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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編1(古代・中世) (非かわらけ地域)

非かわらけ地域 さて、もう一つの問題はかわらけである。,、「非かわらけ地域」とでもいえる状況になる。  ,東日本における陶磁器とかわらけの比率を大きな目で比較したのが、図47である。,千葉県の真里谷(まりやつ)城は、面積の割に出土陶磁器・かわらけの量は少ないが、それでも五六パーセントのかわらけが,ここで「かわらけ」がもっている器としての性格の問題が浮かび上がる。 / 非かわらけ地域
通史編1(古代・中世) (かわらけと陶磁器)

かわらけと陶磁器 中崎館遺跡から出土する遺物のなかでもっとも特色のある遺物が「かわらけ」(写真80),主として宴会など非日常的なハレの場で使用することから「かわらけ」という名称を付し、「清浄な器」という特別,写真80 中崎館遺跡出土のかわらけ  この「かわらけ」が一二世紀後半から一三世紀前半にかけて、弘前,「かわらけ」には大きさによる大小二タイプと、成形技法による「手捏(づく)ね」と「回転台使用(底が糸切り,かわらけとともに注意しなければならない点は、中国製の白磁(はくじ)・青磁(せいじ)や日本製の瀬戸(せと / かわらけと陶磁器
資料編1(考古編) (1.12世紀の様相)

浪岡城内館・中崎館遺跡・伝山王坊の出土品があり、蓬田大館遺跡では中国製の青磁・白磁碗と渥美と推定される甕及びかわらけ,、高館遺跡では中国製白磁小皿、浪岡城内館では中国製白磁四耳壺・合子・碗と須恵器系甕・常滑渥美系甕及びかわらけ,、中崎館遺跡では中国製青磁劃花文碗・白磁碗・珠洲壺・甕・鉢及びかわらけ(カラー図1~4)、伝山王坊では,カラー図3 中崎館遺跡出土陶磁器(3) 1~6珠洲鉢、7~9珠洲壺 カラー図4 中崎館遺跡出土かわらけ
資料編1(考古編) (-中世Ⅰ期(12世紀代)-)

中崎館・内真部・蓬田大館・浪岡城内館・矢立廃寺においては、大小2種類で、2技法をもった在地及び京都系かわらけ,、須恵器系及び瓷器(しき)系国産陶器、青磁・白磁等の輸入磁器などが組み合わさる  かわらけは、ロクロ,図50 12世紀の土師器(かわらけ) 図51 津軽地方の擦文土器(1) 図52 津軽地方
資料編1(考古編) ((4)12世紀代)

また、同時にロクロ製や手づくね製の二種類の「かわらけ」と呼ばれる素焼きの土器も出土している。,「かわらけ」は、京都風の晴れの宴席で使用されるもので、平泉の都市域の中では普遍的に出土している。,しかし、都市域を離れると「かわらけ」の出土する遺跡は極めて限定されるにもかかわらず、津軽地方には前述のような,12世紀の津軽地方を中心とする地域は、遺跡の数、あるいは出土遺物の中での、「かわらけ」や中国製陶磁器・
資料編1(考古編) (4.中崎館遺跡)

井戸跡内からは、上記の井筒のほか、折敷・樋底・箸・瓢箪製杓子等の木製品、陶磁器・かわらけ・鉄製品が出土,出土遺物には、青磁・珠州焼・かわらけ・鉄器・石製品がある。,⑦かわらけ(カラー図4) 本遺跡からの出土遺物中、出土量が最も多いのが土師質の皿形土器である。,この「かわらけ」は、Ⅱ郭に多く分布し、中でも大型の掘立柱建物跡周辺に集中する。,「かわらけ」は一部のものを除き、儀礼的な饗宴の場で使用されることが多く、ロクロ使用のものは11世紀から
通史編1(古代・中世) (陶磁器と地域社会)

事例としては特殊な部類に入るため、すべての陶磁器がそのようにされたわけではないが、かわらけの稀少性とともに,これらの陶磁器・かわらけ、さらには煮炊具である鉄鍋と、調理・貯蔵具として鉢・甕の列島的な分布から、中世後期,陶磁器に関しては日本海交易圏でありながら、かわらけという器ををほとんど使用しない地域であり、基礎的な生活文化
資料編1(考古編) (7.陶磁器の組成)

弘前市内の遺跡を中心として12世紀から17世紀代の比率を見ると、12世紀後半を主体とする中崎館では陶磁器とかわらけが,双方50%となり、以後かわらけが出現しなくなる。,0 9 237 797 90 0 産地不詳 0 16 0 8 0 8 407 464 22 39 かわらけ,160 0 0 0 0 0 0 0 0 0 ※浪岡城・境関館出土かわらけは除いてある。
通史編1(古代・中世) (四耳壺の出土)

などに描かれている状況をみると、白磁四耳壺は酒器、つまり酒を入れる器として使用し、柄杓(ひしゃく)などでかわらけに,平泉では同時に出土するかわらけの量が一〇トン以上と厖大(ぼうだい)なことから、お祝い事や主従の契りを交,わす重要な宴会の酒器として白磁四耳壺とかわらけが使われたのであった。,このうち、一定量のかわらけとともに出土するのは浪岡城跡内館と中崎館遺跡だけであり、酒宴の器と見なすことができる
通史編1(古代・中世) (奥大道と文物の流通)

