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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
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通史編4(近・現代1)
(寄席・見世物)
見世物は
一番町
の南側の空地によくかかった。
通史編4(近・現代1)
(時敏小学校の創設)
、禰宜町、若党町、小人町、春日町、馬喰町、亀甲町の一二ヵ町)と盈進学区(親方町、百石町、百石町小路、
一番町
通史編5(近・現代2)
(道路の整備)
中津軽郡界ニ至ル間 一、国道第五号(注、現国道七号)路線延長六百二十六間 幅員五間 同市大字土手町
一番町
地内弘前市元標
通史編5(近・現代2)
(図書館の新築)
そのころ弘前市には弘前警察署のあった
一番町
の突き当たりから公園濠端へ真直ぐに抜ける新道路(現桜大通り)
通史編4(近・現代1)
(戸長の配置)
北新寺町 新寺町新割町 清水慶太郎 親方町 百石町 同細小路
一番町
通史編4(近・現代1)
(洋服)
四十年ごろの洋服店では、本町の行方長次郎、土手町の野元慶助、親方町の兜森喜代松、
一番町
の小寺勇太郎などが
通史編4(近・現代1)
(洋風建築と蔵造り)
木(本町坂から辻坂までの一帯)の峰月館、桶屋町辻の新若松楼などの料亭、さらに弘前第一の高楼と言われた
一番町
佐々木旅館
通史編4(近・現代1)
(行在所の奉迎ぶり)
この経路に当たった本町五丁目、
一番町
、下土手町の界隈(かいわい)一帯は、前年の大火災で焼け野原と化したにかかわらず
通史編4(近・現代1)
(城西小学校創立)
南横町、○和徳町、北横町、茶畑町、茶畑新割町 和徳 中初 亀甲学区 二 親方町、百石町、百石町小路、
一番町
通史編4(近・現代1)
(町道場の設置)
○北辰堂(笹森町) ○明治館(鷹匠町) ○精交会(
一番町
) ○陽明館(北瓦ヶ町) ○城南倶楽部
通史編4(近・現代1)
(理髪床・銭湯)
明治から大正にかけて次第に数を増していった市内の女髪結師といえば、皆彼女の弟子筋になるわけで、中でも
一番町
通史編3(近世2)
(消防制度)
ひがしながまち)(東長町・元寺町・寺小路(てらこうじ)・鞘師町(さやしまち)・鉄砲町(てっぽうまち)・
一番町
通史編5(近・現代2)
([口絵])
1 早朝の土手町十文字 口絵2 上土手町角のかぎや小間物店 口絵3 中井精肉店(
一番町
通史編5(近・現代2)
(軍人遺家族の援護対策)
写真24 戦時中の
一番町
(突き当たりが弘前警察署) 遺家族の生活が不安定になり、人心が悪化するとの
通史編5(近・現代2)
(空襲を受けなかった弘前市)
そのほかにも鍛冶町、桶屋町の家屋を除去し、
一番町
両側、親方町の大部分を除却、警察署・市役所庁舎から公園堀端
通史編2(近世1)
(城下弘前の変化)
第二は元寺町に新たな町割りがされ、本寺(もとてら)町一丁目(現
一番町
)・白銀(しろがね)町(現鉄砲町)
通史編4(近・現代1)
(食生活の変化)
三十一年に佐野盈之進が日新堂という牛肉販売店を
一番町
に開いたが、たちまち元寺町に店を拡張し、また支店を
通史編4(近・現代1)
((一)北洋の出稼ぎ農民たち)
弘前市民北海道漁場行 北海道及びサガレン島、樺太等漁場出稼の漁夫募集に就いては弘前市本町三上新太郎及び
一番町
桜庭百太郎
通史編5(近・現代2)
(昭和弘前市民の一側面)
一番町
にあった弘前新聞社前から岩木山神社を経由し、頂上まで往復三〇キロ弱を踏破するものである。
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