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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編5(近・現代2) (夏季オリンピック)

夏季オリンピック 弘前市出身のオリンピック・メダリストで、不世出の天才と呼ばれたのがレスリングの赤石光生,わけても、昭和五十九年、夏季オリンピック・ロサンゼルス大会六二キロ級フリースタイルで銀メダルに輝いたのである / 夏季オリンピック
通史編5(近・現代2) (冬季オリンピックへ出場)

冬季オリンピックへ出場 弘前市にゆかりの深いスキー選手で、冬季オリンピックに出場した選手は、延べにして,そのトップを切ったのが、昭和十一年、第四回冬季オリンピック・ガルミッシュ大会の距離種目に出場した山田伸三,さらに、四十三年、冬季オリンピック・グルノーブル大会、四十七年には札幌大会に出場し、二大会連続出場をなした,冬季オリンピックは、第一七回リレハンメル大会、第一八回長野大会と出場し、そして、木村にとって最後のオリンピック / 冬季オリンピックへ出場
通史編5(近・現代2) (オリンピック聖火を迎える)

オリンピック聖火を迎える 昭和三十九年十月十日から三週間にわたって、第一八回オリンピック東京大会が開,この年一年間は日本全体がオリンピックブームに沸いたが、大会に先立ってオリンピック聖火が東京に着いた。,写真193 オリンピック東京大会、聖火ランナー弘前公園市営球場に到着(昭和39年7月) / オリンピック聖火を迎える
通史編5(近・現代2) (第九回夏季オリンピック・アムステルダム大会出場・井沼清七)

第九回夏季オリンピック・アムステルダム大会出場・井沼清七 平成十六年の第二八回夏季オリンピック・アテネ,大会に、青森県出身の八人の選手が出場したことは前述したが、初めてオリンピックに参加した県人が井沼清七(,そして、昭和三年(一九二八)、第九回夏季オリンピック・アムステルダム大会の四百メートルリレー選手として,(同前No.六九二)  オリンピックでは不本意な成績に終わったが、その年に開催された第九回極東オリンピック / 第九回夏季オリンピック・アムステルダム大会出場・井沼清七
通史編5(近・現代2) ((一)近代スポーツと弘前)

(一)近代スポーツと弘前 平成十六年八月十三日に幕を開けた第二八回夏季オリンピック・アテネ大会は、日本,「オリンピック」発祥の地にして、近代オリンピック第一回開催の地に戻った大会、すなわち原点に立ち返ったという
通史編5(近・現代2) ((三)スポーツの意味するもの)

さらに、競技スポーツにしてもオリンピックや国体等だけではなく、市町村対抗県民体育大会もあれば市民総合運動会,スポーツとは「気晴らしをすること」を意味しているが、しかし、例えば、ソフトボール競技で、世界の頂点たるオリンピック,あのレスリングの赤石光生が、二八年ぶりにオリンピックの舞台に戻ってきたアフガニスタンの選手団の中にいたのである
通史編4(近・現代1) (弘中のスポーツ)

彼は早稲田大学に進み、わが国屈指のスプリンターに成長して、第九回のアムステルダム・オリンピック(一九二八年開催,)に日本代表の選手として出場した、弘中出身にして青森県出身のオリンピック選手第一号である。
通史編5(近・現代2) (三浦雄一郎の活躍)

三浦雄一郎の活躍 オリンピックやその他の国際大会とは異なるが、三浦雄一郎(みうらゆういちろう)の活躍
通史編5(近・現代2) (弘前スキー倶楽部誕生と歴史)

その後昭和から平成まで数多くの選手が冬季オリンピックなどの国際舞台で活躍をしていることを考えれば、この
通史編5(近・現代2) (国際試合で活躍)

国際試合で活躍 オリンピック以外の国際大会で顕著な成績を残した種目の一つに卓球がある。
通史編5(近・現代2) (部活動の推移)

後に松岡はグルノーブル・札幌の両オリンピックで日本距離陣のエースとして活躍した。  
通史編5(近・現代2) (クラブ活動の興隆)

このときのメンバー赤坂明子は、その後冬季オリンピック札幌大会に日本代表として選ばれ、世界の強豪と技を競
通史編5(近・現代2) (報国団の結成へ)

スキー部を創設したが、昭和九年から十二年まで県下男子中等学校スキー大会において驚異の四連覇を遂げており、オリンピック
通史編5(近・現代2) (高度成長の開始)

この後も一時的な不況を挟んで、オリンピック景気、いざなぎ景気、価格景気と好況が続いた。
通史編5(近・現代2) (笹森順造の偉業)

なお、昭和三十九年十月五日には、新装なった日本武道館において、第一八回夏季オリンピック・東京大会でのデモンストレーション
通史編5(近・現代2) (スポーツ王国義塾)

これだけの総合優勝をがち得たチームは東奥義塾をおいてなく、さらに、木村公宣ら数多くの卒業生をオリンピック
通史編5(近・現代2) (男女共学と週五日制)

写真205 男女共学となった弘前中央高校(オリンピック出場のソフトボール斉藤春香選手を囲んで)
通史編5(近・現代2) (スポーツ・文化活動)

王者東奥義塾は、昭和三十三年以来、平成に入ってからも総合全国優勝を重ね、こうした中から、平成四年の冬季オリンピック・アルベールヴィル
通史編5(近・現代2) (弘前南高校の誕生)

開校した年は、アメリカのケネディ大統領が暗殺されるという事件があり、日本では東京オリンピックの準備に忙殺
通史編5(近・現代2) (金賞に輝く合唱)

また、後年、アトランタ、シドニー、アテネと三大会連続で日本代表となり、オリンピックでメダル獲得の原動力
通史編5(近・現代2) ((一)不滅の作家・太宰治)

文学者井上靖氏が、もし日本の文学者から文学オリンピックの代表を一人えらぶとすれば、漱石でも川端康成でもなく
通史編5(近・現代2) ([口絵])

いが「目屋ダム建設一握運動」に… †昭和30年代スナップ† 口絵39 津軽平野ヲ走る東京オリンピック
通史編5(近・現代2) (みちのく銀行の誕生)

マークの作成者は東京オリンピックマークを作成した我が国のトップデザイナーである亀倉雄策で、図柄はみちのく
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