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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
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通史編4(近・現代1)
(アメリカに伝える禅の心)
アメリカ
に伝える禅の心 明治三十八年、凶作や戦争で資金が尽き、渡米を考えた。,ともかく明治三十九年(一九〇六)から大正十二年(一九二三)までの一七年間、如幻は
アメリカ
社会に深く沈潜,しかし、
アメリカ
は拝金国である。,しかし、深く如幻に接し、如幻から信頼され、如幻の著『
アメリカ
人の仏教』を訳した徳沢龍譚は、如幻は春風駘蕩,
アメリカ
なる如幻尊者御遷化(せんげ)三句 慟哭(どうこく)の果ててありけり 五月富士 アラスカの雲飛 /
アメリカ
に伝える禅の心
通史編5(近・現代2)
(米国より人形贈らる)
米国より人形贈らる 昭和二年(一九二七)、児童国際親善のしるしとして
アメリカ
の児童から日本に多数の人形,そのような両国間の緊張緩和をねらって行われたのが、
アメリカ
から贈られた国際親善人形使節であった。,七月四日、弘前市各小学校は図画・作文・習字の成績品を市を通して
アメリカ
に贈り、本県から
アメリカ
に贈る日本人形,なお、
アメリカ
から贈られた人形は、現在、弘前市では青柳小学校と船沢小学校に保存されている。,写真49 富栄尋常小学校(現船沢小)
アメリカ
親善人形を贈られる(昭和3年)
通史編5(近・現代2)
(食糧対策)
この食糧危機を救済したのが
アメリカ
軍の救援物質である。,弘前市に限ってのことではないが、
アメリカ
軍からの食糧供給によって食糧難が避けられた自治体は多い。,戦時中、「鬼畜米英」と蔑視意識を植え付けられ、恐怖の対象でもあった
アメリカ
に対し、戦後の日本は日米安保条約,
アメリカ
の社会や文化に対するあこがれや関心、そして絶対的な好意をもつ点に象徴的である。,それにはいろいろな原因があるが、
アメリカ
に対する好意は、民主化政策の導入と食糧や諸物資を提供してもらい
通史編5(近・現代2)
(りんごの自由化と産地の対応)
しかし、平成五年(一九九三)ニュージーランド産、同六年
アメリカ
産りんご、同九年フランス産、同十年オーストラリア・タスマニア,産りんご、同十一年
アメリカ
産ふじの輸入が解禁となるなど、りんごを含めて果実の全面的輸入自由化時代に突入,そのために輸出攻勢をかけたい
アメリカ
は、日本の植物防疫法が障壁になっていることを重視し、その緩和を迫る,
アメリカ
の対日りんご輸出戦略は国内における「ふじ」の増産とそれを背景とした輸出にあり、新たな産地対応策,での農協と商人系との協力、健康・美容指向とを結び付けた機能性食品としてのりんご消費の宣伝、東南アジアや
アメリカ
ヘ
通史編5(近・現代2)
(経済九原則の実施、ドッジ・ラインと不況の到来)
ドッジ・ラインと不況の到来 インフレーションの進行に歯止めをかけようと官民挙げて運動を行っているさなか、
アメリカ
,
アメリカ
は、多額の援助を必要とする日本経済の現状を改革し、自立的な日本経済の再建策を実施することを目指,ドッジは、日本経済が、価格差補給金と
アメリカ
の援助による輸入物資という二本の竹馬の足に乗っているとして,ドッジ・ラインの実施とほぼ同時期に、
アメリカ
からシャウプ使節団が来日し、日本の税制を調査してその改革を
通史編5(近・現代2)
(週五日制の実施)
これは、進駐軍軍政部が
アメリカ
方式を押しつけたもので、県教育委員会としては、実施したくなかったというのが,しかし、占領中の
アメリカ
