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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編2(近世1) (北奥羽の大名の動向)

この返書の中で、秀吉は、当時すでに秋田城介(あきたじょうのすけ)から左中将となっていた織田信長の長子信忠,(のぶただ)を、「(秋田)城介殿」と記している。,秋田城介の官途は、中世の「蝦夷沙汰(えぞのさた)」に密接にかかわるものであるといわれ(遠藤巌「秋田城介,の復活」高橋富雄編『東北古代史の研究』一九八六年 吉川弘文館刊)、ここでの秋田城介という表記も、秀吉の
通史編1(古代・中世) (陸奥・出羽の在庁官人たち)

陸奥側では胆沢城(田村麻呂の時代に鎮守府が多賀城から移された)の鎮守府将軍が、出羽側では秋田城の出羽城介,そしてその鎮守府将軍・秋田城介には、次第に源氏・平氏といった軍事貴族が任命されるようになっていった。,一方の秋田城介には、藤原利方・源満生・平兼忠(かねただ)(繁盛(しげもり)の子)・源頼盛(よりもり)(
通史編1(古代・中世) (鎮守府将軍源頼義)

またこれを機会に、出羽では秋田城介が中世まで任命されることがなくなった。  
通史編1(古代・中世) (湊安藤氏の誕生)

の動乱が起きていたというちょうどそのころ、下国安藤盛季の弟鹿季が足利義満に謁見ののち秋田湊に移住し、秋田城介顕任,しかしながら、秋田城介の一党が南朝方に加担したことにより、責任を問われて改替され、それへの抵抗として津軽側
通史編1(古代・中世) (前九年合戦の勃発)

前九年合戦の勃発 永承六年(一〇五一)、陸奥守藤原登任が、安倍氏の勢力伸張を制するために、秋田城介平重
通史編1(古代・中世) (北の富の搾取)

蝦夷の内部でも、その時々の情勢によって、ある蝦夷の村は国司(鎮守府将軍・秋田城介)についたり、また別の
通史編1(古代・中世) (乱の勃発)

時の秋田城介は良岑近(よしみねのちかし)で、『藤原保則伝』の名文によれば、彼は「聚(あつ)め斂(おさ)
資料編1(古代・中世編) ([十一世紀])

●長和四年(一〇一五)十一月四日、秋田城介奉好、藤原道長に貢馬。
資料編1(古代・中世編) ([十四世紀])

●応永元年(一三九四)、安藤庶季(鹿季の誤りか)、将軍義満の命を受けて秋田城介顕任を滅ぼし、これに替わるという
資料編1(古代・中世編) ([十六世紀])

●天正三年(一五七五)十一月、織田信長、嫡子信忠を秋田城介に任官させ、さらに家督を譲る。
資料編1(古代・中世編) (第一章 綱文・史料一覧)

………………………… 御堂関白記 104 ●長和四年(一〇一五)十一月四日、秋田城介奉好、藤原道長に貢馬,秋田湊文書・秋田風土記 227 ●応永元年(一三九四)、安藤庶季(鹿季の誤りか)、将軍義満の命を受けて秋田城介顕任,… 愚耳舊聴記・永禄日記・封内事実秘苑 318 ●天正三年(一五七五)十一月、織田信長、嫡子信忠を秋田城介,… 秋田城介実季公御一代荒増記・新羅之記録・秋田家文書 345 ●天正十七年(一五八九)四月、南部勢、
資料編1(古代・中世編) (出典・典拠一覧(第一章・第二章))

秋田家文書 …………………… 原本〔宮城県仙台市-東北大学〕・『文化』九-九・『秋田家蔵品展観目録並解説』 秋田城介御一代荒増記
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