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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編2(近世1) (岩木川舟運)

現弘前市浜の町東・同西・同北)、船場(ふなば)(現藤崎町船場)、板屋野木(いたやのき)(現板柳町板柳)、三世寺,(さんぜじ)(現弘前市三世寺)、湊(現五所川原市湊)、大泊(現五所川原市藻川(もかわ))、蒔田(まきた,小蔵の実態は不明であるが、寛文年間には、御蔵は弘前・三世寺・板屋野木・鰺ヶ沢・十三・青森(現青森市米町,ところが、寛文十年(一六七〇)三月十日付の十三沖横目宛ての布達によれば、三世寺と板屋野木からの十三への,三世寺川とは三世寺付近を流れる岩木川のことで、川をさかのぼって御用木が運ばれたことを物語っている。
通史編3(近世2) (瓦の移入)

岩木川をさかのぼり、板屋野木(いたやのき)(現北津軽郡板柳(いたやなぎ)町)で陸揚げ収納、さらに川舟で三世寺,(さんぜじ)(現市内三世寺)へ移送し、三世寺から城下へと運ばれた。
資料編1(古代・中世編) (弘前1~133)

弘前市町田字山吹-大石大明神堂内- 弘前120 弘前市中崎字野脇-薬師堂内- 弘前121 弘前市三世寺字色吉,-神明宮境内- 弘前122 弘前市三世寺字色吉-神明宮境内- 弘前123 弘前市三世寺字色吉-神明宮境内,- 弘前124 弘前市三世寺字色吉-神明宮境内- 弘前125 弘前市三世寺字色吉-神明宮境内-,弘前126 弘前市三世寺字色吉-神明宮境内- 弘前127 弘前市三世寺字色吉-神明宮境内- 弘前128
通史編2(近世1) (本村と新田)

三世寺(さんぜじ)村は貞和五年(一三四九)十二月二十九日の陸奥国先達旦那系図注文案(同前No.七〇二),に「津軽三郡内しりひきの三世寺に別当ハ」とあって、三世寺という寺院があったことに、村名が由来していることがわかる,『津軽郡中名字』にも「尻引(シリヒキ)」と「三世寺」の地名がみえてる。,三世寺村の産土(うぶすな)神であった神明宮の境内には、現在付近から集められた板碑が七基安置されているが,三世寺は鎌倉時代から室町時代にかけて、すでに存在していた可能性が高い村である。
通史編3(近世2) (徳増寺)

正徳元年(一七一一)の「寺社領分限帳」(弘図津)によれば、天正年間(一五七三~九一)、意源を開基として三世寺
通史編1(古代・中世) (中世の農民)

う 蒔苗 豊内 藤内 町田 町田 独狐 独狐 篠森 独狐字笹元 船水 船水 尻引 中崎・三世寺周辺,三世寺 三世寺 名久井萢 中崎 鬼沢 鬼沢 高杉 高杉 宮館 宮館 斯土沢 四戸野沢
通史編4(近・現代1) (鬼沢小学開校と「村落小学」)

明治二十二年廃校 学区は桜庭小へ編入 藤代小学 同 藤代村 同六月 同 同 四 一二〇 同 現致遠小学校 三世寺小学,同 三世寺村 同 同 同 一 三二 同 現三省小学校 種市小学 同 青女子村 同 同 同 一
資料編1(古代・中世編) (七 板碑の発見と保護の状況)

   一基  国吉字村元「国吉板碑群」   一二基  城東中央四丁目「板碑」     二基  三世寺字色吉,「三世寺板碑群」  七基  町田字山吹「板碑」       一基  田町四丁目「熊野奥照神社板碑」
資料編1(古代・中世編) (三 板碑の造立者とその時期)

安藤氏と関係が深い藤崎城域や三世寺に分布する板碑は、一三一〇年代から五〇年代にかけて造立されており、そこからは,三世寺や和徳町の板碑から、板碑信仰が十四世紀に入ると庶民と結びついてきたことが分かる。
通史編1(古代・中世) (安藤氏の所領)

えてみると、津軽鼻和郡内の「絹家島」と「片野辺郷」については現地比定が困難であるが、「尻引郷」は現在の弘前市三世寺,弘前市三世寺の付近には、平泉政権と密接なかかわりを有するものと思われる中崎館遺跡が存在する。
資料編1(古代・中世編) (第二節 五輪塔)

また、岩木川・平川の合流点に近い三世寺や中崎にも分布していた。,)に描かれた中里村五林(現中里町)の五輪塔と宝篋印塔  和徳町武田氏地所      水輪  三世寺神明宮疱瘡神
通史編4(近・現代1) (戸長の配置)

                              小山内小三郎  中崎村                              三浦竹蔵  三世寺村
通史編1(自然・原始) (駒越面)

駒越面は駒越付近の標高三〇~四〇メートル間では一〇〇〇分の二~三とやや勾配が認められるが、下流側の中崎・三世寺以北
通史編4(近・現代1) (小学校令と中津軽郡)

二十年三月、三十九年に至って青女子小学校と統合) 三省簡易小学校(二十年七月、簡易小学校になった時点で三世寺
資料編1(古代・中世編) ([付図])

