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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編1(自然・原始) (三内丸山遺跡)

三内丸山遺跡 縄文前・中期に栄えた円筒土器の世界は、われわれの予想を越えるほどのすばらしい文化を残している,その具体的事例を青森市の三内丸山遺跡をもとに紹介しよう。   / 三内丸山遺跡
通史編1(自然・原始) (食料)

三内丸山遺跡では、堅果物の殼がとくに「北の谷」から層をなして発見され、またそれらに混じって種子の類も出土,一方、三内丸山遺跡では、ノウサギ・テン・ムササビ・イタチ・キツネ・タヌキなどの小型動物が多い。,なお、不思議なことに三内丸山遺跡では、フグ属の骨が出土している。,彼らがある目的のために力を合わせて築き上げたその証明の一つに、三内丸山遺跡のシンボル的存在である巨大な,青森市・三内丸山遺跡の復元された巨大掘立柱建造物  この柱間の距離はきわめて正確であり、この時期
通史編1(自然・原始) (漆)

三内丸山遺跡の調査で「北の谷」の泥炭層から前期の土器(円筒下層a~b式)とともに漆を塗った品々が出土し
通史編1(自然・原始) (住居)

三内丸山遺跡では、このような世設役より強い権限をもった指導者の下に住民が糾合し、その指令に従って行動していたものと,の終末期(円筒下層のd式期)において、一〇メートルを超える楕円形(長円形の形状の方が正しい)住居跡が三内丸山遺跡,このように巨大な住居跡は次の中期に入っても継続し、三内丸山遺跡において長軸三二メートル、幅一〇メートル
通史編1(自然・原始) (第二節 旧石器時代)

相当しようか(1)(計算によると縄文時代の始まりは十二月三十一日午後十一時五十八分三十六秒、青森市の三内丸山遺跡
通史編1(自然・原始) (土器棺墓)

円筒土器の世界では、八戸市蟹沢遺跡などの例のごとく、埋設された土器のなかから胎児骨が発見され(73)、また三内丸山遺跡,三内丸山遺跡の調査員によると、土壙墓(大人の墓)一〇〇に対して埋設土器(子供の墓)が八〇〇ほどとのことであり
通史編1(自然・原始) (第三節 注および引用・参考文献)

Ⅱ』第一・第二分冊 (青森県埋蔵文化財調査報告書一五七) 一九九四年   B 青森県教育委員会 『三内丸山遺跡,Ⅴ』(青森県埋蔵文化財調査報告書二〇四) 一九九六年   C 青森県教育委員会 『三内丸山遺跡Ⅵ』(,青森県埋蔵文化財調査報告書二〇五) 一九九六年   D 青森県教育委員会 『三内丸山遺跡Ⅶ』(青森県埋蔵文化財調査報告書二二九,遺跡発掘調査報告書』(青森県埋蔵文化財調査報告書三三) 一九七七年 (71)青森県教育委員会文化課三内丸山遺跡対策室, 『第2回三内丸山遺跡発掘調査委員会-委員会議資料』 一九九七年 (72)A 岩手県埋蔵文化財センター
通史編1(自然・原始) (縄文集落)

これに対し三内丸山遺跡は外見すると異なる構造に思われるが、各遺構の配列は「北の谷」の南を東西の方向に並
通史編1(自然・原始) (栽培の問題)

栽培植物については、さきに三内丸山遺跡の記述で触れたが、縄文時代にはそのほかに八戸市是川の風張遺跡で、
通史編1(自然・原始) (津軽への稲作の伝来)

風張(かざはり)(1)遺跡や亀ヶ岡遺跡などの事例によると、縄文人はすでにコメを知っていた可能性は高く、三内丸山遺跡
通史編3(近世2) (津軽における漆工芸の起点)

さらに近年、青森市の三内丸山遺跡から弁柄漆(べんがらうるし)(酸化第二鉄の弁柄と漆を混合した赤色の塗料漆
資料編1(考古編) ((2)集石・配石遺構)

図25 土壙墓・石棺墓 左上:土壙墓…青森市・三内丸山遺跡(中期) 上:土壙墓…浪岡町・源常平遺跡
資料編1(考古編) ((1)貝塚に見る食生活)

カヤ・クルミ・スダジイ・オニハス・リョクトウ・ムクロジ・ブドウ・マタタビ・ヒシ・ヤマボウシ・シソなどのほかヒョウタンも発見されており*114、至近の例では青森市三内丸山遺跡
通史編1(自然・原始) (太平洋戦争終結後)

このほかは、前年に引き続き、青森市三内丸山遺跡が調査されている(八月)。
通史編1(自然・原始) (第一節 注および引用・参考文献)

『朝日山遺跡』(青森県埋蔵文化財調査報告書一五二) 一九九三年三月 (156)青森県教育委員会 『三内丸山遺跡,沢石棺墓発掘調査報告書』(鯵ヶ沢町文化シリーズ一〇) 一九八五年三月 (169)青森県教育委員会 『近野遺跡(Ⅲ)・三内丸山遺跡
通史編1(自然・原始) (発掘調査の成果)

さらに平成四年(一九九二)、県営野球場建設予定地であった三内丸山遺跡に対する緊急発掘調査が開始され、大小
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