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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編4(近・現代1) (ジョン・イングの貢献)

ジョン・イングの貢献 草創期の東奥義塾に五人着任した中でも、イングは現在に至るまでその功績を数々語られている,しかし、イングはみずからの指導方針に従ってカリキュラムや使用する教科書などを変更し、明治十年前後の東奥義塾,当時の日本で英書を教科書として学ぶこと自体はそれほど珍しいことではなかったが、イングの指導はきわめて大,写真47 天覧授業を記念しジョン・イング一家を囲んで(明治9年)  イングは以上のほかにも、明治十年,特にイングによって実現した津軽地方初の海外留学は、受け入れ先であったイングの母校インディアナ・アズベリー / ジョン・イングの貢献
通史編4(近・現代1) (草創期の外国人教師たち)

写真44 マックレーの旅費に関する記録    (三)ジョン・イング John Ing(一八四〇,-一九二〇)  マックレーの後任となったのは、津軽地方にりんごを伝えた人物として知られるジョン・イング,弘前に来てからのイング夫妻の活躍は、半ば伝説化している。,イングに寄り添うようにして弘前での活動を支えた本多庸一は、後に渡米してイングと再会し、その喜びを、「互,イングの紹介であった。  
通史編4(近・現代1) (伊東重と養生哲学)

ジョン・イングから西洋のいろいろな学問の手ほどきを受けたばかりでなく、伊東の住まいは元長町で、元大工町,にあったイングの住居にきわめて近かったので、毎朝の散歩のお伴をするなどして個人的にも多大な薫陶を受けた,伊東重 (第8代弘前市長)  明治八年(一八七五)六月には一三人の学友とともに洗礼を受けており、イング
通史編5(近・現代2) (在府町に生まれる)

開明的であったこの学校は、外人教師を積極的に招聘(へい)し、その中に、本県に初めてりんごを伝えた宣教師ジョン・イング,イングの影響力は強く、羯南は同窓の一戸兵衛(いちのへひょうえ)(陸軍大将)、伊東重(いとうしげる)(医師
通史編4(近・現代1) ([口絵])

自由民権運動† 口絵3 東奥義塾校舎 口絵4 塾長本多庸一 口絵5 外国人教師ジョン・イング
通史編5(近・現代2) (山川市場とふじの登場)

式典には、アメリカからからジョン・イング師の子孫夫妻、駐日米国大使(代理)など、県内外の招待者は一六六七人
通史編5(近・現代2) (伊東重)

伊東は藩医家久の子、東奥義塾に学び、ジョン・イングから受洗、明治十九年東大医学部を卒業した。
通史編4(近・現代1) (東奥義塾の啓蒙活動)

山鹿旗之進(明治十二年卒)の回顧に、「ジョン・イングは年長者に一通りパリアメンド・ロオ(議会制度)を教
通史編4(近・現代1) ([付図])

〈明治8年〉 4 明治天皇ご巡幸〈明治9・14年〉 5 文明開化〈明治10年頃〉ジョン・イング
通史編5(近・現代2) (工業振興政策)

写真170 弘前精機(現キヤノンプレシジョン、石渡地区) 写真171 弘前航空電子(北和徳工業団地,弘前八紘(株) 55.4 57.4 コネクター、ハーネス 20 110 15 (有)アルファーソーイング
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