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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編5(近・現代2) (百貨店の増加)

があったが、これに加え、昭和三十九年(一九六四)に、中小企業近代化資金助成法の適用を受けた新幸(しんこう)デパート,しかし、同デパートは営業不振に陥り、昭和四十一年(一九六六)に経営主体が東海興業に変わり、店舗の名称も,この申請はそのままは認められず、一年後の昭和四十三年から百貨店法に基づくデパートになった。,二十五日の協議会には二十六委員のうち二十二委員が出席、カネ長から出されたデパートの開設申請をどう取り扱,で同店のデパート申請に同意することになった。
通史編5(近・現代2) (商店街の店舗)

角はデパートは特に評価が与えられておらず、デパートとして当然の飾り付けとしている。
通史編5(近・現代2) (洋風建築から近代建築へ)

同様の傾向は、その後の弘前市公会堂、「角は」デパートの設計に引き継がれ、大正十年代からが弘前地方における
通史編5(近・現代2) (弘前相互銀行と青南信用組合の合併)

そして、三十五年九月一日、弘前市代官町に本店を新築するが、四階建ての建物は、当時の弘前では「角は」宮川デパート
通史編5(近・現代2) (東小学校の創立)

また、デパートなど大型店舗や遊戯場が建ち並び、一方、近隣には市学習センターや県武道館、東消防署、弘果市場
通史編5(近・現代2) (大型店舗の出店)

、店舗面積、一万五六六四平方メートル)、ダックシティ(土手町、店舗面積、八五五〇平方メートル)、中三デパート
通史編5(近・現代2) (終戦直後の国民学校)

部隊の宿舎は旧野砲隊兵舎(現市立第三中学校敷地)や弘前公園内兵器庫跡、その本部には接収された「角は」デパート
通史編5(近・現代2) (相次ぐ水害と商店街)

土淵川に関しては、七ヵ所の橋梁が流失し、カネ長デパートほか下土手町商店街が特に大きな被害を受けた。,しく、寺沢川上流大堤が決壊した午後四時ごろは、まだ日没前であつたため、水害の苦い経験を有するスーパーやデパート
通史編5(近・現代2) (弘前手織)

値段はやや高かったが品質は良好で、昭和九年頃、三越デパートの機関誌において、全国まれに見る優秀品として
通史編5(近・現代2) ([付図])

放水試験〈昭和11年〉 11 国防婦人会弘前支部結成〈昭和11年〉 12 「角は」宮川デパート
通史編4(近・現代1) ([口絵])

口絵51 大正4年蓬莱橋開橋 口絵52 大正7年陸奥鉄道開通 口絵53 青森県初のデパートメントストア
通史編5(近・現代2) (相次ぐ火災)

昭和三十九年四月六日には土手町の「角は」宮川デパートから出火、負傷者三人を出した。
通史編5(近・現代2) (市の防災・水防対策)

デパート・映画館などの事業所には、避難設備の整備と避難訓練・防災知識の普及などを要請している。  
通史編5(近・現代2) ([口絵])

紀元二千六百年祝賀聖寿万歳(昭和15年) 口絵15 〝奉祝紀元二千六百年〟の垂幕を掲げた角はデパート
通史編5(近・現代2) (市の対応策と市民の反応)

このほかにも弘前地区の進駐軍の慰安所として、「角は宮川」デパートが接収された。
通史編5(近・現代2) (戦時生活の諸側面)

毎年開催される観桜会やねぷたを楽しむ人々は数多くいたし、「贅沢は敵だ」と言われながらも、土手町の角は宮川デパート
通史編5(近・現代2) (日中戦争の勃発)

写真20 国民精神総動員に垂れ幕を掲げた角はデパート  国民動員体制については、日中戦争の勃発以前
通史編5(近・現代2) (昭和弘前市民の一側面)

角は宮川をはじめとするデパートでのショッピングも、市民の楽しみだった。
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