119 弘前市町田字山吹 大石大明神堂内 120 弘前市中崎字野脇 薬師堂内 121~127 弘前市三世寺字色吉,74 滝井館〔館野越館〕 10 志戸野沢館 75 銀館〔杉銀館〕 11 蒔苗館 76 水木館 12 三世寺館
通史編1(古代・中世) (竪穴から掘立柱へ)

存在したことを実証するとともに、氏姓は不明ながら後世の記録などから、安藤氏の拠点であったと考えられる三世寺
通史編1(自然・原始) (清野袋面)

清野袋面上には岩木川西岸にあっては南から浜の町、石渡、中崎、三世寺(さんぜじ)、大川、青女子(あおなご
資料編1(古代・中世編) (二 本章で取り上げる中世城館跡)

(3)藤代地区 ⑫三世寺館(三世寺字色吉)、⑬中崎館(中崎字川原田)、⑭町田館(山吹の平館、町田字山吹
通史編4(近・現代1) (大区小区制の成立)

二一ヵ村) 藤代村 土堂村 石渡村 鳥町村 萢中村 船水村 八代村 外瀬村 町田村 藤内村 中崎村 三世寺村
通史編1(古代・中世) (曽我貞光の奮戦)

現在の弘前市三世寺(さんぜじ)あたり)へ攻め入った。
通史編4(近・現代1) (町村合併と弘前市制施行)

中野村 中畑村 藤代村(大字船水)-船水村 藤代村 土堂村 石渡村 鳥町村 萢中村 町田村 中崎村 三世寺村
資料編1(考古編) (第5節 温泉)

瑞風荘 神原温泉 弘前市大字高杉字神原93-2 730 150~125 42.0 0 400 6 三世寺温泉,鳴瀬温泉 弘前市大字三世寺字鳴瀬103-1 550 150~100 51.0 0 345 7 石田源泉
資料編1(考古編) ([付図])

瑞風荘 神原温泉 弘前市大字高杉字神原93-2 730 150~125 42.0 0 400 6 三世寺温泉,鳴瀬温泉 弘前市大字三世寺字鳴瀬103-1 550 150~100 51.0 0 345 7 石田源泉,包含地・城館跡 平安 02064 青柳館遺跡 弘前市大字下湯口字青柳59-9 城館跡 平安 02065 三世寺遺跡,弘前市大字三世寺字色吉8 包含地 平安 02067 中崎館遺跡 弘前市大字中崎字川原田354ほか 包含地,弘前市大字三世寺字色吉8 丘陵東斜面 包含地 縄文(前・後期) 平安 縄文土器(円筒土器),土師器
資料編1(考古編) ([口絵])

本流である岩木川とは、河口から約50km上流の弘前市三世寺において合流する。
資料編1(古代・中世編) (二 青森県の板碑分布)

その第一は岩木川と平川の合流点、藤崎町藤崎と弘前市三世寺を北限とする平川・浅瀬石川の流域、黒石~大鰐を
資料編1(考古編) (3.野脇遺跡)

ただ貞和5年(1349)の熊野党先系譜(『米良文書』)には、 「津軽三郡内しりひきの三世寺の別當ハ ,安藤又太郎殿号下国殿 今安藤殿親父宗季と申候也 今安藤殿師季と申候也(以下略)」 とあり、中崎の隣接地三世寺
通史編4(近・現代1) (試験法と地方集合試験)

、九〇 九〇・〇〇 致遠小前身 中崎 三二 二八 四 一、六〇 二、八〇 八七・五〇 三省小前身 三世寺
資料編1(古代・中世編) (一 はじめに)

としたし(『津軽一統志』)、同じころ、十三湊に本拠を置く安藤氏は、岩木川河川交通の要地・尻引郷(市内三世寺
通史編4(近・現代1) (戸籍法と戸籍区)

田代 白沢 大秋 藤川 居森平 砂子瀬 川原平 第二三区(藤代) 萢中 中崎 種市 小友 青女子 三世寺
通史編2(近世1) (信義の襲封)

一方、水害は寛永十六年の下の切地方の洪水(同前No.六一〇・六一一)、慶安元年(一六四八)の三世寺(さんぜじ
資料編1(古代・中世編) (六 板碑の調査・研究史)

なお、『撞鐘古碑石調之覚』は、宮舘〈中別所〉・三世寺・外崎(以上弘前市)、藤崎(藤崎町)、関・金井ヶ沢
通史編1(古代・中世) ([付図])

包蔵地・城館跡 縄文・平安 64 青柳舘遺跡 下湯口字青柳59の9 宅地・畑 城館跡 平安 65 三世寺遺跡,三世寺字色吉8 畑 包蔵地 縄文・平安 66 大石神社遺跡 大森字勝山 原野 〃 縄文 67 中崎舘遺跡
通史編1(古代・中世) (二 北奥宗教界を彩る中世的寺社)

徳増寺 浄土宗 貞昌寺 三世寺村 (弘前市) 新寺町 承応二年(一六五三)、貞昌寺六世無角上人
通史編1(古代・中世) (二 津軽の修験道と神社)

一、津軽三郡内しりひきの三世寺の別当ハ常陸阿闍梨房舎弟大和阿闍梨房にて候、彼引たんな皆当房へ可参候、安藤又大郎殿号下国殿
資料編2(近世編1) (編年史料 (天正十七年~明暦二年))

●慶安元年(一六四八)正月十八日、領内大洪水により、三世寺村より下通り水深七八尺に及ぶという。
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