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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編1(古代・中世) (粛慎とは何者か)

北海道に渡ってきたらしく、道北では六世紀ころに画期が求められている、北海道在来の続縄文文化とは異質の、オホーツク,文化の成立が、粛慎の渡来と深く関わるらしい。  ,オホーツク文化とは、海獣の骨を材料とした豊富な骨角器を一つの特徴とする、北方の海洋民の文化である(写真,形質人類学によるオホーツク文化人の頭骨の分析によれば、その由来は、大陸のアムール川流域であるとされている,写真38 オホーツク文化にみる骨角器  この時期、北海道の道北から道東にかけてのオホーツク海沿岸
通史編1(古代・中世) (稀有な北の富)

また独犴皮も北方の犬の毛皮(おそらくオホーツク文化の産品。,オホーツク文化のなかで、犬が生業のなかに定着していたことは考古学的に証明されている。,この独犴皮こそ、オホーツク文化と日本との交渉を示す貴重な文献史料なのである。  
資料編1(考古編) ((2)北方文化との交易・交流)

しかし、サハリンやオホーツク文化とは様相を異にしており、この文化圏の文物が北海道道央部に散見するが、津軽地方
通史編1(古代・中世) (前九年合戦の勃発)

津軽海峡を挟んで本州と北海道が活発な交流を展開していた時期であり、さらに北では、擦文(さつもん)文化がオホーツク,文化を吸収しつつある時代でもある。
通史編1(古代・中世) (エゾ=アイヌ)

写真66 常呂川河口遺跡の住居跡(北海道常呂町) 写真67 オホーツク文化の墓(北海道常呂町
通史編1(古代・中世) (弥生文化と続縄文文化)

という人間集団の経済的要求に起因するものであり、さらにまた、サハリン鈴谷(すすや)貝塚を標準遺跡とし、オホーツク,文化出現期に関わる鈴谷式土器の南下という現象も少なからず関係していたものと考えられる。
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