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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編4(近・現代1) (大津事件~ロシアへの恐怖~)

大津事件~ロシアへの恐怖~ 明治二十四年(一八九一)五月、ウラジオストクにおけるシベリア鉄道起工式に,幸い皇太子は軽傷だったが、青森来迎の予定は変更され、神戸からウラジオストクへ向かうことになった。,皇太子の来日はウラジオストクとの交易などを通じ、地域振興を意図した動きにも大いに関係があった。
通史編4(近・現代1) (日露開戦と第八師団の派遣)

開戦翌日の二月十一日、ロシア海軍のウラジオストク艦隊四隻の軍艦が津軽海峡に現れ、青森・秋田県境の艫作(,ウラジオストク艦隊のゲリラ的な出没と砲撃により、日本側は制海権を奪えず苦戦していた。,けれども八月になって、朝鮮蔚山(ウルサン)沖の海戦で日本がウラジオストク艦隊を大破し、制海権を奪ってからは
通史編5(近・現代2) (りんご加工業と輸出)

青森りんごの輸出は、大正時代に青浦商会がウラジオストクへ輸出したころが最も盛んだったが、大正十一年(一九二二,)にウラジオストクがソビエト政権統治下に入って以降、禁止的関税がかけられて途絶し、ウラジオストク経由の
通史編4(近・現代1) (大正期のりんご流通)

皆川は、同三十二、三年の上海調査兼販売を皮切りに、同三十六年のウラジオストク調査兼輸出、同四十四年のシンガポール,)  りんご生産量が着々と伸びるなか、明治三十九年(一九〇六)、青森港が特別輸出港に指定され、ウラジオストク
通史編4(近・現代1) (シベリア出兵と「尼港事件」)

ウラジオストクをはじめ、ロシア極東方面には多数の日本人居留民が活動しており、日本にとって利害関係が大きく,写真161 大湊要港部 写真162 当時のウラジオストク  日本は革命の混乱を利用して
通史編5(近・現代2) (鉄道敷設の請願)

その理由としては、岩崎および深浦が朝鮮・満洲ならびにウラジオストクに最短航路の軍事上重要な港であり、またその
通史編4(近・現代1) (シベリア出兵と反戦デモ)

大正十年(一九二一)十二月十四日、翌十一年四月には第八師団全部の派遣が決まり、司令部以下青森を出港、ウラジオストク
通史編4(近・現代1) (外崎嘉七と島善鄰-りんごの神様と恩人)

その他、国内のみならず海外(ウラジオストク、上海)の販路拡張、土壌分析、施肥法、栽培法、独自の剪定法(
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