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目録ID mp000105-200010
文書名 御発駕御規式 文化4年
文書名(カナ) ゴハツガ オンキシキ ブンカ ヨネン
文書名(ローマ字) Gohatsuga onkishiki bunka yonen
別名
別名(カナ)
別名(ローマ字)
文書名(欧文)
文書名に関する注記 文化4年
差出・作成者
差出・作成者(カナ)
差出・作成者(ローマ字)
宛所
宛所(カナ)
宛所(ローマ字)
書写者
書写者(カナ)
書写者(ローマ字)
作成年 文化4年(1807)
作成年終
数量 1冊(20丁)
形状
寸法
寸法(縦) 27.5cm
寸法(横) 20.5cm
材質
形態に関する注記
保存状況
縮尺
その他の注記
言語 日本語
ISBN
ISSN
主題
主題(カナ)
主題(ローマ字)
関連する地域・場所
関連する地域・場所(カナ)
関連する地域・場所(ローマ字)
関連する人物・団体
関連する人物・団体(カナ)
関連する人物・団体(ローマ字)
内容年 文化4年
内容年終
内容
内容(カナ)
内容(ローマ字)
解題・説明 九代藩主津軽寧親が文化4年(1807)5月に江戸参府した際の、弘前城を出発し領内を巡行して碇ヶ関に到るまでの、藩士・寺社・町年寄などの果たすべき定まった作法をまとめる。5月10日辰の刻(午前8時)に、寧親が山吹ノ間に着座し、三方に載せられた熨斗・大豆が出される場面から記される。以下、山吹ノ間での家老・用人・城代の御目見にはじまり山水ノ間・梅ノ間・浪ノ間での重臣の御目見、城内での見送りが寧親の動きに合わせて記録されている。さらに、弘前城下を通行では、本町1丁目での弘前・青森・鰺ヶ沢町年寄などの御目見と見物の者の整理方が記される。「御規式」の記述は、第1泊地である碇ヶ関までの寺社による拝礼のほか翌日の家老以下の見送りと警固の様子までを納める。藩主の参府は、将軍への奉公であり、定められた軍役規模に依拠した儀礼行為でもあるために規式として作法化される。この参府途中、寧親は病気となっていただけでなく、江戸到着間もなく、前年からのサハリン・エトロフへのロシア人の襲撃事件への対処のため、6月5日には帰国を幕府から命ぜられている。(浪川健治)
解題・説明(英語)
来歴
来歴(英語)
所蔵機関 弘前図書館
原資料の所在地 弘前図書館
資料番号 通史3-108
管理記号 TK387-27
カテゴリ区分 文書・記録
資料種別 古文書
資料分類(大分類) 津軽家文書
資料分類(中分類)
資料分類(小分類)
文化財情報
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自治体史掲載 御発駕御規式(『新編弘前市史』通史編3(近世2) 第7章第一節)
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