軍政部の勧奨なので、不本意ながら実施したものである。
通史編2(近世1)
(箱館開港をめぐる全国的動向)
アメリカ
東インド艦隊司令長官ペリーの浦賀(うらが)来航である。,和親条約の規定によって
アメリカ
から総領事ハリスが安政三年に来日し、老中阿部正弘(あべまさひろ)や大老井伊直弼,
アメリカ
の他にもオランダ・ロシア・イギリス・フランスとの間でも同様の条約が調印されたため「安政の五ヵ国条約
通史編5(近・現代2)
(日本再軍備と自衛隊の誘致)
敗戦で日本は
アメリカ
を中心とする連合軍から、陸海軍部隊の武装解除と組織の解体を強制された。,けれども
アメリカ
の極東政策が逆コースを辿ったことや、進駐軍の撤退に伴う自国の防衛措置が必要だと痛感する
通史編5(近・現代2)
(昭和初期の弘前女学校)
昭和初期の弘前女学校 昭和三年十二月、校長ミス・ラッセルは日本における伝道と教育の任務を終え、母国
アメリカ
,
アメリカ
のミッション・ボード(外国伝道局)の寄贈金五万ドルと同窓生の寄付金を充てて建てられたもので、施工者
通史編2(近世1)
(対外交易の実態)
受けるように布達したり(同前安政六年八月二十一日条)、青森浦町村(うらまちむら)三郎次の孫娘が箱館で
アメリカ
,異国船は
アメリカ
・イギリス・ロシア・フランス各国のもので、ほかに広東(カントン)人も箱館に来航していると,安政四年(一八五七)閏五月、金木屋では
アメリカ
から注文があったとして、米三万俵・大豆・大和錦・カンテン・,樟脳(しょうのう)・緋縮緬(ひぢりめん)・卵・塗り物蒔絵(まきえ)などが書き上げられており、又三郎は
アメリカ
通史編4(近・現代1)
(御真影奉置所の設置)
石川小学校奉安殿落成式 (昭和4年5月) なお、昭和二十一年(一九四六)一月、日本敗戦後
アメリカ
,進駐軍は各学校に下賜された御真影の回収を命じ、二十二年に至って、再び
アメリカ
進駐軍の命によって、奉置所
通史編5(近・現代2)
(柔道で世界を制覇した男)
講道館主嘉納治五郎は光世を
アメリカ
に派遣することを決意する。 ,以来、
アメリカ
、ヨーロッパ、中南米の各地を駆け回り、世界の強豪と歴戦する。
通史編5(近・現代2)
(高度成長の開始)
高度成長の開始 昭和二十六年(一九五一)に
アメリカ
のサンフランシスコで、
アメリカ
・イギリスと日本との
通史編2(近世1)
(金木屋日記にみる対外危機)
この他にも又三郎は
アメリカ
について見聞したことを書き留めている。,たとえば七月十九日の条では、
アメリカ
という国は「中々大世界」で、日本の東にあり、国土は一〇〇倍もあると,このような危機感は
アメリカ
やイギリスに対してだけでなく、寛政年間よりたびたび北辺を脅かしてきたロシアにも,図193.
アメリカ
人船頭の図
通史編5(近・現代2)
(高度経済成長の終焉)
高度経済成長の終焉 昭和四十六年(一九七一)に、
アメリカ
のニクソン大統領は、金とドルの交換停止を主な,昭和六十年の
アメリカ
での五ヵ国蔵相・中央銀行総裁会議におけるプラザ合意による円高の容認は、日本にバブル
通史編4(近・現代1)
(出生の真実と仏苗学園)
仏苗学園 昭和三十三年(一九五八)五月七日朝、宿なし流浪の禅僧と言われた千崎如幻(せんざきにょげん)は、
アメリカ
,の『海を渡った禅僧』や島野栄道の『心に東西なし』で具体的な活動を知り得るが、しかし、ある宗教雑誌に「
アメリカ
,しかし、如幻は
アメリカ
から父のもとへよく手紙を書いてよこした。
通史編4(近・現代1)
(日本聖公会弘前昇天教会(山道町))
設計者は
アメリカ
人ジェームズ・ガーディナー、請負大工は林緑、れんが造りの平家建て、ゴシック様式にまとめられ
通史編5(近・現代2)
(朝鮮戦争による特需と商店街)
