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目録ID mp000101-200010
文書名 百五拾俵水帳
文書名(カナ) ヒャクゴジッピョウ ミズチョウ
文書名(ローマ字) Hyakugojippyo mizucho
別名
別名(カナ)
別名(ローマ字)
文書名(欧文)
文書名に関する注記
差出・作成者
差出・作成者(カナ)
差出・作成者(ローマ字)
宛所
宛所(カナ)
宛所(ローマ字)
書写者
書写者(カナ)
書写者(ローマ字)
作成年 明治4年(1871)
作成年終
数量 1冊(21丁)
形状
寸法
寸法(縦) 25cm
寸法(横) 17cm
材質
形態に関する注記
保存状況
縮尺
その他の注記
言語 日本語
ISBN
ISSN
主題
主題(カナ)
主題(ローマ字)
関連する地域・場所
関連する地域・場所(カナ)
関連する地域・場所(ローマ字)
関連する人物・団体
関連する人物・団体(カナ)
関連する人物・団体(ローマ字)
内容年 明治4年
内容年終
内容
内容(カナ)
内容(ローマ字)
解題・説明 維新政権は、明治2年(1869)6月、版籍奉還を許可し、それに続いて旧藩主である知藩事は現石高の10%を家禄とし、旧家臣団についての家禄の改革を命じている。弘前藩では藩士の家禄は上限でも400俵となり、大きく削減された。藩士層の困窮は深刻化、その対処のために明治3年(1870)10月に帰田法が採用された。これは、地主や有力商人から一定面積を残して田地を買い上げ、武士層に分配するもので、「余田買上」ともいわれる。帰農を奨励するものともされるが、小作人による耕作や弘前での居住も許されているので、必ずしも目的であったとは言えない。この、本水帳に、給人として名を連ねるのは6人で、分米として36石宛を複数の村と分給され、それぞれ作人付けがされている。なお、家禄一五〇俵を給されたのは上層の藩士で、1反5畝の宅地をもつことが許されている。明治4年(1871)3月の「俵子拾五俵以上士族卒給録調」(五所川原市楠美家文書87)では、士族卒2494人中、最上級は350俵で、本史料に規定された150俵を給された者は上位18人のうちに入り、4人のみが相当する。(浪川健治)
解題・説明(英語)
来歴
来歴(英語)
所蔵機関 弘前図書館
原資料の所在地 弘前図書館
資料番号 通史3-073
管理記号 TK280.3-118
カテゴリ区分 文書・記録
資料種別 古文書
資料分類(大分類) 津軽家文書
資料分類(中分類)
資料分類(小分類)
文化財情報
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自治体史掲載 帰田法時の水帳(『新編弘前市史』通史編3(近世2) 第6章第三節)
出版物・関連資料
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