/ 3070ページ
画像
画像ビューア
目録ID mp000229-200010
文書名 弘前城堀浚并土留石修補願之通被仰付之儀御奉書
文書名(カナ) ヒロサキジョウ ホリサライ ナラビニ ツチドメイシ シュウホネガイ ノ トオリ オオセツケラル ノ ギ ゴホウショ
文書名(ローマ字) Hirosakijo horisarai narabini tsuchidomeishi syuhonegai no tori osetsukeraru no gi gohosho
別名
別名(カナ)
別名(ローマ字)
文書名(欧文)
文書名に関する注記
差出・作成者
差出・作成者(カナ)
差出・作成者(ローマ字)
宛所
宛所(カナ)
宛所(ローマ字)
書写者
書写者(カナ)
書写者(ローマ字)
作成年
作成年終
数量 1通(包紙2)
形状
寸法
寸法(縦) 本文41cm
寸法(横) 本文56.5cm
材質
形態に関する注記 外包紙28×40.5cm
保存状況
縮尺
その他の注記
言語 日本語
ISBN
ISSN
主題
主題(カナ)
主題(ローマ字)
関連する地域・場所
関連する地域・場所(カナ)
関連する地域・場所(ローマ字)
関連する人物・団体
関連する人物・団体(カナ)
関連する人物・団体(ローマ字)
内容年 文化元年3月9日許可
内容年終
内容
内容(カナ)
内容(ローマ字)
解題・説明 文化元年(1804)、弘前藩では江戸幕府に申請し、弘前城の堀浚い実施と堀の土留石の修復を許可された。本史料は、幕府老中が連署し申請内容を許可した旨の老中連署奉書である。
 江戸幕府の定めた武家諸法度の規定によって、大名が城の普請=土木を伴う工事を行う場合には、厳しい統制がかけられており、地震・風水害・老朽化等で破損・修復が必要な際にも大名が届け出を行うことが義務づけられていた。
 大名が城郭の修復普請を行う場合には、幕府に対して修補願(しゅうほねがい)(修復願書)を提出して申請することが必要であった。寛永年間(1624~1644)からは城絵図に修復箇所を図示し、願書に添えて申請することが始まり、徐々に一般的になった。申請に添えられる絵図面はほぼ定型化しており、本絵図のように、ごく一部の修復を願い出る場合でも全城域が描かれ、さらに普請範囲を朱線で示し、寸法や破損状況が細かく記載された。
 申請をうけた幕府側は、老中連署奉書によって修復を許可し、その後着工が可能となる。城普請を許可する老中連署奉書には特色があり、伝達内容が後日の証拠として年次特定を必要となるため、寛永5年前後のものから、日付の右肩に元号・年数・十二支を明記した「付年号(つけねんごう)」が付され、また寛永10年代以降には奉書の書き出しに城郭名が明記されるようになる。
 実際の規定運用面では、寛永12年の武家諸法度改訂以降、新規の普請・作事等城郭の現状変更を伴う申請は将軍による決済が必要で、石垣修築等の普請や再建等の作事は老中の許可事項とされた。幕府は、原則的には修築申請を許可していたが、老中奉書に元通りに普請することを条件として明記した。一方、櫓・城門・土塀などの城郭建築の修理は土木工事より規制が緩かったが、災害や老朽化による再建は、従来通りに施工することが求められた。
 「弘前藩庁日記(国日記)」文化元年3月30日条によれば、前年の夏から申請に向けての準備が進められており、幕府役人に問い合わせたところ、堀浚いを実施する堀の長さを明記するよう求められた。そこで秋に弘前から委細をしたためた書状と実施箇所の絵図面を江戸に送ったところ、年が明けて2月15日に月番老中土井利厚(どいとしあつ)の屋敷に弘前藩留守居役(るすいやく)(御聞役)の雨森権市がそれを持参して、土井家の用人にうかがい出たところ、土井家の用人から願いの趣について伺書を調えて提出するよう指図があったため、翌16日に土井家へ伺書と下絵図を持参して用人に提出した。
 同月22日、土井家の用人より津軽家留守居役に対して明日留守居役が出頭するよう呼び出しがあり、雨森が赴いたところ、提出した絵図にこの通りの内容で差し出すようにと付札を付して指示があった。26日に土井の屋敷に雨森が再び赴いて正式の願書を提出したところ受領され、3月10日に願い通り許可が下りた。
 この折土井家の用人より雨森に手交されたのがこの老中連署奉書で、宛所は当時の弘前藩主津軽寧親(やすちか)である。内容は修補絵図に示された本丸外堀南北の折り回し一か所、同じく本丸の堀東の方の折り回し一か所、本丸西側の堀(蓮池)の周囲折り回し、西の郭の外堀南西の折り回し一カ所、二の丸の堀南東の折り回し一カ所、北の郭外堀南北の折り回し一か所、三の郭南方の外堀一か所、同じく南東の方角の南から東への折り回し一か所、同じく東方の堀一か所において、自然に埋まったり、あるいは先年(寛政10年、1798)の洪水によって泥が流入したりした堀浚いを行うこと、欠けている土留石の修補を弘前城すべての堀を対象に行うことを認めるというものである。「連々(れんれん)」とあるので、普請の年限等は限定されておらず、堀浚い・土留めの修理を継続することが許されている。なお、連署した老中は戸田采女正氏教(うじのり)・牧野備前守忠精(ただきよ)・青山下野守忠裕(ただひろ)・土井大炊頭利厚の4人である。(千葉一大)
【参考文献】
森林助『津軽弘前城史』(弘前図書館、1931年)
日本歴史学会編『概説古文書学』近世編(吉川弘文館、1989年)
藤井讓治「大名城郭普請許可制について」(『人文学報』66、1990年)
白峰旬『日本近世城郭史の研究』(校倉書房、1998年)
笠谷和比古『近世武家文書の研究』(法政大学出版局、1998年)
三浦正幸『城の鑑賞基礎知識』(至文堂、1999年)
小石川透「弘前藩における城郭修補申請の基礎的考察」(長谷川成一編『北奥地域史の新地平』岩田書院、2014年)
解題・説明(英語)
来歴
来歴(英語)
所蔵機関 弘前図書館
原資料の所在地 弘前図書館
資料番号 津軽家-28
管理記号 TK215-53
カテゴリ区分 文書・記録
資料種別 城郭補修資料
資料分類(大分類) 津軽家文書
資料分類(中分類)
資料分類(小分類)
文化財情報
manifest.jsonへのURL
参照データ
関連ページURL
関連画像URL
自治体史掲載
出版物・関連資料
翻訳元の言語
権利関係・利用条件
原資料の利用条件
権利関係・利用条件に関する注記
緯度・経度・高度に関する注記
DOI
既刊目録名
デジタル化の経緯に関する注記
/ 3070ページ