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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編5(近・現代2) (山川市場とふじの登場)

山川市場とふじの登場 第二次大戦後の青森県、特に津軽地域・弘前市はりんご産業の発展と密接な関係に置かれてきた,この打開策として生産者が一斉に取り組んだのはスターキングやふじ等の高級品種への更新であった。,結果、昭和四十年に、国光と紅玉が生産量の約八割を占めていたのが、同四十七年にはデリシャス系が三〇%、ふじ,斉藤は、昭和三十三年(一九五八)、農林水産省園芸試験場東北支場からふじの穂木を贈られたことを機に、ふじの,写真184 斉藤昌美と最初にふじを接(つ)いだ樹  また、りんご関係者は新品種ふじの導入に続き、 / 山川市場とふじの登場
資料編1(考古編) (58.藤倉川層Ⅲ)(ふじくらがわそう))

58.藤倉川層Ⅲ)(ふじくらがわそう) 大沢(1962)の命名によるが、ここでは北村ほか(1972) / 58.藤倉川層Ⅲ)(ふじくらがわそう)
通史編2(近世1) (一 九戸一揆と動員大名)

わが)・稗貫(ひえぬき)一揆が起こり、出羽国では仙北(せんぼく)・由利(ゆり)・庄内藤島(しょうないふじしま
通史編1(古代・中世) (三沢安藤四郎の活躍)

三沢安藤四郎の活躍 一方、逃げる大将軍国衡のために、出羽道の根無藤(ねなしふじ)あたり(蔵王町)に城郭
通史編5(近・現代2) (りんごの自由化と産地の対応)

同六年アメリカ産りんご、同九年フランス産、同十年オーストラリア・タスマニア産りんご、同十一年アメリカ産ふじの,アメリカの対日りんご輸出戦略は国内における「ふじ」の増産とそれを背景とした輸出にあり、新たな産地対応策
通史編5(近・現代2) (川村杜山の自殺)

郷土作家研究家の藤田龍雄(ふじたたつお)(昭和三-昭和五五 一九二八-一九八〇 平賀町)は「杜山の死は
通史編5(近・現代2) (北門書道会の結成)

同月二十七日、玉成(ぎょくせい)高等小学校に高橋閑鶴、藤田雪溪、石倉守拙、葛西真鶴、高橋聴松、藤本武山(ふじもとぶざん
通史編1(自然・原始) (旧石器時代)

岩宿遺跡発見以後は、昭和二十八年(一九五三)第四紀研究のグループが金木(かなぎ)町の芦野(あしの)公園にある藤枝(ふじえだ
通史編3(近世2) (子供を池に投げ殺害)

(きづくり)・浅虫・黒石・金木(かなぎ)・五所川原(ごしょがわら)・油川(あぶらかわ)・浪岡・藤崎(ふじさき
通史編5(近・現代2) (進取の建築)

写真298 弘前商業会議所(大正4年)  大正十年(一九二一)新築の藤田謙一(ふじたけんいち)別邸
通史編3(近世2) (強訴)

九月二十八日未明、岩木川へ集った藤代(ふじしろ)・高杉(たかすぎ)・広須(ひろす)組などの弘前および西
通史編5(近・現代2) (弘前市農協の合併)

同年八月三十一日、設立委員会が開催され、組合長斎藤与一(さいとうよいち)(千年第一)、副組合長藤田文正(ふじたぶんせい
通史編1(自然・原始) (海底火山の崩壊)

古いものは、弘前市域では大和沢(おおわさわ)川上流部の最上流部にあたる秋田県との県境付近に、藤倉川(ふじくらがわ
通史編5(近・現代2) (台風一九号とりんご被害)

さらに悪いことに青森りんごの主力である晩生種の「ふじ」「王林(おうりん)」の収穫前の突風であったこともあり
通史編1(自然・原始) (一 弘前市の位置および外形)

おおむね岩木川沿いの悪戸(あくど)から藤代(ふじしろ)付近を境として南北で地形の発達が異なり、岩木川以北
通史編1(古代・中世) (中国製品の出土)

喜界島)までの交易をするなかで、唐物つまり中国から入る物品として四四品目を挙げ、そのなかに、藤茶琬(ふじちゃわん
通史編2(近世1) (騒動の要求と結果)

販売に当たっては米改めを受けた豪商たちの保有米五二六九俵のうち、五〇四俵が騒動直後に補助米・夫食(ふじき
通史編1(古代・中世) (乱の勃発)

この乱については、正史『日本三代実録』の記載が詳しい上に、乱平定の責任者であった藤原保則(ふじわらのやすのり
通史編1(古代・中世) (阿弖流為の投降)

