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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
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通史編5(近・現代2)
(バス事業の拡張)
バス
事業の拡張 日常の市民の足として、弘南
バス
株式会社の路線網は拡充していく一方で、弘前市を起点とする /
バス
事業の拡張
通史編5(近・現代2)
(長距離バスと赤字路線)
長距離
バス
と赤字路線 東北新幹線の開業に合わせて弘南
バス
株式会社では、盛岡駅と弘前市を結ぶ「ヨーデル,号」の運行を始めたり、弘前と東京を約九時間で結ぶハイウェイ
バス
「ノクターン号」の長距離
バス
事業にも乗り,写真181 ノクターン号出発式 しかし、
バス
の利用者は年々減少しており、自家用車の普及に反比例,して、昭和四十四年ごろからは路線
バス
の実績がマイナスに転じた。,に対応するため、平成二年十二月には沿線二八市町村と懇談会を開催、これに学識経験者を加えて「津軽の路線
バス
/ 長距離
バス
と赤字路線
通史編5(近・現代2)
(バス事業の復興・伸展)
バス
事業の復興・伸展 弘南
バス
株式会社は、戦後の車輛や燃料及び部品等の不足により休止を余儀なくされた,十腰内線、弘前-高山線等の路線の長距離化か相次ぎ、昭和二十六年には板柳営業所を開設、二十八年には板柳
バス
,さらに昭和三十年(一九五五)三月、弘南
バス
株式会社は五所川原市に本社を置く津軽鉄道株式会社から
バス
事業,の統合により西郡・北郡のすべての
バス
事業を手中に収めた。,このように弘南
バス
株式会社は路線拡大に努めていったが、冬季積雪期間の路線確保には頭を痛めた。 /
バス
事業の復興・伸展
通史編5(近・現代2)
(昭和三十五年の弘南バス争議)
昭和三十五年の弘南
バス
争議 この後、昭和二十九年以降毎年のように弘南
バス
労組(総評系)のストライキが,の年、総資本対総労働の対立と言われた三池争議は日本を変えたが、津軽でも〝北の三井三池〟と言われた弘南
バス
,第一組合は五月四日から四営業所で指名ストに入り、
バス
の運行を阻止する戦術に出て、二十日までに
バス
一〇〇,このため、
バス
争奪や運行阻止をめぐる暴力事件が第一組合と第二組合・臨時守衛の間で相次いだ。,写真148 弘南
バス
争議 / 昭和三十五年の弘南
バス
争議
通史編5(近・現代2)
(バス事業の本格化と戦時下統制)
における
バス
事業の始まりについては定かではない。,元来鉄道省では津軽方面の
バス
路線を津鉄、弘南両鉄道の経営二本建として居たものであるが偶々弘前市が
バス
経営,株式会社と改称)となるなどしたため、再び市営
バス
構想は頓挫した。,なお、戦前には弘前市を起点に平川
バス
(代官町、平川力の経営、弘前-町居間)、弘前エビス
バス
(百石町、竹内兼吉,昭和十六年までに弘南
バス
に買収、統合されている(同前No.二二三)。 /
バス
事業の本格化と戦時下統制
通史編5(近・現代2)
(ストライキの顛末)
こう)着したが、会社側が裁判所に申請していた業務妨害排除仮処分が認められて組合側は守勢に入り、全車輛の
バス
,そして五月三十一日、組合側がピケで
バス
運行を阻止しようとして、執行吏、第二組合員、臨時守衛と衝突、それに,警官隊が介入してピケが破られ、
バス
の運行が開始された。 ,この間、深刻な影響を受けた津軽地区の商工業者は、五月十九日、
バス
運行確保弘前市民大会を開いて、
バス
の運行確保,を労使、裁判所に求め、さらに市営
