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目録ID mp000104-200010
文書名 添田儀左衛門日記
文書名(カナ) ソエダ ギザエモン ニッキ
文書名(ローマ字) Soeda Gizaemon nikki
別名
別名(カナ)
別名(ローマ字)
文書名(欧文)
文書名に関する注記
差出・作成者 添田儀左衛門(貞俊)
差出・作成者(カナ) ソエダ ギザエモン サダトシ
差出・作成者(ローマ字) Soeda Gizaemon Sadatoshi
宛所
宛所(カナ)
宛所(ローマ字)
書写者
書写者(カナ)
書写者(ローマ字)
作成年 延宝9年(1681)
作成年終 天和3年(1683)
数量 1冊(226丁)
形状
寸法
寸法(縦) 9cm
寸法(横) 21cm
材質
形態に関する注記
保存状況
縮尺
その他の注記 写(川越石太郎旧蔵)
言語 日本語
ISBN
ISSN
主題
主題(カナ)
主題(ローマ字)
関連する地域・場所
関連する地域・場所(カナ)
関連する地域・場所(ローマ字)
関連する人物・団体
関連する人物・団体(カナ)
関連する人物・団体(ローマ字)
内容年 延宝9年(1681)~天和3年(1683)
内容年終
内容 延宝9年(1681)~天和3年(1683)の日記,天和2年4月までは江戸に於ける日記
内容(カナ) テンポウ クネン センロッピャクハチジュウイチ カラ テンナ サンネン センロッピャクハチジュウサン ノ ニッキ テンナ ニネン シガツ マデ ワ エド ニ オケル ニッキ
内容(ローマ字) Tenpo kunen senroppyakuhachijuichi kara tenna sannen senroppyakuhachijusan no nikki tenna ninen shigatsu made wa Edo ni okeru nikki
解題・説明 弘前藩士添田儀左衛門貞俊(そえだぎさえもんさだとし)(1639~1701)の延宝9年(1681)5月1日から天和3年(1683)3月20日までの日記で、延宝9年5月1日から天和2年(1682)5月3日までが江戸勤番中の日記、5月3日から21日までが藩主信政の帰国道中に随行した道中日記、5月21日から翌年3月20日までの国許における日記である。また末尾に天和2年4月26日から上野寛永寺において行われた将軍家法会参加者の名簿、天和2年の下向道中の際白河関址を過ぎた際に詠んだ和歌と文章、「大組一番組」に付せられた与力の名簿がある。弘前図書館蔵の岩見文庫に含まれる一冊である。
 添田家は、貞俊の祖父弥兵衛定義が上杉(うえすぎ)家、のち蒲生(がもう)家に仕えたが、父利兵衛貞成が3代藩主津軽信義の代、承応元年(1652)10月17日に知行200石で召し出された新参の家臣の家柄である。なお貞成の娘与曽は信義の側室となり、4代藩主津軽信政の生母となった人物であり、系譜上貞俊は信政の叔父に当たることになる。貞俊は延宝2年(1674)に大組足軽頭となり、元禄年間(1688~1704)には家老に就任する人物である。この間知行は700石に至っている。天性雄烈、廉直と評され、居合や槍をはじめとする武術に通じ、克己流柔術・慣縄流馬術の元祖となった。また津軽為信の一代記「愚耳旧聴記(ぐじきゅうちょうき)」(別稿参照)や元禄大飢饉の記録である「耳目心通記(じもくしんつうき)」の著者としても知られる人物である。
 本書は、江戸前期における幕藩関係の展開、藩士の職務の実際、江戸における勤番武士の生活などを検討する上で貴重な史料と考えられる。なお本書の翻刻と内容を検討した論考は、下記参考文献の『近世武士の生活と意識 「添田儀左衛門日記」―天和期の江戸と弘前―』として一冊にまとめられている。(千葉一大)
【参考文献】
「津軽旧記伝」四(東京大学史料編纂所蔵)
浪川健治編『近世武士の生活と意識 「添田儀左衛門日記」―天和期の江戸と弘前―』(岩田書院、2004年)
解題・説明(英語)
来歴
来歴(英語)
所蔵機関 弘前図書館
原資料の所在地 弘前図書館
資料番号 通史3-103
管理記号 GK289-77
カテゴリ区分 文書・記録
資料種別 古文書
資料分類(大分類) 岩見文庫
資料分類(中分類)
資料分類(小分類)
文化財情報
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自治体史掲載 添田儀左衛門日記(『新編弘前市史』通史編3(近世2) 第7章第一節)
出版物・関連資料
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