目録ID
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mp000079-200010
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タイトル
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松前箱館千代ヶ台二御陣屋造営之図
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タイトル(カナ)
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マツマエ ハコダテ チヨガダイ ニ ゴジンヤ ゾウエイ ノ ズ
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タイトル(ローマ字)
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Matsumae hakodate chiyogadai ni gojinya zouei no zu
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タイトル関連
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安政三丙辰年異国船ニ付
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タイトル関連(カナ)
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アンセイ サン ヒノエタツドシ イコクセン ニ ツキ
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タイトル関連(ローマ字)
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Ansei san hinoetatsudoshi ikokusen ni tsuki
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欧文タイトル
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タイトルに関する注記
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作成者
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作成者(カナ)
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作成者(ローマ字)
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出版・製作者
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出版・製作者(カナ)
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出版・製作者(ローマ字)
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製作年
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製作年終
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数量
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1鋪
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形状
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畳物
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大きさ
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大きさ(縦)
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48cm
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大きさ(横)
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50cm
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媒体
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形態に関する注記
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保存状況
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縮尺
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その他の注記
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写(貴田氏旧蔵)
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言語
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日本語
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ISBN
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ISSN
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主題
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主題(カナ)
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主題(ローマ字)
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関連する地域・場所
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関連する地域・場所(カナ)
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関連する地域・場所(ローマ字)
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関連する人物・団体
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関連する人物・団体(カナ)
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関連する人物・団体(ローマ字)
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内容年
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内容年終
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内容
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内容(カナ)
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内容(ローマ字)
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解題・説明
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江戸時代後期、幕府は2度にわたって蝦夷地を直轄化した。それぞれの時期を、前期幕領期、後期幕領期と分けている。後期幕領期(1855~68)は、アメリカ・イギリス・ロシア・オランダ各国と締結された和親条約により、箱館が条約港として開港されたことが契機となっており、安政元年に箱館周辺を幕領とし、翌年には松前・江差周辺の松前藩領分を除き、全蝦夷地が上知された。 さらに安政6年には蝦夷地を警備に当たる東北各藩に分領している。 この時期、開港場となった箱館や、幕領となった蝦夷地の恒常的な警備は、再び奥羽の大名に課せられることになった。幕府は、安政2年(1855)3月27日に、箱館の警備を担当してきた弘前・盛岡・松前3藩に加え、仙台・秋田両藩を加えて松前・蝦夷地の警備を命じ(「蝦夷地御開拓諸御書付諸伺書類」国立公文書館蔵)、ついで諸藩の警備地域が定められた(「温恭院殿御実紀」安政2年4月25日条)。 警備地の勤番を命じられた各藩は、幕府の指示に従い、区域内に軍事拠点として元陣屋(もとじんや)と出張陣屋(しゅっちょうじんや)を構え、兵員を派遣して駐屯させた。元陣屋・出張陣屋は、堀や土塁をめぐらして防備を固め、駐屯の中核となる本陣や、派遣された兵員の居宅、武器庫・米蔵などが設けられた。弘前藩は、箱館表と、千代ヶ台(ちよがだい)(現北海道函館市千代台町・中島町)からエサン岬(恵山岬、現北海道函館市恵山岬町)の間、および乙部村(おとべむら)(現北海道爾志郡(にしぐん)乙部町)から西蝦夷地ヲカムイ岬(神威岬(かむいみさき)、現北海道積丹郡(しゃこたんぐん)積丹町大字神岬町)間を警備の持ち場とし、非常時には西蝦夷地全体の援兵を心得るよう命じられた。そして、元陣屋を千代ヶ台におき、西蝦夷地スツツ(現北海道寿都郡(すっつぐん)寿都町)に出張陣屋を置くことになった(「弘前藩庁日記」〈国日記〉安政2年4月27日条)。千代ヶ台には前期幕領期、文化4年(1807)の文化露寇事件(ぶんかろこうじけん)の際、蝦夷地に出兵した仙台藩の元陣屋が築かれていたが、弘前藩ではその陣屋の形状を変更して普請を行った。弘前藩に引き渡された千代ヶ台の地所の総面積は15万3715坪、陣屋の建坪は9785坪に及び、同年9月27日に竣工、10月21日に者頭山野角次郎元澄率いる箱館勤番の部隊が同所に移っている(「津軽旧記」二十一、東京大学史料編纂所蔵)。 本絵図は竣工翌年の安政3年の年記を持つもので、陣屋の形状や建造物の呼称が定まった姿を見ることができる。四方を土塁で取り囲み、その規模は東西72間・南北80間、周囲に幅6間半の堀が廻らされている。土塁の内には中央にある「本陣」の建物を中心に、「二陣」から「七陣」の6棟の建物があり、そのほか各種の蔵が配置され、また馬場・星場・矢場が土塁の内に構えられていた。弘前図書館蔵の陣屋絵図を検討した戸祭由美夫氏によれば、陣屋の建設プランは細部にわたって何度か変更が加えられ、この形状となったという。 弘前藩は箱館戦争勃発による撤兵に至るまで、千代ヶ台陣屋を中心に勤番と警衛を実施した。弘前藩の撤兵後は旧幕府軍に占拠され、戦争終盤における箱館市街戦の激戦地となり、明治2年(1869)5月16日に新政府軍が奪取した。戦争終結後、同地は荒地と化したが、明治16年(1883)から同24年にかけては青森に置かれた歩兵第五連隊から分駐した大隊の駐屯地となり、明治31年(1898)11月には函館要塞(はこだてようさい)砲兵大隊(ほうへいだいたい)(のち函館要塞重砲兵(じゅうほうへい)大隊、函館重砲兵連隊(れんたい)、津軽要塞重砲兵連隊に改組)の兵営が置かれた。一方、明治17年には陣屋敷地の西端に函館監獄署(はこだてかんごくしょ)が置かれた。 千代ヶ台陣屋の跡地は現在では函館市の中心部となっている。戦後に陸軍用地は千代台公園(ちよがだいこうえん)として整備された。市街地化が著しく、場所については特定されていないが、従来から現在の函館市立中島小学校(現同市中島町30-5)の地に擬定されてきた。最近の平井松午氏の研究によれば、中島小学校の校地全域とその西方が土居の範囲であり、校地の北端と東端の直線部分が土居の北端と東端に重なっているという。(千葉一大) 【参考文献】 函館市史編さん室編『函館市史』通説編第2巻(函館市、1990年) 函館市史編さん室編『函館市史』通説編第3巻(函館市、1997年) 平井松午「幕末維新における五稜郭および元陣屋の景観復原」(『地理学論集』第89巻1号、2014年) 戸祭由美夫『絵図に見る幕末の北辺警備─五稜郭と城郭・陣屋・台場─』(古今書院、2018年)
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解題・説明(英語)
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来歴
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来歴(英語)
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所蔵機関
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弘前図書館
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原資料の所在地
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弘前図書館
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資料番号
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通史2-207
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管理記号
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丙17-1202
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カテゴリ区分
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静止画
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資料種別
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絵図
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資料分類(大分類)
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津軽古図書保存会文書
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資料分類(中分類)
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資料分類(小分類)
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文化財情報
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manifest.jsonへのURL
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参照データ
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関連ページURL
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関連画像URL
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自治体史掲載
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松前箱館千代ヶ台二御陣屋造営之図(『新編弘前市史』通史編2(近世1) 第4章第五節)
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出版物・関連資料
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翻訳元の言語
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権利関係・利用条件
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原資料の利用条件
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権利関係・利用条件に関する注記
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緯度・経度・高度に関する注記
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DOI
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既刊目録名
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デジタル化の経緯に関する注記
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