昭和二十五年(一九五〇)に朝鮮戦争が起こると、戦争の当事者となった
アメリカ
軍が必要な物資を日本で調達し
通史編5(近・現代2)
(第九回夏季オリンピック・アムステルダム大会出場・井沼清七)
相手は世界記録を持つ
アメリカ
とスヰス、ハンガリー、トルコ等で日本軍は井沼、大澤、南部、相澤のメンバーで,
アメリカ
(四十一秒二)ハンガリー、スヰス、日本の順となりハンガリーは反則除名された。
通史編4(近・現代1)
(ジョン・イングの貢献)
はみずからの指導方針に従ってカリキュラムや使用する教科書などを変更し、明治十年前後の東奥義塾は、事実上
アメリカ
,写真46 東奥義塾物理教科書 次にイングの重要な貢献として挙げられるのは、
アメリカ
の大学で当時,ジョン・イング一家を囲んで(明治9年) イングは以上のほかにも、明治十年には東奥義塾生五人を
アメリカ
通史編5(近・現代2)
(不当な評価を是正したい)
今官一の『牛飼いの座』(昭和三十六年 講談社刊)は「北海道開拓に大功労のあったエドウィン・ダンという
アメリカ
,
アメリカ
のオハイオから日本に来て、北海道農業の建設者となり、代々木で八十二歳の生涯を終えたエドウィン・ダン
通史編5(近・現代2)
(在日朝鮮人問題)
当初は
アメリカ
の進める民主化政策を踏襲していた日本も、しだいに
アメリカ
の極東戦略に準じ、冷戦の一端を担
通史編3(近世2)
(武芸奨励)
武芸奨励 嘉永六年(一八五三)、
アメリカ
東インド艦隊司令長官ペリーが開国要求の国書を携え軍艦四隻を率
通史編4(近・現代1)
(私学東奥義塾の終焉-公立への移管)
たとえばイングは「文学社会」だけではなく、議事運営の具体的な方法や
アメリカ
の青年たちの政治参与のあり方,また、ここでは詳述できなかったが、明治十年に
アメリカ
に送り出した留学生たちも、渡米後すぐに現地の大学に
通史編5(近・現代2)
(社会教育研究大会)
参加者は
アメリカ
進駐軍の青森軍政部民間情報教育部係官、文部省係官をはじめ県関係者、県立図書館長、県社会教育委員,この社会教育研究大会は、
アメリカ
軍政府の指導に行われたもので、戦後の社会教育の方向を決めたものとして重要
通史編5(近・現代2)
(誘致の決定と市当局の動向)
それに国家防衛問題と平和憲法をめぐるイデオロギー対立、
アメリカ
との外交関係など、国家的規模の問題が関与
通史編3(近世2)
(宮古湾海戦)
甲鉄は、二月三日、政府が
アメリカ
から引き渡しを受けたばかりの最新鋭の装鉄艦だった。,同艦はもともとは幕府の発注により建造された艦なのだが、
アメリカ
が局外中立の立場をとっていたので、引き渡
通史編4(近・現代1)
(草創期の外国人教師たち)
また、マックレーは弘前を離れた後、一八七八年に
アメリカ
に帰国したが、その後日本でのみずからの体験を書簡集,の形でまとめて、明治十九年(一八八六)に
アメリカ
で出版した。,イングは、マックレー同様宣教師の息子として
アメリカ
に生まれた。,また、教え子の珍田捨巳と佐藤愛麿が二人続いて
アメリカ
大使として着任したとき、二人はともに恩師イングへの,デービッドソン在職中の東奥義塾は、中学校としての学則も整い、
アメリカ
にも留学生を送り出した後であり、いわば
通史編5(近・現代2)
(職業は寺山修司)
寺山修司にほんとうに驚いたのはヨーロッパの人間であり、
アメリカ
の人間だった。
通史編5(近・現代2)
(土産品開発への模索)
進駐軍将兵たちの大半は
アメリカ
人だった。,しかしこのことは何も
アメリカ
人だけでなく、どこの国の人々も大して変わりはない。
通史編5(近・現代2)
(錦風流尺八(きんぷうりゅうしゃくはち))
アメリカ
