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目録ID mp000137-200010
文書名 浪岡御所系図
文書名(カナ) ナミオカ ゴショ ケイズ
文書名(ローマ字) Namioka gosho keizu
別名
別名(カナ)
別名(ローマ字)
文書名(欧文)
文書名に関する注記
差出・作成者
差出・作成者(カナ)
差出・作成者(ローマ字)
宛所
宛所(カナ)
宛所(ローマ字)
書写者
書写者(カナ)
書写者(ローマ字)
作成年 明治25年(1892)11月
作成年終
数量 55丁
形状
寸法
寸法(縦) 23cm
寸法(横) 15.5cm
材質
形態に関する注記
保存状況
縮尺
その他の注記
言語 日本語
ISBN
ISSN
主題
主題(カナ)
主題(ローマ字)
関連する地域・場所
関連する地域・場所(カナ)
関連する地域・場所(ローマ字)
関連する人物・団体
関連する人物・団体(カナ)
関連する人物・団体(ローマ字)
内容年
内容年終
内容
内容(カナ)
内容(ローマ字)
解題・説明 中世後期、浪岡(なみおか)(現青森市浪岡)に居をおき、津軽地方に勢力を有した北畠家(きたばたけけ)は、「浪岡御所(なみおかごしょ)」と称し、後醍醐天皇の側近として活躍した北畠親房の子孫と伝えられる。16世紀に現れた具永(ともなが)、具統(ともむね)、具運(ともかず)の3代については、山科言継(やましなときつぐ)の日記『言継卿記(ときつぐきょうき)』や、彼の編んだ四位・五位の叙階の記録である『歴名土代(りゃくみょうどだい)』に記載があり、京都に使者を送り、官位を得ていたことが知られる。「津軽一統志(つがるいっとうし)」によれば、大浦(おおうら)(津軽(つがる))為信(ためのぶ)の津軽統一の過程で、天正6年(1578)7月に浪岡城は陥落、浪岡御所は終焉を迎えている。
 本史料には「浪岡御所系図」という史料名が付されているが、表紙を見ると、「浪岡御所系図 亦三春浪岡系図」「浪岡季令家記」「北畠系図略」「山崎氏所蔵北畠系譜」「後村上帝綸旨」「北畠左近顕忠書牘」の6種類の史料の名が記されており、さらに為信の津軽統一を描いた「天正日記 亦天正異聞録」と称する軍記物、江戸時代後期に大目付、用人、留守居組頭など藩の要職に就任し、また画家としても弘前に南画を伝えた人物として知られる毛内雲林(もうないうんりん)(有右衛門茂幹(しげもと)?~1837)が文化7年(1810)に著した「故事聞見記」「津軽故事考(抄録)」も合綴されている。
 浪岡御所北畠家の系図は、作成時期が彼らの活躍した中世に遡れるものはなく、近世以後に作成されたものであることがわかっている。その内容も、『姓氏家系大辞典』に、「北畠親房の後なれど、一に「顕信―守親(大納言、陸奥国司)-親能(天童丸)」の後也と云ひ、一には「顕家―顕成」より出づとなす。(中略)孰れ信なるや決し難し」とあるように、北畠親房を祖とするという点は一致するものの、親房の長男で、建武(けんむ)の新政(しんせい)において陸奥守、さらに鎮守府将軍(ちんじゅふしょうぐん)となった顕家(あきいえ)の系統であるとするものと、その弟で南朝に与した顕信の系統とするものの二つがあって、北畠家が浪岡に依った時期・その人物名といった記載内容も様々である。本史料中の「浪岡御所系図」では、顕家の子顕成(あきなり)を初代の浪岡御所とし、顕成―親成―忠貞―俊具―具運―具統―具永―具定と相継ぎ、具定が天正6年に自害した後、その子の慶好(北畠弾正大弼、岩倉左近、のち浪岡に改姓)が秋田に逃れ、安東家に仕えるに至ったとする。「北畠系図略」では、顕成は親房の子とされ、顕成―顕元―某―某―顕具―三郎兵衛尉という系譜で、浪岡に入ったのは顕元の孫に当たる某としている。浪岡御所が滅亡した天正6年に作成されたとする「山崎氏所蔵北畠系譜」では、顕成―顕元―某(顕邦)―某―顕具―顕永としており、稗抜(稗貫カ、現在の岩手県花巻市周辺)で2万石の領主だった顕元とその子の某(顕邦)は南部家の庇護下にあり、顕邦の子の某が浪岡に移って浪岡御所と称したとする。ただし、太閤検地施行前の中世の奥羽において石高が用いられていることなど、この系図の記載内容に信用を置くことができないことは明らかである。
 先行研究によれば、浪岡御所の系図は、近世に弘前藩を始め、盛岡・秋田・松前・三春といった蝦夷地・奥羽の諸藩の史書や子孫を名乗る家において系譜が作成されているが、これらはほぼ顕家の系統を引くものとして示されているという。しかし、本史料所収の系譜には、「北畠系譜略」のように顕成を親房の子としたり、系譜を構成する人物名に相違があったり、同時代史料に見える具永、具統、具運についても、名が見えない系図や親子関係に相違があるなど、記載内容は区々である。
 家系の継承を図式化して表す系図を作成する目的は、祖先の事績を記し、子孫の系統を明らかにすることにあるが、系図自体の持つ史料としての性格が、後に編纂された二次史料としての性格を濃厚に有し、また財産や政治的・社会的地位の継承を示すことにもつながることもあって、その記載をめぐって虚偽や作為が仕組まれることが多いものであるため、史料として用いる際にはまず厳密な史料批判が必要となるものである。史料の欠如から、浪岡御所については近世の編纂物に依拠した言及がどうしても増えてしまうのであるが、後世に作られたとおぼしきこれらの系譜史料から浪岡御所の動向を歴史に位置づけることは困難である。浪岡御所の行動や実名が同時代の史料に明記され、おぼろげながらその存在が確認できるようになるのは、先に述べた16世紀の当主たちを待たなければならない。
 浪岡御所の系譜が持つ問題点については、下記参考文献に挙げた『浪岡町史』第2巻において詳細な考察がなされているので参照されたい。(千葉一大)
【参考文献】
太田亮「系図と系譜」(国史研究会編輯『岩波講座日本歴史 第10巻』岩波書店、1934年)
太田亮『姓氏家系大辞典』第2巻(角川書店、1963年)1896~1897頁・同第3巻(角川書店、1963年)4332~4334頁
『週刊朝日百科別冊 歴史の読み方8 名前と系図・花押と印章』(朝日新聞社、1989年)
浪岡町史編纂委員会編纂『浪岡町史』第2巻(浪岡町、2004年)
解題・説明(英語)
来歴
来歴(英語)
所蔵機関 弘前図書館
原資料の所在地 弘前図書館
資料番号 資料1-04
管理記号 YK214-4
カテゴリ区分 文書・記録
資料種別 古文書
資料分類(大分類) 八木橋文庫
資料分類(中分類)
資料分類(小分類)
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自治体史掲載
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