三河吉田藩士村井清の長男に生まれる。
村井弦斎
村井弦斎について

村井弦斎は本名を村井寛といい、文久3年12月18日(西暦1864年1月26日)豊橋に生まれました。明治37年(1904年)から63歳で死去する昭和2年(1927年)7月30日までを現在の平塚市八重咲町で過ごしています。
生涯に60編を越える小説を書き、明治・大正期に「当世第一」と謳われた超人気作家でした。また評論においても、時代を先取りした論説を展開していました。
村井弦斎まつりの会場である村井弦斎公園には、戦災復興土地区画整理事業により村井弦斎の住居が移築され、明治のベストセラー作家のくらしを偲ばせていましたが、昭和43年(1968年)冬に火災の難に遭い焼失しました。
略年譜
文久3年(1863)
明治5年(1872)
3月、東京へ一家で上京。
明治7年(1874)
東京外国語学校露語科入学。
明治15年(1882)
「人世必要の学問を論ず」を『東京経済雑誌』に発表。
明治17年(1884)
8月、渡米。
明治18年(1885)
9月、帰国。
明治21年(1888)
郵便報知新聞客員、東京専門学校に通う。「加利保留尼亜」連載。
明治23年(1890)
報知社入社。「市村座の演劇」ほか紀行文・随想記事を掲載。「匿名投書」「鉄欄干」「白鼠」、翌年にかけ「小説家」連載。
明治24年(1891)
郵便報知新聞に「小猫」連載。
明治27年(1894)
編集総理となる。
明治29年(1896)
「日の出島」連載(明治34年まで)。
明治33年(1900)
尾崎多嘉と結婚。大磯町松下に新居。
明治34年(1901)
「二十世紀の予言」発表。「釣道楽」連載開始。
明治35年(1902)
「酒道楽」「女道楽」連載開始。
明治36年(1903)
「食道楽」連載開始。
明治37年(1904)
平塚町に転居。
平塚引越直後の弦斎邸内
明治38年(1905)
「食道楽」劇化。
明治39年(1906)
「婦人世界」編集顧問。以後、同誌中心に論文・小説を起稿。
昭和2年(1927)
7月30日死去、63歳。





