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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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資料編1(考古編) ((1)7・8世紀)

この時期の集落は、一般的に数軒から数十軒ほどの、かまどを持った竪穴住居と、数棟の掘立柱建物跡(倉庫)、,かまどは古墳時代前期から中期にかけて、朝鮮半島からの影響で作られたもので、農耕文化の象徴とも言える施設,炉からかまどへという炊事施設の一大変革は、隣接する東北地方南半部の影響によるものであろう。,煮炊具(甕)の受け口が2個であったのが、8世紀後半以後には1個となることや、かまどの袖の芯材として長胴甕,かまどを北側に設置する風習は、7世紀以後9世紀前葉期までかたくなに守られている。
通史編1(古代・中世) (土器の煮炊から鉄鍋へ)

この現象は、住居内における炊事がカマドを中心とした形態から囲炉裏(いろり)に変化する状況に対応すると考,古代において甕と堝の比率をみると、甕が圧倒的な数を出土することから、古代の場合は固定されたカマドによって,これに対して、浅鉢形の鉄鍋は蒸すよりも「煮る」ことが一義であり、固定したカマドがなくても囲炉裏や炉のような,羽釜は現在の鉄製羽釜をそのまま土器で製作したもので、カマドに置いてコメを煮て蒸すために適した器である。
資料編1(考古編) ((2)9世紀~10世紀前半)

住居の構造は前代と同じく、方形の竪穴で一つの壁際に作りつけのかまどを設置する点は同じであるが、柱の配置,、かまどの構造や設置位置など細部に変化がある。,一般的な住居やかまどの構造は、基本的に律令体制に組み込まれた陸奥・出羽両国の一般集落のものとほとんど異
資料編1(考古編) (2.下恋塚遺跡)

6軒の竪穴住居跡のうち、完掘できた5軒は、いずれも東竪辺あるいは西竪辺に作り付けのかまどが1基づつ設置,下恋塚遺跡調査風景 下恋塚遺跡第1号住居跡全景 下恋塚遺跡第1号住居跡 カマド,検出状況 下恋塚遺跡第3号住居跡全景 下恋塚遺跡第3号住居跡 カマド検出状況
通史編1(古代・中世) (津軽地方の古代信仰)

他にカマド燃焼部から土製勾玉、覆土(ふくど)から手捏(てづく)ね土器四点といった祭祀遺物が出土しており,ほかに、九世紀代の青森市三内遺跡では、第四四号竪穴住居跡カマド前床面から左上顎歯と推定される馬歯が出土,関東地方の例になるが、東京都港区伊皿子(いさらご)貝塚遺跡の九世紀中葉の竪穴住居跡でも、カマドの焚き口部,民俗例では、宮城県から岩手県南部にかけては、カマド神の信仰として土間のカマド付近の柱や壁に土や木の面を
通史編1(古代・中世) (地方色を顕す古代の津軽地方)

図20 10世紀後半~11世紀代の土器  一〇世紀末から一一世紀末は、カマドを有する竪穴住居跡としては,また、高館遺跡第二〇号住居跡カマドからは、輸入白磁破片が出土している。
資料編1(考古編) (-古代後期Ⅳ期(10世紀末~11世紀末)-)

いずれも、かまどを有する竪穴住居としては最終段階のものである。,・11世紀の土師器(把手付土器) 図49 10・11世紀の土師器(甑・羽釜・内耳土堝・土製かまど
資料編1(考古編) ((4)12世紀)

このうち、竪穴建物は明らかに前代までの竪穴住居の系譜を引くものであるが、かまどは設置されておらず倉庫や
資料編1(考古編) ((1)祭祀と仏教文化の波及)

土玉1 9C前半 第1号住居跡 竪穴住居跡 床面 土馬1 土師器 9C前半 第2号住居跡 カマド,竪穴住居跡 床面 土玉2 土製勾玉1 土師器 10C前半 第6号住居跡 竪穴住居跡 床面 カマド,鶉窪遺跡 八戸市大字田茂木字鶉窪 竪穴住居跡 床面 土製勾玉1 土師器 8C中葉~後葉 第2号住居跡 カマド,竪穴住居のカマド内からの出土で、ほかに土製勾玉1点も出土している。,ただ、カマド内や床面からの1~2個出土したものからはカマド神に関する信仰や、竪穴廃棄時の祭祀行為が想定
資料編1(考古編) (3.石川長者森遺跡)

なお、かまど跡及び炉跡は検出されていないが、削平を受けた北東側にあった可能性が高い。,当期のものもⅠ期同様かまどは検出されていない。,竪穴内に柱穴及びかまどは検出されていない。,柱穴は、壁際に5個検出されたが、かまど及び炉は検出されていない。
通史編1(古代・中世) (平安時代の大規模集落)

