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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
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通史編2(近世1)
(関ヶ原の戦いと津軽氏)
慶長六年、関ヶ原での功績により、津軽為信に対して
上野国
勢多(こうずけのくにせた)郡のうち二〇〇〇石が加増,通常「
上野国
大舘領」と呼ばれる地域である(資料近世1No.一〇〇~一〇二)。,ただ、寛文四年(一六六四)、四代藩主津軽信政に対して発給された領知朱印状・領知目録には
上野国
勢多郡内に,二〇〇〇石の所領がある旨を記載している(同前No.八七二・八七三)ことから、津軽家がこの
上野国
の所領を,図47.
上野国
大舘領位置図
通史編2(近世1)
([口絵])
御影堂障壁画 口絵2 大浦光信倚像 口絵3 伝津軽為信下賜卍船印 口絵4
上野国
勢多郡津軽領代官足立氏
通史編2(近世1)
(一 明暦検地の意義)
四代藩主津軽信政の跡目相続を認め、その後見として叔父で旗本の西丸書院番津軽信英(のぶふさ)へ黒石・平内、そして、
上野国
勢多郡大舘
通史編2(近世1)
(信義の襲封)
信義の出生地
上野国
勢多郡大舘(正しくは
上野国
新田郡大舘)は、藩祖為信が関ヶ原の戦いでの戦功で加増された
通史編2(近世1)
(津軽家宛ての領知宛行状と領知高の変動)
八七三 徳川家綱 津軽信政 寛文四年(一六六四)四月五日 陸奥国津軽郡一円一三三箇村 四五、〇〇〇
上野国
勢多郡之内,徳川綱吉 津軽信政 貞享元年(一六八四)九月二十一日 陸奥国津軽郡一円一三三箇村 四五、〇〇〇
上野国
勢多郡之内,)村、現黒石市東馬場尻・飛内・小屋敷・下目内沢)を解消するために、元禄十一年(一六九八)黒石津軽家が
上野国
通史編2(近世1)
(本村と新田)
本村と新田 津軽弘前藩は津軽郡四万五〇〇〇石と、他に
上野国
勢多(こうづけのくにせた)郡(現群馬県)に
通史編2(近世1)
(支配機構の整備)
しかし、このとき、弟の信純(のぶずみ)(一六五〇~一六七五)に黒石領飛内(とびない)村など五〇〇石、
上野国
赤堀村
通史編1(古代・中世)
(一 古代における北奥の宗教世界)
たとえば、嘉祥(かしょう)三年(八五〇)に
上野国
聖隆寺、元慶(がんぎょう)五年(八八一)に信濃国伊那(,(一)有二東国化主道忠禅師者一、是此大唐鑑真和上持戒第一弟子也、伝法利生常自為レ事、 (二)
上野国
浄土院一乗仏子教興,二つの史料から、鑑真(がんじん)の高足に東国化主(けしゅ)=伝導者たる道忠禅師がおり、その道忠の下に
上野国
浄土院
資料編2(近世編1)
(編年史料 (天正十七年~明暦二年))
●慶長六年(一六〇一)、この頃、津軽為信、
上野国
大舘に二千石を加増されるという。
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