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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編2(近世1) (寛文蝦夷蜂起の経過)

これがいわゆる「寛文蝦夷蜂起」(シャクシャインの戦い)である。  ,両者の争いが表面化するのは、慶安元年(一六四八)、シプチャリ近辺の集団の「脇大将」シャクシャインがハエクル,しかしその後も対立抗争が絶えず、寛文八年(一六六八)には、ついにシャクシャイン方がオニビシの居所に奇襲,図93.シャクシャイン像  松前藩は急遽(きゅうきょ)鎮圧に乗り出したが、当初かなりの苦戦となった,同年十月二十三日シャクシャインが戦死し、翌日にはシプチャリの砦が陥落した。
通史編2(近世1) (「津軽一統志」の編纂)

⑤為信の戦いに関する史料の提出、⑥為信以前の歴史について何事も申告すること、⑦寛文九年(一六六九)のシャクシャイン,についても対象とし、それを受けて為信の津軽平定の過程の記録を編纂し、さらにもう一つの編纂の力点として、シャクシャイン,そして、最後の巻一〇上・下で、信政の藩主就任から寛文九年(一六六九)の「寛文蝦夷蜂起」(シャクシャイン
通史編2(近世1) ((二)蝦夷地出兵の諸段階)

(1)は寛文九年(一六六九)のシャクシャインの戦いと、寛政元年(一七八九)のクナシリ・メナシの戦いに対応,シャクシャインの戦いについては既に第三章第一節で触れた。,シャクシャインの戦いは、結局松前藩によって制圧されたため、津軽弘前藩は松前に駐屯しただけで帰弘し、また
通史編2(近世1) (近世大名と大名課役)

ここでは、天明年間までの津軽家の大名課役について概観するが、寛文九年(一六六九)の寛文蝦夷蜂起(シャクシャイン
通史編2(近世1) (寛文十年の情報収集)

寛文十年の情報収集 シャクシャインが松前藩に謀殺されたのちも、アイヌと松前藩との対立状況は、寛文十二年
通史編2(近世1) (情報収集活動)

帰国後の両人の報告をまとめると、蜂起の詳しい事情、松前藩の江戸への注進の状況と盛岡・秋田藩の動向、シャクシャイン
通史編2(近世1) (家中払米の展開)

江戸時代前期における弘前藩と夷島(えぞがしま)とのかかわりあいで最大のものは、寛文九年(一六六九)に起こったシャクシャイン
資料編2(近世編1) (【解説】)

寛文九年(一六六九)に蝦夷地で勃発した、シャクシャインに率いられたアイヌ民族の蜂起は、幕藩体制に深刻な
通史編2(近世1) (幕府の蝦夷地政策)

寛文九年(一六六九)のシャクシャインの戦いから一二〇年を経て、幕府は再び津軽弘前・盛岡両藩に対し、松前藩
通史編2(近世1) (寛文蝦夷蜂起と津軽弘前藩)

日本史研究』二三七、浪川前掲書、福井前掲「支配機構の一考察―寛文・延宝期を中心として―」、榎森前掲書および「シャクシャイン
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