揚文は7字以内の場合が多いが、当標柱は11字もあって珍しい。  ,なお白鳥神社への参道は数本あって、そのため標柱、石燈籠、石鳥居、町石も多数設置されている。            ,(用語解説 白鳥神社 および標柱 参照のこと) [白鳥神社標柱] / 白鳥神社標柱 しらとりじんじゃしめばしら
東広島市の石造物 (清水川神社標柱 しみずがわじんじゃしめばしら)

清水川神社標柱 しみずがわじんじゃしめばしら 所在地 東広島市八本松東 年 代 江戸時代 安政二年,本神社はもとは街道に面していたが、乗馬のまま当社の前を通行すると必ず落馬したので、社の向きを変えたと伝,東広島市内では最古銘の標柱である。          ,(用語解説 標柱 参照のこと) [清水川神社標柱] / 清水川神社標柱 しみずがわじんじゃしめばしら
東広島市の石造物 (と)

と 道 標 どうひょう  社寺の門前や路傍に残っている石造物に「道標」(道しるべともいう)がある。,これには道案内を主体したものと、他の目的で立てた石仏石塔類に道案内の銘文を併記したものとがある。,前者がいわゆる「道標」で後者が「道標銘」である。  ,人を道案内するという親切を目的として道標を立てることによって宗教的な満足感を得たのも、仏教における造塔
わたしたちの東広島市(日本語) (③協力して交通事故を防ぐ工夫)

スピーカーが付いていて,横断歩道をわたれる時間を音楽で教えてくれる信号機もあります。,また,歩道の中央には,点字ブロックがあります。,学校安全ボランティア 交通安全の工夫 ①道路標識 次の道路標識の意味は分かりますか。,②カーブミラー このミラーで,曲がっている道の先をよく見えるようにします。,③道路についている赤いしま模様 速度を落とすように注意をよびかけるサインです。  
東広島市の石造物 (溝口立石 みぞくちたていし)

一に古代道の標識、二に先端が尖った細長い自立した自然石で崇拝の対象となる。  ,この溝口立石は当初は溝口から田万里の堀坂への山越えの道傍にあったが現在は東広島呉道路の工事で同道傍の小高,田万里に至る道はほぼ直線路で道幅も広く平坦で「牛追い道」とも言われ、人力車で田万里から溝口に嫁入りした,溝口で行われた発掘調査で鎌倉時代の道が南(田万里方向)に延びているのが確認されている。
東広島市の石造物 ([遺物編目次])

58  尻ノ池石橋…………………………59 8葺石  三ツ城古墳葺石……………………59 9道標, 福富道標(福富町)………………60  宮領牛像道標………………………60  溝口立石…………, 宇山指差道標(1)(河内町)………61  宇山指差道標(2)(河内町)………61  戸野指差道標,(河内町)…………62  安宿指差道標(豊栄町)…………62  能良指差道標(豊栄町)…………62, 下竹仁指差道標(福富町)………62  中河内指差道標(1)(河内町)……63  中河内指差道標
東広島市の石造物 (御建神社の石造物)

御建神社の石造物 広島県ないしは広島市の特徴である標柱、バチ形灯籠、尾道形狛犬、出雲形狛犬および性別
東広島市の石造物 (調査結果)

水溜まり形状が○または□ 59%         石段数 40段以上 13%     B項目・・標柱数,        石灯籠の形式がバチ形 30%         石造狛犬の形式が出雲形 43%、尾道形
東広島市の石造物 (し)

  標 柱 しめばしら  標柱は神社で見られる石鳥居のように石柱を2本建てて、しめ縄を張,最古の紀年銘 住吉神社 広島県尾道市 文政三年(1820)    種 子 しゅじ   ,白市は江戸から昭和にかけて牛馬市、露天商、神明祭、競馬、サーカス、回り舞台に花道のあった二階建ての長栄座,  白鳥神社 しらとりじんじゃ  (市史跡)  高屋町郷の標高353mの山頂にある白鳥古墳
東広島市の石造物 (白鳥神社町石 しらとりじんじゃちょうせき)

形 状 高さ四五cm ヨコ一二cm タテ一二cm 銘 文 一丁 廿六丁 概 要 白鳥神社への参道はいくつかあるが,、かなり遠方まで石灯籠、標柱、町石がそろっているのが特徴である。
わたしたちの東広島市(日本語) (<八本松町の様子>)

<八本松町の様子> 八本松町の北には,東西にJR山陽本線と国道2号線が通っており,広島や西条方面とつながっています,JR八本松駅は,JR山陽本線の中でも,標高(ひょうこう)255mで一番高い所にある駅として有名です。
東広島市の石造物 (松嶽城跡井戸 まつたけじょうあといど)

室町時代 形 状 花崗岩 直径一三〇cm 井戸深さ約三五〇cm 概 要 竹林寺山頂南西の支峰の山頂(標高四五,また松嶽城は竹林寺と関係が深く1本の連絡道が今も遺る。 [松嶽城跡井戸]
東広島市の石造物 (まとめ)

「標柱数が1基以上」、「石灯籠の形式がバチ形」については広島県の特徴を裏付けている。  ,石造狛犬の形式が出雲形と尾道形が同数で全体の約90%を占めていることは東広島市の特徴を裏付けている。
東広島市の石造物 (東広島市の寺社石造物の統計 一覧表)

形手水鉢数 73 59 2 ○□形以外の手水鉢数 50 41 3 調査総手水鉢数 123 石段 標柱,179 36 5 調査総石灯籠数 495 No 項目 数 比率(%) 1 出雲形 39 43 2 尾道形
東広島市の石造物 (ち)

ち 竹林寺 ちくりんじ  (重文)  真言宗 篁山 竹林寺  標高535mの篁山の山頂付近にある,参道が長いことから距離を町、丁で示した石造物をいう。
東広島市の石造物 (み)

  三永の石門 みながのいしもん  (登録)  明治九年(1876)山陽道のつけかえ工事,このため用水路を道の上に通す必要が生じ道路の上にアーチ式の橋を渡すことになった。,しかし昭和五十一年2号国道の拡長工事が行われ解体撤去され保存のため現在地へ移した。,今は石組と標札のみが建っている。慶長年間廃寺となったが浅野氏の時代に再興した。
東広島市の石造物 (ひ)

  百度石 ひゃくどいし  社寺の境内で一日に百度参りの起点の標識として立てた石。,  平賀氏墓地 ひらがしぼち  (県史跡)  平賀氏菩提寺であった明道寺跡にある。
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