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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編4(近・現代1) (りんご生産の展開と農業振興)

りんご生産の展開と農業振興 津軽地方の水田地主は、明治三年(一八七〇)の弘前藩による土地取り上げによって,このようにりんご生産量の増大に伴って積極的な市場開拓が大きな課題として浮上してきたのである。 / りんご生産の展開と農業振興
通史編5(近・現代2) (台風一九号とりんご被害)

倒木五六万七〇〇〇本を加えると、その総額は七四一億七〇〇〇万円に達し、その額は前年の平成二年(一九九〇)のりんご,生産額に匹敵した。,さらに、県りんご協会は、十月十八日、弘前市で「台風十九号災害青森県りんご生産者決起大会」を開催し、①迅速,このほかにも、銀行、郵便局などさまざまな団体が援助の手を差し延べ、りんご生産者を勇気づけるかつてない行動
通史編4(近・現代1) (大正期のりんご流通)

少数の大経営者を除けば、集約的経営方針をとったりんご生産者が自己出荷できる道は限定されていた。,りんご生産者がとるべき手段は、農民共同組織の結成であったが、農民的りんご販売に精力を注いでいた産業組合,写真175 津軽林檎輸出問屋皆川商店のりんご荷積み風景(明治38年)  りんご生産量が着々と伸びるなか
通史編5(近・現代2) (りんごの自由化と産地の対応)

国内のりんご生産量は、一時、一〇〇万トン前後で推移していたが、平成時代に入り九〇万トン台に低下している,とはいえ、青森県のりんご生産量は減少傾向にあり、この背景には、バブル崩壊後の消費不況、りんご輸入の影響,をかけたいアメリカは、日本の植物防疫法が障壁になっていることを重視し、その緩和を迫る行動に出ており、りんご,生産者の心配の種となっている。
通史編5(近・現代2) (戦時下のりんご統制)

戦時下のりんご統制 戦時色が濃くなる前の昭和十年代半ばまで、青森県のりんご生産は最も好況に恵まれ、小規模,青森りんごの袋掛法は明治末から導入されたが、大正十五年(一九二六)にはりんご袋の機械生産が始まり、りんご,こうした中でりんご生産に対する風当たりがいっそう強まった。,てられたにもかかわらず、もも、かき、さくらんぼ等の整理でりんごの整理を回避するなど、県としての実質的な態度はりんご,生産の保護であった。  
通史編5(近・現代2) (青森県りんご協会の発足)

五、りんご生産進展のための印刷物、講習。  六、研究機関に対する積極的な自主的援助。  
通史編5(近・現代2) (朝日シードルの進出)

反動恐慌以降、繭価の下落により養蚕業からりんご栽培に転換した長野県など、大消費市場である東京に近い地域のりんご,生産が安定してくると、県産りんごは生りんごだけの販売では競争に耐えられなくなり、加工販売事業の拡大が急務
通史編5(近・現代2) (終戦直後のりんご景気)

これはまさしくインフレの激しさを示すものだが、りんご生産者にとっては、これまで経験したことのないりんご,表16 りんごの生産額、販売額と米代金、県財政との比較   昭和21年 昭和22年 昭和23年 りんご,生産量 (箱) 3,172,916 8,997,823 13,769,266  〃 生産額 (円) 350,388,574
通史編4(近・現代1) (義務教育の延長)

当時、産業不振の本県とはいえ、日露戦争勝利による北洋漁業海域の拡大、缶詰工業の創業、りんご生産の向上発展
通史編5(近・現代2) (米穀の統制と自作農創設)

一九四〇)の「苹果地帯農業経済調査青森県中津軽郡 清水村」(資料近・現代2No.二三〇)は、この時期、りんご,生産が米作より有利であることを実証した克明な調査報告書である。
通史編5(近・現代2) (りんごの唄と空前のりんご景気)

例えば、昭和二十三年(一九四八)産のりんご生産額は九〇億六〇〇〇万円で、供出米の代金三二億円と比べると
通史編5(近・現代2) (りんご加工業と輸出)

また、大正期のりんご生産量の低迷と価格の高騰もあり、輸出の必要性も薄れていた。  
通史編5(近・現代2) (りんご栽培の進展)

昭和初期のりんご生産は青森県産(津軽地域が中心)が全国の七割-八割を占め、独占的な地位にあった。
通史編4(近・現代1) (組織的活動-化育社)

を生産することへの意欲をかき立て、特に農談会の共進会でとりわけ農民の目を引いたのは高収入が期待されるりんご,生産であった。
通史編4(近・現代1) (外崎嘉七と島善鄰-りんごの神様と恩人)

大正十一年(一九二二)、りんご研究のために渡米した島は、『リンゴ生産事業に関する調査』(大正十二年十二月
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