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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編1(古代・中世) (田村麻呂と頼朝)

から鎌倉へ帰る途中に達谷窟(たっこくのいわや)に立ち寄った際に、「ここが田村麻呂将軍が征夷の時に、賊主悪路王,それはともかく、ここでは賊主が悪路王(写真52)とされていることに注目できる。,この悪路王は、話の筋からみて例の阿弖流為とされるのが普通である(ただし、民俗学者柳田國男は、これを悪霊,写真52 悪路王の首像  一方、『元亨釈書(げんこうしゃくしょ)』では清水寺創建の僧延鎮(えんちん,そしてこの悪路王高丸こそ、津軽安藤氏の始祖説話中の重要な人物となっていくのであるが、このことはまた後に
通史編1(古代・中世) (安倍高丸)

安日から系譜上、数代後に位置づけられた「高丸」なる人物もそれで、高丸とは悪路王とも呼ばれた坂上田村麻呂,この「悪事」から「悪路王」の名が生まれた(写真128)。 写真128 悪路王の首
資料編1(古代・中世編) ([十二世紀])

●文治五年(一一八九)九月二十七・八日、源頼朝、鎌倉への帰還の途上、安倍氏の衣川館跡や悪路王伝説の田谷窟
通史編1(古代・中世) (中世の境界認識)

阿弖流為(あてるい)の異称とされる「悪路王」、あるいは『陸奥話記』に見える、前九年合戦の一場面として著名
資料編1(古代・中世編) (第一章 綱文・史料一覧)

吾妻鏡 140 ●文治五年(一一八九)九月二十七・八日、源頼朝、鎌倉への帰還の途上、安倍氏の衣川館跡や悪路王伝説
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