また出土遺物も質・量ともに豊富で、陶磁器とともに大量のかわらけが出土している。,かわらけとは素焼きの土器で、儀式的な宴会の際に、使い捨ての食器として使用されるものである。,このかわらけを使用した宴会は京都の貴族の世界で行われていたことであり、平泉の地でも京都風の宴会を行っていた,かわらけは京都との文化的な距離を示す尺度となり、平泉は京都に近い地方都市であったことがわかる。
通史編1(古代・中世) (竪穴から掘立柱へ)

遺物の出土状況を見ると、Ⅲ期、Ⅳ期と考えた区画施設(溝)から、かわらけや陶磁器の出土比率が高く、Ⅴ期以降,中崎館遺跡は陶磁器やかわらけの出土によって年代的な面が理解できるとともに、饗宴を催した空間であることにも
通史編1(古代・中世) (舶載と国産)

にすれば、出土陶磁器のうち中国製品の量が国産製品の量を凌(しの)ぐという現象と、政庁的な場面で使用される「かわらけ,たしかに、畿内周辺での陶磁器の経済的価値をみると、かわらけが一文に対して中国製染付皿三文、中国製白磁菊皿一五文
通史編1(古代・中世) (陸の道・海の道)

前述した「かわらけ」の波及と軌を同じくしており、その出土地点は「奥大道」のルートと近いことがわかる。
通史編1(古代・中世) (擦文文化の終末年代)

弘前市中崎館遺跡堀跡(SD01)の堆積土および底面から出土した擦文土器が、一二世紀後半以降の製作と推定されるかわらけと
資料編1(考古編) (資料編1「考古編」掲載図・表・写真一覧)

) 図49 10・11世紀の土師器(甑・羽釜・内耳土堝・土製かまど) 図50 12世紀の土師器(かわらけ,(珠洲系) 図59 中崎館遺跡SD01堀跡出土陶器(珠洲系) 図60 中崎館遺跡SD01堀跡出土かわらけ,(1) 図61 中崎館遺跡SD01堀跡出土かわらけ(2) 図62 中崎館遺跡SD01堀跡出土かわらけ,中崎館遺跡SE04井戸跡 写真 中崎館遺跡SE08井戸跡(井筒出土状況) 図71 中崎館遺跡出土かわらけ,境関館遺跡出土古銭一覧    ■巻末カラー図 1~3  中崎館遺跡出土陶磁器 4   中崎館遺跡出土かわらけ
通史編1(古代・中世) (北日本の地域差)

陶磁器組成の比較  つまり、志苔館は居館内部で宴会等の食膳行為を行うことが主体であり、若干ではあるがかわらけの
資料編1(考古編) ((1)東北地方南部以南との交易・交流)

から直線距離にして約200kmも離れているにもかかわらず、遺跡の数、あるいは出土遺物の中での「京都系かわらけ,この時期の搬入品としては、「京都系かわらけ」(中崎館・浪岡城内館・蓬田大館・内真部)、常滑・渥美系の瓷器系陶器
通史編2(近世1) (窮民対策)

図104.弘前市専修寺の餓死供養題目塔  九月中ころ、瓦(かわらけ)町・猫右衛門(ねこえもん)町
通史編3(近世2) (平清水三右衛門による作陶)

一般向けを含めた茶碗・皿・砂糖鉢・したみ茶碗鉢・銘酒つぼ・辛味(からみ)入れ・焙烙(ほうろく)・盃土器(かわらけ,御用の分としては多いと思われるが、これらは破損などのために消耗度が高かったうえ、土器投(かわらけなげ)
通史編3(近世2) (宝暦期の城下)

また、町方と思われる町に武士の居住がみられ、たとえば、土器(かわらけ)町に八四軒、西大工町に六軒、大工町
通史編4(近・現代1) (大区小区制の成立)

川端丁 西川岸丁 坂本丁 田代丁 山下丁 徳田丁 南柳丁 北柳丁 南横丁 萱丁 植田丁 緑町 北土器(かわらけ
資料編1(考古編) (6.独狐遺跡)

該期の出土遺物は、ロクロ使用の小型皿(かわらけ)・白磁小壺・劃花文(かくかもん)青磁椀・珠洲鉢・渥美壺
資料編1(考古編) (5.荼毘館遺跡)

ほかに、12世紀代の大小のかわらけの皿が少量ある。須恵器は長頸壺、大甕であるが個体数は少ない。
通史編2(近世1) (中世の北国海運)

また、奥州藤原氏との関連が推測される京都系のかわらけが、岩木川水系の要所で出土しており、十三湊が岩木川水系
通史編1(古代・中世) (北奥における建郡)

また平泉からは京都文化の流れを引く「かわらけ」が大量に出土するが、それは時代が降るものの、津軽にまで及
通史編2(近世1) (土着策と弘前城下)

小人町・長坂町・御徒町(おかちまち)・御徒町川端(かわばた)町・徳田町・田代町・山下町・西川岸町・瓦(かわらけ
資料編1(考古編) (〈注及び参考文献一覧…第3章〉)

312 東北大学東北文化研究会編 『奥州藤原史料』 1978年 *313 松本建速 「柳之御所跡出土かわらけ
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