の著名な作曲家ヘンリー・カウエル(一八九七-一九六五)が神如道(じんにょどう)の弟子であった玉田如萍,(たまだにょひょう)に学び、一九三〇年代に尺八の曲を作曲しており、日本音楽の禅的な世界を
アメリカ
の作曲家
通史編5(近・現代2)
(地場産業の諸相)
操業を始めると〝ぶなこ〟製品は東京、横浜、大阪などに販売店が設けられ、国内はもとより、
アメリカ
、スウェーデン,昭和二十三年からは東洋紡績の下請けによる
アメリカ
向けテーブルクロスの生産を再開した。
通史編5(近・現代2)
((五)野球)
十一年に
アメリカ
人の宣教師が東奥義塾に伝え、十九年には青森師範で樋口亮教諭が校庭で生徒に野球を指導したと
通史編1(自然・原始)
(衣服)
(オヒョウ)を使い、製作の技法は新潟県地方に伝えられている越後アンギン(縦編法)か、あるいはアイヌや
アメリカ
通史編5(近・現代2)
(連合軍の弘前進駐)
ここに日本は
アメリカ
を中心とする連合国に占領されることになり、それに基づいて各地に連合軍が進駐を始めた
通史編4(近・現代1)
(関東大震災後の巡錫布教)
彼の弟子だが、如幻は海外である程度活躍すると日本へ帰って大寺の住職に納まる宗派性を批判し、みずからは
アメリカ
通史編5(近・現代2)
(忠霊塔建設)
このようにして完成した忠霊塔も、進駐
アメリカ
軍の申し入れがあって、忠霊の「忠」の字を削除、「霊塔」と変
通史編5(近・現代2)
(空襲を受けなかった弘前市)
アメリカ
軍のB29は全国各地を猛攻撃し、八月六日と九日には広島・長崎に原子爆弾を投下した。,七月十四日から十五日にかけて、
アメリカ
軍は青森、八戸、三沢の陸海航空施設を襲撃し、青函連絡船を全滅させた
通史編5(近・現代2)
(進取の建築)
建てられた高谷英城別邸の洋館はコンクリート造二階建てで、フラットな軒の造りや、随所に大谷石を用いて、
アメリカ
通史編4(近・現代1)
(まえがき)
天満宮の菊池群之助(九郎の弟で
アメリカ
留学中に客死)碑は明治十二年建立で、「米人殷(イング)氏之来随学且受洗禮
通史編5(近・現代2)
(石油危機の推移と高度成長の終焉)
石油産出国の
アメリカ
が一気に大量の輸入国となった。
通史編5(近・現代2)
(進駐軍の小学校視察)
それと同じく右のエー・クロスの「覚え書」も、日本の現状を無視して、いたずらに
アメリカ
式を鼓吹するので、
通史編5(近・現代2)
(音楽家たち)
明治三十五年(一九二〇)二十二歳で
アメリカ
に留学し、声楽と作曲を学んだ。
通史編5(近・現代2)
(傷痍軍人の保護)
傷痍軍人の保護 圧倒的な武力と物資をもつ連合軍、とくに
アメリカ
軍の反撃は猛烈で、日本の戦局は急激に悪化
通史編5(近・現代2)
(戦後の佐藤正三)
◇ しかも、それは日本が敗けたとか、
アメリカ
が勝ったとかいふことではない。
通史編5(近・現代2)
(教会堂建築)
元京都河原町の聖ヨハネ教会堂(明治四十年〔一九〇七〕完成・重要文化財)と同じ、J・M・ガーディナー(
アメリカ
通史編4(近・現代1)
(青森県の社会運動の始まり)
弘前市では、日露開戦直後
アメリカ
から帰国した竹内兼七の名が第五八号(明治三十七年十一月三十日)に見える
通史編5(近・現代2)
(終戦直後の東奥義塾)
この年は久しく絶えていた宣教師の配属も復活し、
アメリカ
から二人の宣教師が八月に着任している。
通史編4(近・現代1)
(軍縮と歩兵第五二連隊の廃止)
軍縮と歩兵第五二連隊の廃止 大正七年(一九一八)十一月、
アメリカ
大統領ウィルソンの提案した一四ヵ条の
通史編5(近・現代2)
(高度経済成長と出稼ぎ)
しかし、この時期から本格的に農産物の自由化が始まり、輸入制限品目が次々と外国、特に
アメリカ
の圧力により
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