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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
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通史編2(近世1)
(関ヶ原の戦いと奥羽の情勢)
最上義光は、
上杉氏
の撤兵の後、かつてその領するところであった庄内地方を
上杉氏
から奪回する好機とみて、庄内攻略,
上杉氏
の転封が無事に済むかどうかは、その大きな軍事力がそがれていない状況下では予断を許さない形勢だったことから,
上杉氏
が何事もなく米沢に移ったことから、奥羽における関ヶ原の戦いに連動した慶長五・六年の動乱は一応終結
通史編2(近世1)
(関ヶ原の戦いと津軽氏)
この包囲網に動員された奥羽・越後の各氏は、南部利直を除いてはほとんど
上杉氏
と領界を接するため、出陣を命,じられたのであり、津軽氏は
上杉氏
と領界を接することがないばかりか、極めて遠くにその所領が位置していたことがまず
通史編2(近世1)
(湊合戦と惣無事令違反)
さらに、このとき、当面の措置として、秋田を豊臣直轄領としたうえで、南部・
上杉氏
にゆだねることを決めたとも
資料編1(古代・中世編)
([十六世紀])
●永禄五年(一五六二)十一月、越後
上杉氏
、檜山屋形下国安東愛季の好誼を謝するとともに、再び鷹を所望する,●永禄五~十二年(一五六二~六九)の間、越後
上杉氏
、秋田方面へ船を派遣し、秋田沿海の通過と諸浦出入の保証
通史編2(近世1)
(豊臣再仕置軍の奥州下向)
しかし、政宗のほか
上杉氏
・佐竹氏・宇都宮氏など北国・北関東の大名衆、そして秋田氏・小野寺氏・最上氏・由利衆
資料編1(古代・中世編)
(第一章 綱文・史料一覧)
………………… 坊沢村長崎氏文書 302 ●永禄五年(一五六二)十一月、越後
上杉氏
、檜山屋形下国安東愛季,………………………… 八戸湊文書 302 ●永禄五~十二年(一五六二~六九)の間、越後
上杉氏
、秋田方面
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