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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
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通史編2(近世1)
(弘前八幡宮の祈祷)
前節で述べたように、当藩の蝦夷地出兵は、寛政元年のクナシリ・メナシの戦い、同四年の
ラクスマン
来航による,国家安全祈祷についても蝦夷地警備と無関係ではなく、寛政四年の
ラクスマン
来航に伴う出兵を契機に執行され、
通史編2(近世1)
((二)蝦夷地出兵の諸段階)
(2)は寛政四年九月の
ラクスマン
のネモロ来航と、同八年~九年にかけてのイギリス船プロビデンス号による松前,
ラクスマン
の通商要求に対し、幕府は石川忠房らを宣諭使(せんゆし)として派遣し、
ラクスマン
と福山(現北海道松前郡松前町
通史編2(近世1)
(幕府の蝦夷地政策)
ところが、寛政四年九月、エカテリーナ二世の命を受けたロシア使節
ラクスマン
がネモロ(現北海道根室市)に来航,
ラクスマン
のネモロ来航はその審議の最中の出来事であり、危機意識を募らせた定信は、北国郡代もしくは奉行を,図150.ロシア船図(上)と
ラクスマン
一行の図(下) 郡代の設置場所とその経費を賄うための直轄地,そして、この具体化は実際に幕府による調査を必要としたことから、
ラクスマン
応接のために松前に派遣した目付石川将監
通史編2(近世1)
(ロシアによるエトロフ襲撃事件)
レザノフは松平定信が先に根室(ねむろ)に来航した
ラクスマン
に与えた信牌(しんぱい)を携えており、通商許可
通史編3(近世2)
(藩政後期)
寛政四年(一七九二)にロシアの使節
ラクスマン
が根室で通商を求めると、弘前藩も幕府の命により松前へ藩士を
資料編3(近世編2)
(【解説】)
三年後の寛政四年(一七九二)九月、ロシア使節
ラクスマン
が船頭光太夫を送って根室に来航し通商を求めた。,幕府は、石川忠房らを宣諭使として
ラクスマン
と福山において会見させるために、その護衛として弘前・盛岡両藩,しかし、
ラクスマン
に対して長崎入港の信牌を与えて引き取らせたことから、格別の争いもなく八月に帰弘した。
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