機関トップ
資料グループ
テキスト一覧
年表一覧
キーワード一覧
弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
トップページ
詳細検索
詳細検索
目録
テキスト
年表
キーワード
その他(トップページ等)
検索条件を追加
目録
テキスト
年表
キーワード一覧
その他(トップページ等)
AND
OR
NOT
年号変換
閉じる
検索結果
: 5件
辞書ファセット
○○○
△△△
10件
20件
50件
100件
(並べ替え)
テキストタイトル(昇順)
テキストタイトル(降順)
ページタイトル(昇順)
ページタイトル(降順)
掲載ページ(昇順)
掲載ページ(降順)
/ 1ページ
通史編1(古代・中世)
(田村麻呂と頼朝)
から鎌倉へ帰る途中に達谷窟(たっこくのいわや)に立ち寄った際に、「ここが田村麻呂将軍が征夷の時に、賊主
悪路王
,それはともかく、ここでは賊主が
悪路王
(写真52)とされていることに注目できる。,この
悪路王
は、話の筋からみて例の阿弖流為とされるのが普通である(ただし、民俗学者柳田國男は、これを悪霊,写真52
悪路王
の首像 一方、『元亨釈書(げんこうしゃくしょ)』では清水寺創建の僧延鎮(えんちん,そしてこの
悪路王
高丸こそ、津軽安藤氏の始祖説話中の重要な人物となっていくのであるが、このことはまた後に
通史編1(古代・中世)
(安倍高丸)
安日から系譜上、数代後に位置づけられた「高丸」なる人物もそれで、高丸とは
悪路王
とも呼ばれた坂上田村麻呂,この「悪事」から「
悪路王
」の名が生まれた(写真128)。 写真128
悪路王
の首
資料編1(古代・中世編)
([十二世紀])
●文治五年(一一八九)九月二十七・八日、源頼朝、鎌倉への帰還の途上、安倍氏の衣川館跡や
悪路王
伝説の田谷窟
通史編1(古代・中世)
(中世の境界認識)
阿弖流為(あてるい)の異称とされる「
悪路王
」、あるいは『陸奥話記』に見える、前九年合戦の一場面として著名
資料編1(古代・中世編)
(第一章 綱文・史料一覧)
吾妻鏡 140 ●文治五年(一一八九)九月二十七・八日、源頼朝、鎌倉への帰還の途上、安倍氏の衣川館跡や
悪路王
伝説
/ 1ページ