バス
運行を要求した。
通史編5(近・現代2)
(交通条件改善への取り組み)
また、戦前の昭和十一年以降に市側が積極的だった市営
バス
の実現について、今度は昭和三十五年(一九六〇)に,これは、当市唯一の
バス
会社である弘南
バス
株式会社のたびたびの労働争議により、地域住民の足が奪われることを,憂慮したためであったが、市営
バス
構想は今回も結実しなかった。 ,それによると、道路狭隘のため
バス
の通行が不可能であり、五キロ先の弘前市立新和中学校への通学をあきらめ、
通史編5(近・現代2)
(乳井市政)
しかし、懸案の市営
バス
問題は弘前
バス
会社と買収価格が折り合わず、その間にガソリン消費規制の国策に沿った,弘南
バス
に弘前
バス
と花岡
バス
が買収された。
通史編5(近・現代2)
(東北縦貫自動車道の全通)
また、弘南
バス
をはじめ国鉄、岩手県北、岩手中央の各
バス
では、前年の春以来、東北新幹線に接続する特急
バス
通史編5(近・現代2)
(公労協ストの本県の情況)
利用者はほとんど
バス
で目的地に向かった。,利用客は
バス
に移り大混雑、しかし
バス
会社で増発したため大したトラブルがなかった。 ,列車利用客は、ほとんど
バス
や自家用車、タクシーを利用して目的地に向かった。
通史編5(近・現代2)
(タクシー事業の進展)
られるようなありさまであるが、五十銭タクの脅威は人力車を越えて弘前乗合自動車にも及ぼし、実際五人五十銭でタクシーに乗れば青
バス
,より心地よいというので
バス
の客が減じたので、乗合自動車側ではこれに対抗すべく目下乗車賃割引を行い、片道八銭
通史編5(近・現代2)
(観桜会(さくらまつり)の運営方針)
弘南
バス
の運行に関しては、弘前駅と公園の往復乗車券のほか、片道乗車券を発行するよう同社に申し込むこととしている,馬車の料金も
バス
と同一とするため、馬車組合に申し入れ、折り合いがつかなければ公園のたまり場を貸さない方針,こうした運営委員会の結果を踏まえ、観桜会に関し警察当局や弘南
バス
、写真組合などとの打ち合わせがなされたのである
通史編5(近・現代2)
(観桜会運営の打合会議)
打合事項は警備・取締りに始まり、保健衛生、弘南
バス
会社の要望、写真組合との関係などである。,弘南
バス
からは運営委員会の決定どおり、駅と公園の往復料金は一五円とし、片道切符を発行して一〇円とする意見,依頼状を各市町村長宛に発送するより、各駅長、交通公社、
バス
会社、私鉄交通業、大阪商船に依頼して運賃を割,③は「桜と国宝めぐり」と題した観光列車を増発し、県内
バス
運行の協力促進を検討するとあった。
通史編5(近・現代2)
(市民体育館の設置)
施設として、
バス
ケットボール二面、バレーボール二面、卓球一八面、バトミントン一〇面がとれ、スポーツ種目
通史編5(近・現代2)
(運輸事業の申請)
輸送するというかなり不便を強いられていたことから許可されたが、後者はその営業路線のほとんどが既存の弘南
バス
通史編5(近・現代2)
(若葉・愛光幼稚園の合併と聖愛幼稚園)
弘前学院聖愛幼稚園は、キリスト教の精神によって幼児を教育し、幼児の小さな道徳性の芽生え、思考力、創造的表現力を伸
ばす
ことを
通史編5(近・現代2)
(労働組合と賃金闘争)
労働組合と賃金闘争 弘南
バス
労組(一四〇人)は昭和二十一年の組合結成後、初めてストライキを二十六年五月五日
通史編5(近・現代2)
(大型店舗の出店)
大型店舗の出店 弘前市においては、
バス
ターミナルと大型店舗が併設された弘南ビルや駅ビルの建設とテナント
資料編1(考古編)
((1)工芸の種類)
また材質は不明だが、編物には、敷物・
バス
