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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
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通史編2(近世1)
(高照神社「御告書付」の開始)
高照神社
「御告書付」の開始 次に、
高照
(
たかてる
)
神社
(中津軽郡岩木町)に所蔵されている「御告書付(,
高照神社
は、四代藩主信政を祀り、津軽弘前藩において岩木山
神社
とともに厚く信仰された
神社
である。,この
高照神社
には、次の史料(大正五年「
神社
創設ノ由来」
高照神社
蔵)に示された内容の「御告書付」が、享和元年,ところで、
高照神社
に残る最も古い「御告書付」は享和元年(一八〇一)のものであるが、「国日記」によれば
高照神社
創建時,その意味で、
高照神社
蔵「御告書付」の残存状況は本来的なものとしてよい。 /
高照神社
「御告書付」の開始
通史編2(近世1)
(寺社政策)
「高岡霊験記(たかおかれいげんき)」は
高照
(
たかてる
)
神社
の祭司役後藤兵司(ごとうへいじ)が、宝暦改革,それは、四代藩主信政(のぶまさ)を祀(まつ)り、領内で最高の権威を誇る
高照神社
に対しても例外を認めず、,
高照神社
においても知行地は蔵入りとなって標符渡しとなった。,図144.
高照神社
この時期、藩の都市政策の一環としての弘前城下の屋敷改めのなかで、境内・寺社地
通史編2(近世1)
(飢饉に至るまでの経緯)
藩は七月・八月と長勝寺や百沢寺(ひゃくたくじ)下居宮・
高照
(
たかてる
)
神社
・猿賀(さるか)
神社
で五穀豊穣,
高照神社
の神官が、今さら祈祷をやっても無駄だから止めるべきと言上したものの、用人は江戸からの指示なので
通史編3(近世2)
(江戸時代中期の建築)
また岩木山
神社
の本殿・奥門・瑞垣(みずがき)・中門は、下居宮(おりいのみや)として日光東照宮に倣って造,『重要文化財 岩木山
神社
本殿外四棟修理工事報告書』には、「貞享四年(一六八七)が将軍綱吉の四十二歳の厄年,巖鬼山(がんきさん)
神社
の本殿は、保存されている元禄四年(一六九一)の棟札に「――十一面観世音精舎一宇,
高照
(
たかてる
)
神社
の本殿・中門・拝殿および幣殿(へいでん)・随神門(ずいしんもん)は、四代信政が神式,図238.
高照神社
拝殿 随神門は県内では珍しく三間一戸の八脚門(やつあしもん)であり、切妻造の
通史編3(近世2)
(二 藩主の日常生活)
午前十一時すぎ山吹ノ間へ出座し、多膳と会い藩政について用談・決裁――来年高岡霊社(たかおかれいしゃ)(現
高照
,(
たかてる
)
神社
)へ参詣の名代は渡辺将監(しょうげん)とする件、在々において役人の農民の扱い方が厳しすぎ,十二日、正午に款冬(かんとう)ノ間で家老添田儀左衛門(そえだぎざえもん)と会い、来年正月の高岡霊社(現
高照神社
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