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目録ID mp000052-200010
文書名 高岡霊験記 上・下
文書名(カナ) タカオカ レイゲン キ ジョウ ゲ
文書名(ローマ字) Takaoka reigen ki jo ge
別名
別名(カナ)
別名(ローマ字)
文書名(欧文)
文書名に関する注記
差出・作成者 後藤利朴(兵司)
差出・作成者(カナ) ゴトウ リボク ヘイジ
差出・作成者(ローマ字) Goto Riboku Heiji
宛所
宛所(カナ)
宛所(ローマ字)
書写者
書写者(カナ)
書写者(ローマ字)
作成年
作成年終
数量 2冊(46丁)
形状
寸法
寸法(縦) 24.5cm
寸法(横) 17cm
材質
形態に関する注記
保存状況
縮尺
その他の注記
言語 日本語
ISBN
ISSN
主題
主題(カナ)
主題(ローマ字)
関連する地域・場所
関連する地域・場所(カナ)
関連する地域・場所(ローマ字)
関連する人物・団体
関連する人物・団体(カナ)
関連する人物・団体(ローマ字)
内容年
内容年終
内容 高照神社祭司役後藤兵司が霊夢に託して乳井貢の宝暦年間の事蹟を批判的に書いたもの
内容(カナ) タカテル ジンジャ サイシヤク ゴトウ ヘイジ ガ レイム ニ タクシテ ニュウイ ミツギ ノ ホウレキネンカン ノ ジセキ オ ヒハンテキ ニ カイタ モノ
内容(ローマ字) Takateru jinja saishiyaku Goto Heiji ga reimu ni takushite Nyui Mitsugi no horekinenkan no jiseki o hihanteki ni kaita mono
解題・説明 本書は、弘前藩宝暦改革(ほうれきかいかく)における乳井貢(にゅういみつぎ)の寺社政策が、これまで藩によって保護されてきた寺社の財政基盤や権益の縮減にも及んだことから、これに批判的な高照神社(たかてるじんじゃ)祭司役の後藤兵司(ごとうへいじ)が徹底した乳井批判の立場から著したものである。
 本書の原本は確認されておらず、多くの写本・異本があるが、本史料は弘化3年(1846)に木村和吉が書写したものである。書写年代と人物が判明するもので最も古いものは、寛政11年(1799)に、青森の有力な廻船問屋伊東家の一族と推定される滝屋長之助が書写したものであり(個人蔵)、『青森県史 資料編 近世3』に掲載されている。なお、木村和吉については不詳である。
 弘前藩の累積借財高が藩の年間収入の2倍近くに達していた18世紀中期、弘前藩は宝暦3年(1753)、儒学者の乳井貢を勘定奉行に登用して改革に取りかかった。乳井は諸役所を統括する調方(しらべかた)役所を新設するとともに、同5年には財政の最高責任者である元司職(もとししょく)となって自身に権力を集中させ強力な改革推進体制を構築している。財政建て直しの政策は寺社政策にも及び、祭神として弘前藩4代藩主津軽信政(のぶまさ)を祀る高照神社も例外とはしない徹底したものであった。それは、神田(しんでん)や寄附料等を取り上げ、代わりに物資配分帳である「標符(ひょうふ)」渡しとして藩庫に寺社の財産を取り込むとともに、藩国家の安泰と藩主家の繁栄、五穀成就などを祈祷する国家的な役務を強制するものであった。しかも、乳井は高照神社が祀る信政の失政を列挙し、その事績をも否定する徹底さであった。高照神社の祭礼と経営を統括していた後藤兵司としては耐えがたかったのであり、乳井失脚後、満を持して批判に至ったのである。
 後藤兵司は80余歳で宝暦9年に没しており、乳井と同時代に生きた人物であることから、批判的立場による乳井評価である点を考慮しなくてはならないが、当時の混乱した社会状況や「標符」の具体的な使用方法をはじめ、廃止に至る過程など、そのありさまが十分読み取れる。『津軽歴代記類』や『津軽藩旧記伝類』などに多く引用されているのもその同時代性による信憑性の高さであり、優れた描写からであると考えられる。後藤兵司(通称理右衛門、号は利朴(りぼく))は弘前藩茶道役でもあり、野本道元(のもとどうげん)に入門して儒学と茶道を学び、また吉川神道(よしかわしんとう)の奥義も得た人物であった。その文才をもって書かれたものが本書であり、「上」では「高岡御神事並後藤兵司悪夢の事」「乳井謀計を以て町在より冥加金(みょうがきん)を取立る事」「乳井奸曲をなさんか為三関所をはしめ町々木戸引払ふ事」など21ヶ条、「下」では「乳井標符の通用をはしむる事」「御家中寺社の地方(じかた)を取上標符を相渡し事」「乳井天命尽る事」など22ヶ条にわたって乳井の政策や取り組み姿勢を辛辣かつ皮肉を以て批判している。宝暦改革そのものの評価は多くの史料によって検討されなくてはならないが、乳井による宝暦改革の具体的様相を示すものとして欠くことのできない史料であると言えよう。(瀧本壽史)
【参考文献】
長谷川成一「津軽藩宝暦改革の一断面-寺社政策を中心に-」『転換期北奥藩の政治と思想』(平成3年度科学研究費補助金(一般研究C)研究成果報告書、1993年)
瀧本壽史「弘前藩の宝暦改革」(長谷川成一監修『図説 弘前・黒石・中津軽の歴史』郷土出版社、2006年)
青森県史編さん近世部会『青森県史 資料編 近世3』(青森県、2006年)
青森県文化財保護協会編『みちのく叢書第3巻 津軽藩旧記伝類』(国書刊行会、1982年)
青森県文化財保護協会編『みちのく叢書第4巻 津軽歴代記類 上』(国書刊行会、1982年)
東奥日報社『青森県人名大事典』1969年
解題・説明(英語)
来歴
来歴(英語)
所蔵機関 弘前図書館
原資料の所在地 弘前図書館
資料番号 通史2-143
管理記号 KK289-ニュ-1.2
カテゴリ区分 文書・記録
資料種別 古文書
資料分類(大分類) 一般郷土資料
資料分類(中分類)
資料分類(小分類)
文化財情報
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自治体史掲載 高岡霊験記(『新編弘前市史』通史編2(近世1) 第4章第一節)
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