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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編2(近世1) (九戸一揆の始まり)

九戸一揆の始まり 奥羽の各地で一揆が勃発するなか、天正十九年正月、南部氏の居城三戸城では恒例の年賀の,、鹿角(かづの)郡の大里修理(おおさとしゅり)・大湯(おおゆ)四郎左衛門らの参加等があり、その勢力は三戸城
通史編1(古代・中世) (南部晴政の登場と一族間の対立)

一方、同じ年、晴政は、居館の聖寿寺館(しょうじゅじたて)(本三戸城、三戸郡南部町)の焼失を機に、三戸城,された形跡がなく、代々の墓所や寺院、崇敬厚い八幡社などはそのままの位置にあったことから、居城の移転は三戸城下
通史編1(古代・中世) (内乱期の蝦夷沙汰)

南部氏は南北朝の内乱の中で大きく二つの流れとなり、師行とその弟の政長の系統は糠部八戸根城を拠点とし、糠部三戸城
通史編2(近世1) (九戸一揆の背景)

の九戸氏らは三戸氏の「家中(かちゅう)」あるいは「家臣」として位置づけられ、居城を破却(はきゃく)し三戸城下,稗貫郡でも一揆が起こり、一揆勢は浅野長吉配下の浅野忠政が配置されていた鳥屋ケ崎城を襲撃し、南部信直が三戸城
通史編2(近世1) (北奥羽の領知確定)

また、南部氏の居城が三戸城から天正十九年に蒲生氏郷の普請が加えられた福岡城(現二戸市)に移転され、かつ,津軽氏が居城を大浦城から、文禄三年に堀越城、慶長十六年に高岡城へと移転させ、南部氏も居城を三戸城から、
通史編1(古代・中世) (文献史料から見た戦国動乱の激化)

そして永禄九年から十一年(一五六六~六八)にかけて、三戸城主南部晴政軍と秋田檜山城主安東愛季軍の間で領界
資料編1(古代・中世編) ([十六世紀])

●天正十年(一五八二)、三戸城主南部信直、弟政信を波岡城に入部させ、津軽郡代にするという。
資料編1(古代・中世編) (第一章 綱文・史料一覧)

… 秋田藩採集文書「小介川光豊家蔵文書」 330 ●天正十年(一五八二)、三戸城主南部信直、弟政信を波岡城
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