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解題・説明
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『日本詩人』第2巻12号(大正12(1923)年12月)に掲載されたものの原稿。『日本詩人』は、大正6(1917)年11月に詩壇統一の機関として発足した詩話会の機関誌として、大正10(1921)年10月から大正15(1926)年11月にかけて新潮社から刊行(通巻59号)された。刊行が開始された時期の詩話会は北原白秋や西條八十らが脱退し、民衆詩派の詩人たちに指導権が移っていた。創刊当時の詩話会委員は福士幸次郎、百田宗治、川路柳虹、白鳥省吾、室生犀星、佐藤惣之助、生田春月、福田正夫、千家元麿、富田砕花の10名で、まずは白鳥と百田が編集に当たった。その後、白鳥と百田に代わって、大正12年3月号から11月号まで福田正夫と福士が編集に当たっている。 この評論で福士が「感じ方の新しさ、表現の新しさ、曲りなりにも其れがもたらす時代的成功、現在詩人の生存権はこゝにれる。」(傍線部は誤植。原稿では「ある」と正しく記載されている)と指摘し、「光と言へば光明、闇黒と言へば絶望、太洋と言へば世界、舟と言へば努力を思ひ出す、お定まりの感じ方」に終始してしまう古い感性を厳しく批判している点は興味深い。1920年代後半からは言葉を「歴史性」から解放して新しい表現を模索するモダニズム詩が詩壇で台頭してくるが、福士の指摘と批判はまさにそうした時代の流れを先んじて読んだものだといえるだろう。(村山龍) 【参考文献】 原崎孝「日本詩人」(日本近代文学館編『日本近代文学大事典』、講談社、昭和52(1977)年~昭和53(1978)年)
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