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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編2(近世1) (一里塚)

一里塚 「正保国絵図」の中で、一里塚の印が記載されている街道は、大道筋の西浜街道・羽州街道・奥州街道,しかし「道程帳」ではこの他に、百沢(ひゃくざわ)街道にも一里山(一里塚)のあったことが記されている。,このため、「道程帳」と「道程之図」では、一里塚の位置に微妙な差が生じている。,ただ、神社の境内に一里塚が築かれていたのかどうかとなると疑問も残る。,これは、津軽地方に一里塚そのものが現存しない点と合わせて考える必要があろう。 / 一里塚
通史編3(近世2) (出発)

新土手町(現上土手町)の左側に一里塚がある。,やがて三岳堂(みたけどう)がみえ、坂の上に一里塚があり百年山(ももとせやま)に到着し、休む場所がある。,その後また出発して、小栗山(こぐりやま)村(十二所権現あり)・松ノ木平(まつのきたい)村(一里塚あり),宿川原村からは鶴毛ヶ鼻(つるけがはな)(現剣ヶ鼻(つるがはな))の長い坂を登って大鰐村(一里塚あり)へ,この村には制札場・枡形・山神堂(さんしんどう)があり、その下に一里塚がみえる。
通史編2(近世1) (陸上交通網の整備)

一六四五)「陸奥国津軽郡之絵図」(以下「正保国絵図」と略記、資料近世1口絵)には、藩内の各村を結ぶ道路網と一里塚,いは、前者は支線道路の記述や古城跡の記述があるのに対して、後者には主要道路の記述しかないが、一里山(一里塚
資料編2(近世編1) (編年史料 (天正十七年~明暦二年))

●慶長九年(一六〇四)、この年、幕府、国内に一里塚の構築を命じ、津軽領にも使者来訪し、一里塚を築かせるという
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