平塚市図書館/ひらつかデジタルアーカイブ

第55回湘南ひらつか観光風景写真コンクール 写真提供(一社)平塚市観光協会

七夕まつりコレクション

平塚は海軍火薬廠があったことから昭和20年7月の大空襲で壊滅的被害を受けました。復興が一段落した昭和25年7月『復興まつり』が開催され、翌年の昭和26年7月に仙台の七夕まつりを参考に、第1回七夕まつりを行いました。現在まで続くこのまつりの資料から時代を感じることができます。


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第70回湘南ひらつか七夕まつり 中

第70回~
(令和4年~)

第70回は3年ぶりの開催となりました。コロナ禍での開催のため、露店出店の中止、県外からの来場の自粛要請、終了時刻の繰り上げなどを行いました。

七夕まつり中止の会見の様子

中止
(令和2年・令和3年)

第70回のまつりを令和2年7月3日(金)から5日(日)に予定していましたが、新型コロナウイルス感染症の影響により初めて開催を中止を決定しました。
令和3年は、通常開催を中止し「湘南ひらつか七夕まつり2021」として、開催方法を見直し規模を大幅に縮小して開催しました。

第62回湘南ひらつか七夕まつり ポスター 大

第61回~第69回
(平成23年~令和元年)

第61回は平成23年3月11日に発生した東日本大震災による影響で一時は開催が危ぶまれました。主催者を市から実行委員会に変更し、震災による電力供給の関係等から日程・時間・区域等について規模を縮小して安全確保を優先に開催しました。

第51回湘南ひらつか七夕まつり ポスター 大

第51回~第60回
(平成13年~平成22年)

平成17年に開園した紅谷町まちかど広場では、市内の子ども会等で作成した「子ども飾り」が掲出され、観光客の目を楽しませました。
第60回の節目には、「全国七夕サミット2010 in 湘南ひらつか」を開催しました。

第41回平塚七夕まつり ポスター

第41回~第50回
(平成3年~平成12年)

第43回から「湘南ひらつか七夕まつり」と名称を変更しました。これまでで来場者がもっとも多い361万人の人出を記録しました。

第31回平塚七夕まつり ポスター

第31回~第40回
(昭和56年~平成2年)

昭和から平成に変わる時代。
第33回には飾りの掲出基準を決めたり、東海道本通りの一方通行実施するなど行いました。

第27回平塚七夕まつり ポスター

第21回~第30回
(昭和46年~昭和55年)

第22回は露店商が集中する7月をさけて8月開催にしました。
第23回は駅ビル建設問題からいったん中止を決定するなどありました。

第20回平塚七夕まつり 企業宣伝別ポスター

第11回~第20回
(昭和36年~昭和45年)

平塚七夕まつりが仙台七夕まつりと比較されるようになり、ラジオ各社が人気番組の公開放送で全国的に宣伝されました。その結果、平塚七夕まつりは「関東の七夕まつり」として有名になりました。

第9回平塚七夕まつり ポスター

第1回~第10回
(昭和26年~昭和35年)

平塚復興祭の延長として「平塚七夕まつり」がスタートしました。
第2回には「平塚七夕音頭」、第3回には「平塚恋しや」を発表し、七夕まつりを盛り上げる工夫がされました。