その場には、天皇の弟の弱冠一二歳の葛井(ふじい)親王(桓武天皇と田村麻呂の娘春子との間の子)も同席していたが
通史編2(近世1) (民次郎一揆)

民次郎一揆 文化十年(一八一三)九月二十八日、藤代組(ふじしろぐみ)(現弘前市・北津軽郡鶴田町)・高杉組
通史編5(近・現代2) ((三)北の文学連峰の現在)

さらに、児童文学で郷土色豊かな作品を発表している藤田博保(ふじたひろやす)(大正一三- 一九二四- 鶴田町
通史編3(近世2) (桑の栽培と養蚕)

現市内三和(みわ))の七〇町歩(約七〇万平方メートル)と赤田組(あかだぐみ)四反(支旦とも)袋・藤代(ふじしろ
資料編2(近世編1) (はじめに)

また付録として、弘前城下、青森湊町、鯵ヶ沢湊町、十三湊町、深浦湊町、藤崎(ふじさき)村、岩舘(いわだて
通史編3(近世2) (幕末期近衛家との関係)

幕末期近衛家との関係 近衛(このえ)家の先祖は有名な藤原鎌足(ふじわらのかまたり)で、鎌倉時代に近衛
通史編5(近・現代2) (郁田流箏曲(いくたりゅうそうきょく))

医学の家柄である、古郡(ふるこおり)家のふぢ女が明治、大正期に多くの門人を輩出した。
資料編1(考古編) ((1)貝塚に見る食生活)

オキアサリが出土しており53種となる)、腹足(ふくそく)類(巻貝)は51種(表6)で、このほかにツノガイ・フジツボ,シラトリモドキ サラガイ マテガイ ヌマコダキガイ オオノガイ エゾコマガイ シラトリガイの類 ツノガイ フジツボ
通史編3(近世2) (ねぷた)

富士見橋(ふじみばし)近くの紺屋町(こんやまち)にあった)に出かけて、町印のついた一番から八番までの「
通史編5(近・現代2) (美術団体の発足と展開)

一方、県内の動きをみると、大正二年に東京美術学校を卒業した羽場金司は、藤島武二(ふじしまたけじ)(慶応三
通史編1(古代・中世) (一 中世寺院の建立)

、武田守信が堀越(ほりこし)村(現弘前(ひろさき)市)に営んだ宗徳寺、津軽為信の子息と室による藤先(ふじさき,)村(現藤崎(ふじさき)町)の藤先寺、乳井(にゅうい)村(現弘前市)に乳井氏が造営した盛雲院、そして大浦政信
通史編1(自然・原始) (太平洋戦争終結後)

県文化財専門委員の任にあった成田彦栄(なりたひこえい)(一八九八~一九五九)の後援を受けて、藤田亮策(ふじたりょうさく,明治大学の杉原荘介(すぎはらそうすけ)(一九一三~一九八三)が中心となって実施した金木(かなぎ)町藤枝(ふじえだ
通史編2(近世1) (土着策廃止後の新田・廃田開発)

次節で触れるところであるが、文化十年(一八一三)十一月、木造(きづくり)・広須(ひろす)・藤代(ふじしろ
通史編2(近世1) (領内アイヌ支配の変化)

この時、松ヶ崎・六条澗(ろくじょうま)・藤島(ふじしま)・釜ノ沢(かまのさわ)・上宇鉄(かみうてつ)・
通史編3(近世2) (松前方面の攻防と青森)

については、十月三十日に命じられていたのだが、十一月二十一日、その任は奥羽監察使藤川能登(おううかんさつしふじかわのと
通史編3(近世2) (藩から県へ)

その後弁事田中不二麿(ふじまろ)・内田政風(まさかぜ)や大蔵大丞(だいじょう)林友幸らによって詳細な取
通史編3(近世2) (平清水三右衛門による作陶)

その後短期間ではあるが、藤崎(ふじさき)村(現南津軽郡藤崎町)古館(ふるだて)(藤崎城跡)のうち畑地を
通史編2(近世1) (農政の転換)

廻米が不可能であった理由は、再生産を保障するための夫食(ふじき)(農民の食糧)などが不足し、その結果として
通史編5(近・現代2) (工業振興政策)

19 (株)センチュリーテクノコア弘前工場 1.5 2.4 注文紳士服 20 250 20 (株)青森フジクラ
通史編2(近世1) (安政期の蝦夷地警備と交通問題)

・袰月(ほろづき)の台場の他にも平舘(たいらだて)(現東津軽郡平舘村)に西洋流の台場と陣屋を、藤島(ふじしま
通史編1(自然・原始) (大規模な海底地滑りの痕跡)

エゾタマキガイ、エゾシラオガイなどの二枚貝の他に、ニッポンキリガイダマシなどの巻貝やウニ、コケ虫、海綿、フジツボ
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