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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編2(近世1) (黒石津軽家の大名昇格)

黒石津軽家の大名昇格 文化六年(一八〇九)四月、本家が一〇万石になって三ヵ月後、幕臣で四〇〇〇石の黒石津軽家,は、本家弘前津軽家の強力な運動によって、一万石に高直しされ、大名に昇格した。,文化五年(一八〇八)、弘前津軽家は北方永久警衛を命ぜられ、一〇万石に昇格したが、知行四〇〇〇石で幕府寄合,を勤めている分家の黒石津軽家も、由緒深い家柄である。 / 黒石津軽家の大名昇格
通史編2(近世1) (津軽家宛ての領知宛行状と領知高の変動)

東京都品川区の国立国文学研究資料館史料館(国立史料館)所蔵の津軽家文書には、幕府から津軽家に対して下付,表7 津軽家宛領知朱印状・領知判物一覧 資料編 史料No.,表8 津軽家宛領知目録記載内容一覧 資料編 史料No.,黒石津軽家とその分家は、本家である弘前津軽家に発給された領知宛行状にその領知高が明記されている。,石、黒石津軽家の分家である一学信純(いちがくのぶずみ)家分一〇〇〇石とも本家である弘前津軽家の信政宛ての / 津軽家宛ての領知宛行状と領知高の変動
通史編2(近世1) (信政の襲封と黒石分知)

これに伴い信英が幕府から支給されていた蔵米三〇〇俵は返上を命じられ、また津軽家からの蔵米一〇〇〇石支給,また、『寛政重修諸家譜』に弘前津軽家が分知後も「なを四万七千石の軍役をつとむ」とあることから、幕府が「
通史編2(近世1) (弘前藩の副藩主)

明暦二年(一六五六)、津軽弘前藩主四代信政の襲封(しゅうほう)に伴い、その後見役として発足した黒石津軽家,弘前津軽・黒石津軽両家の藩主系図をみて明らかなように、弘前津軽家から黒石津軽家へは、信政の五男が黒石四代寿世
通史編2(近世1) (「分領」と津軽弘前藩)

同じ日に、盛岡藩主南部利剛(としひさ)の名代盛岡新田藩主南部信誉(のぶのり)にも津軽家と同内容の達しがあり,達しのいうところを理解しかねた津軽家では、達しが出された翌日、津軽家の「御用頼」である幕府奥右筆(おくゆうひつ,それにより、津軽家は、陣屋附きの「地所」として、従来警備してきた蝦夷地西海岸のスッツ領からセタナイ(現北海道瀬棚郡瀬棚町,分 2126両1分 盛岡南部家  67両2分  14両3分永50文  82両1分永50文 弘前津軽家
通史編2(近世1) (「松前復領期」における蝦夷地派兵準備体制)

江戸城中で達せられた津軽黒石藩主津軽順徳(つがるゆきのり)(順承(ゆきつぐ)、一八〇〇~一八六五)の本家弘前津軽家相続
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