解題・説明
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江戸中期から後期にかけて、通俗的な地誌として「名所図会」と総称される刊行物が多数出版された。名所それぞれに写生にもとづいた目で見ても楽しめる鳥瞰図風風景画を載せ、さらに本文において由緒・名物などに詳細な説明を加えたもので、その先駆的なものとして、安永9年(1780)に秋里籬島(あきさとりとう)が編んだ『都名所図会』六巻があり、その成功を受けて各地で多くの類書が編纂・刊行された。 江戸とその近郊を対象とした「江戸名所図会」は、江戸神田雉子(きじ)町(ちょう)(現東京都千代田区神田美土代町(みとしろちょう)・神田司町(かんだつかさまち)二丁目)の名主斎藤幸雄(長秋)・幸考(莞斎)・幸成(月岑)の親子三代によって編まれた。寛政5年(1793)に幕府から出版許可を得たものの、増補・校訂が大幅に加えられ、最終的に、天保5年(1834~1836)、江戸の書肆須原屋茂兵衛・同伊八によって刊行された。 同書は7巻20冊からなり、図版は初め北尾重政が描く予定であったが、のち長谷川宗秀(雪旦)に変更されている。内容は巻一において武蔵国と江戸の概要、江戸城の沿革、日本橋・神田・京橋・芝といった中心市街地について記し、巻二以下では東海道沿いの品川・大森から金沢まで、さらに右回りで遠くは多摩の日野・府中、北は浦和・大宮、東は市川・船橋にまで記述範囲が及んでおり、名所・寺社・古跡について実地踏査を踏まえて執筆され、また雪旦の絵も当時の風俗・行事・景観を詳細に描いており、近世後期の江戸とその周辺を知る上で貴重な史料となっている。 同書は近代以降も、原田幹校訂『大日本名所図会』第2輯第3編~第6編(日本名所図会刊行会、1919~1920年)、塚本哲三編輯『有朋堂文庫 江戸名所図会』1~4(有朋堂書店、1927年)・鈴木棠三・朝倉治彦校訂の『江戸名所図会』(角川書店、1967~1968年)、市古夏生・鈴木健一校訂『新訂 江戸名所図会』全6巻・別巻2巻(筑摩書房、1996~1997年)などで形を変えて刊行をみている。(千葉一大)
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