九世紀中葉には、竪穴住居跡の外周に馬蹄形状に溝をめぐらし、その開口側と同一の南東ないし東方向にカマドの,すなわち、九世紀中葉から一〇世紀前半にかけては、竪穴住居跡と一体の施設としてカマド側に掘立柱建物跡、これらを
資料編1(考古編) (-鍛冶場遺構-)

例でこの構造を見ると、一辺が2m~2.5mの方形の竪穴構造で上屋を持つが、一般住居で普遍的に見られるかまどは
資料編1(考古編) ((1)明治時代から太平洋戦争まで)

これには古代の竪穴住居の構造が具体的に示され、しかも各遺跡の炉(かまど)の構造や素材上での分類、あるいは
通史編1(古代・中世) (七・八世紀代の津軽地方)

する問答のなかに「五穀無く、深山の樹の下を住としている」(史料二六)と記されたこの時期には、造りつけのカマド
通史編1(古代・中世) (弥生文化と続縄文文化)

と称された土器については、かつては墳墓以外の遺構形態がはっきりしなかったが、恵庭市カリンバ3遺跡ではカマド,カマドをもつ方形の竪穴住居は擦文文化を特徴づける重要な文化要素であり、先の特徴をもつ土器群は擦文文化初頭型式
資料編1(考古編) (5.荼毘館遺跡)

①竪穴住居跡 竪穴内に作りつけのカマドを持つ住居跡や、カマドのない竪穴遺構の2つの形態がある。
資料編1(考古編) ((3)10世紀後半~11世紀)

大鰐町砂沢平遺跡) 砂沢平遺跡地形図  この時期の集落を構成する建物では、作りつけのかまどをもった
資料編1(考古編) (15.尾上山(3)遺跡)

東南壁寄りに半地下式のかまどが作られていた。
通史編2(近世1) (飢饉の惨状)

外浜のある廃屋では、竈(かまど)のあたりに骸骨がごろごろ転がっているのを目撃したという。
通史編1(古代・中世) (竪穴から掘立柱へ)

竪穴から掘立柱へ 中崎館においてはカマド付きの竪穴住居はまったく認められず、かわりに掘立柱建物跡を中心
通史編1(古代・中世) (中国製品の出土)

この陶磁器は竪穴建物跡(住居)のカマドから出土したもので、一二世紀ごろの年代観を有している。
資料編1(考古編) ((1)7世紀~8世紀)

特に竪穴住居においては、方形の住居プランを持ち、作りつけのかまどが各戸に設置され、しかも集落毎にいくつかの
通史編1(古代・中世) (本州の擦文文化の実態)

本州の擦文文化の実態 カマドをもつ竪穴住居跡から出土する本州の擦文土器が土師器を伴うことは、東通村稲崎遺跡
通史編1(古代・中世) (ムラの建物)

カマドを有しない竪穴で、舌状に張り出した出入り口のある、いわゆる中世の竪穴建物跡だけを抽出すると図55
資料編1(考古編) (6.独狐遺跡)

したがって、かまどや柱穴等の付属施設の詳細は不明である。
通史編3(近世2) (織座)

また繭を煮るかまどは一五基であった。
資料編1(考古編) (資料編1「考古編」掲載図・表・写真一覧)

48 10・11世紀の土師器(把手付土器) 図49 10・11世紀の土師器(甑・羽釜・内耳土堝・土製かまど,下恋塚遺跡調査風景 写真 下恋塚遺跡調査風景 写真 下恋塚遺跡第1号住居跡全景 写真 下恋塚遺跡第1号住居跡 カマド,検出状況 写真 下恋塚遺跡第3号住居跡全景 写真 下恋塚遺跡第3号住居跡 カマド検出状況 写真 
資料編1(考古編) ((1)東北地方南部以南との交易・交流)

このほか、中国産青白磁も黒石市高館遺跡(11世紀)の竪穴住居のかまど内から出土している。
資料編3(近世編2) (二 町人の住居)

通土間部分には、かつて使用されていた電話室や、「かまど」もそのまま残され、一部に地下室も設けられている
資料編1(考古編) ((2)太平洋戦争後から現代まで)

をなすものと見られていたが、この段階で初めて関東地方の古代竪穴住居と同様に、方形プランで壁際に作りつけのかまどを
資料編1(考古編) (3.野脇遺跡)

掘立柱建物跡13軒、竪穴遺構2基、土坑14基、井戸跡6基、溝・堀跡12本、かまど状遺構2基、埋甕遺構1
資料編1(考古編) (1.境関館遺跡)

(4)検出遺構  検出遺構としては、掘立柱建物跡23棟、かまど遺構129基、堀跡7本、竪穴遺構(建物跡,図105 境関館遺跡 竪穴建物跡(図上)・井戸跡(図中)・出土品(図下) 〔かまど遺構〕 平坦な
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