平塚大空襲
平塚市は1945年(昭和20年)7月16日午後11時32分から17日の午前1時12分までの間にB29爆撃機132機により空襲を受けました。B29から投弾されたしょうい弾は、全部で41万2,961本。一晩で受けた数としては、全国で3番目の数になり、その結果、死者363人以上、重軽傷者268人、り災戸数8,269戸にのぼりました。(平塚市ホームページより引用)
インタビュー動画
平塚の空襲と戦災を記録する会の江藤巌さんは、平塚大空襲を経験しました。当時12歳の江藤さんは、両親と姉、兄、妹、弟の7人で暮らしていました。いつもと違う豪雨のような音を聞いた直後、防空壕に逃げ込む途中で大やけどを負いました。いっしょに逃げ込んだ姉は両足を切断し、避難をする途中で命を落としました。
動画内では、油脂焼夷弾で重傷を負った姉を父が背負い、同じく重傷の弟を兄が背負い、母がヤカンいっぱいの水を持って海岸へ避難する様子など、その当時の状況を克明に語っています。
平塚大空襲の証言
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全編(収録時間31分5秒)
平塚大空襲とは(00:06)
なぜ平塚が狙われたのか?(00:43)
平塚大空襲の体験談(01:42)
空襲後の平塚(18:21)
空襲直後の生活(18:26)
平塚市の復興への取り組み(20:51)
大打撃を受けた学校(21:47)
平塚の復興から今の七夕まつりへ(25:22)
未来の子ども達へ(28:08)
平塚大空襲を知る
平塚市博物館などにある戦争当時の市民生活を伝える収蔵品です。