ケット(ざる)・漁網に加え、編布の衣服などもその残存遺物から想定
通史編5(近・現代2)
(市役所のケチケチ運動)
全面禁止、職員のマイカー通勤に自粛を求め、庁舎中庭駐車は全面禁止、公用車による管外出張を認めず汽車または
バス
通史編5(近・現代2)
(鉄道事業の消長)
は、昭和二十四年七月に、当時の岩淵勉市長の肝いりで設立されたが、開通当初から営業成績が思わしくなく、
バス
通史編5(近・現代2)
(国鉄ストライキと市民)
二十六日からは国労、動労が長時間の本格ストに入るほか〝支援組〟の青森・八戸両市営
バス
の時限ストも加わるので
通史編5(近・現代2)
(弘前市建設計画の出発)
観光資源の整備と市営
バス
の実現に伴ふ観光
バス
の運行を行ふこと。
通史編5(近・現代2)
(部活動の充実強化)
体操競技はもはや他校に優勝を譲る気配がなく、昭和五十五年、ソフトボールが初優勝を飾り、バドミントンと
バス
ケットボール
通史編3(近世2)
(強訴)
斬罪は首を斬り飛
ばす
のが普通の腕前であって、これでは血が前へ飛び、処刑者の着物はもちろん斬り手にもかかる
通史編5(近・現代2)
(スポーツ・文化活動)
においては常に明朗旗を争う聖愛高校や、新体操で破竹の一九連勝を遂げた弘前中央高校、また、柴田女子高校の
バス
ケットボール
通史編3(近世2)
(神仏分離とは)
神社に付属していた寺院の長)・社僧といった寺院・神社両属の者の還俗(げんぞく)(僧籍から離脱し、髪をの
ばす
こと
通史編5(近・現代2)
(観光協会の事業計画)
四月下旬…観光案内所設置、観桜会、姫コンテスト、芸者手おどり、民謡大会、 登山ばやし大会、
バス
ガイドコンクール
通史編5(近・現代2)
(突然の転任)
と問い、「貴方は真実に対する正しい認識を欠いているのではないか」と断じながら「貴方の現在の立場を蹴と
ばす
ことによってのみ
通史編4(近・現代1)
(新暦の採用)
また農事で必要があれば陰暦を照合すれ
ばす
むことである。
通史編4(近・現代1)
(新聞の発行)
そして第三面はいわゆる「三面記事」の名のとおり社会面で、それもニュースとゴシップが相半
ばす
るがゆえに、
通史編3(近世2)
(「概略手続」の発表と変更)
寛政年間といえ
ばす
でに六〇年以上経過しており、分地の理由としてはあまりにも無理がある。
通史編5(近・現代2)
(生活道路の計画)
、一級と二級の幹線市道については、昭和五十七年度末で改良率五八・八%、舗装率六一・七%に達しており、
バス
通史編2(近世1)
(綱吉政権下における大名課役)
精細画像で見る 翌年、藩主津軽信政は、国元に下向する時期が早められ、さらに翌年の参勤時期を六月に伸
ばす
ことも
通史編5(近・現代2)
(福士市政の財政)
づけるのは五十八年度からで、老人デイサービス事業、老人福祉センター瑞風園の開園、軽費老人ホームの設置や福祉
バス
通史編2(近世1)
(安政期の蝦夷地警備と交通問題)
されたため、湊役人には適材を得ず、彼らは朝夕だけ浜前に出かけて一回りし、繋留(けいりゅう)する船がいなけれ
ばす
ぐに
通史編5(近・現代2)
(「草を刈る娘」について)
山麓の岩木村までは
バス
が通っているし、そのあと、なだらかな勾配を二里ばかり歩くだけだから、女子供にも楽
通史編5(近・現代2)
(新編 弘前市史 通史編5(近・現代2) 目次)
352 四 弘前無尽会社から弘前相互銀行へ ………………………… 360 五 電車の登場と
バス
,…… 445 一 インフレと生活防衛 ………………………………………… 445 二 弘南
バス
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