妙福寺石幢 みょうふくじせきどう

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所在地 東広島市八本松南
年 代 不明
形 状 花崗岩 高さ九五cm ヨコ四四cm タテ四四cm
銘 文 無銘
概 要 本遺品は笠、宝珠、竿はないが幢身の六面に仏像を刻み中台を備えるので石幢として分類した。仏像は立像が3体、坐像が3体である。
 妙福寺は顕本法華宗京都妙満寺派。山号は自性山。本尊は日蓮大菩薩。縁起によると南北朝時代の開基と伝え、清滝の十二坊の1寺であったとも言う。
 隠岐に流されていた後醍醐天皇が京に帰り重祚の時、持明院の皇子(光巌天皇の御子)が罪を得て安芸国に配され当妙福寺に住し、帰京することなく死去されたという。当時の妙福寺は飯田中畝の妙福寺(地)とよぶ地にあり栄えた。
 慶長年間(1596~1615)廃寺となった。
 江戸時代浅野の家臣大橋市郎左衛門が原飯田村に領地を与えられ再興した。
                 (用語解説 石幢 参照のこと)

[妙福寺石幢]