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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編2(近世1) (銀遣いへの変更と商人の活用)

乳井貢ら御調方役所の認識にあったのは、江戸入用金が上方からの送金によって賄われていたことであった。,つまり、江戸への送金も領内の銭遣いも上方銀主を通して行われており、上方銀主に支払う手数料・両替料の出費,そしてこのようなシステムに加え、現在上方銀主への借財は膨大になり、江戸への送金も差し支えている状況にある,これでは、ますます上方銀主への借金が膨らんでいく一方である、という認識である(資料近世1No.九〇六),「古来」津軽領では銀遣いであったが、先述のように上方廻米の開始によって上方銀主とのかかわりが深くなり、
通史編2(近世1) (茨木屋の苦悩)

図130.宝暦四年甲戌御改革帳之写 左側は上方の借財、右側は江戸の借財 目録を見る 精細画像で見る, この年、勘定奉行釜萢(かまやち)兵左衛門は上方の銀主との話し合いによって、金にして二四万両余,宝暦改革では上方市場からの自立を目指していたが、実際には困難であった。,恐縮しており、同年の藩士の知行蔵米化の処置も、かかる借財を軽減しようと導入したものであり、これにより銀主,しかし、今年限りで地方知行制に戻るので、少しでも寸志を送って銀主達の機嫌を損わないようにしたらどうか、
通史編2(近世1) (文化~文政期の藩財政)

たとえば、寛政三年(一七九一)には江戸・大坂の銀主に借金返済の繰り延べを依頼する事態となり、年限が来た,米方の支出は国元・江戸・上方でそれぞれ計上されているが(表62)、そのうち一二万六五八石、すなわち全体,別段才覚元利返済 2,516.25 0.99  元金1,500両利息10ヶ月分共 ㉙ 大坂諸銀主口々年賦返済米,上方の支出は四万四九一四石で、藩全体の一七・六八パーセントである。,大口として大坂借財元利二万三〇〇〇両の代米に三万五〇七五石が充てられており、上方の支出の七八パーセント
通史編2(近世1) (赤石安右衛門・菊池寛司の「覚」)

(1)定免制(じょうめんせい)、(2)両都(江戸・上方)銀主への藩財政の依存、(3)藩士の奢侈的生活、,そこで、両都銀主に対して、借金のうち多少なりとも一〇年間の返済の「休年」を申し渡し、余裕が生じたら徐々,なお、この意見は、実際に現実化しており、借財の三ヵ年間休年を両都銀主に対して申し出ている(「老譚」『記類
通史編2(近世1) (公家との関係)

津軽氏にとって、西洞院親子の役割は、政治の中心地であった上方(京・伏見)で、関ヶ原の戦い直後の流動的な,これは政治の舞台が上方から江戸・駿府(家康は慶長十二年に駿府へ移る)へと移行したことによる。,年々「両期五百両ツヽ」この支給を行うとされた(同前No.九八七)近衛家は、財政難の津軽家のために大坂の銀主
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