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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編1(古代・中世) (安藤氏の所領)

津軽鼻和郡絹家島(けんかしま)・尻引(しりひき)郷・片野辺(かたのべ)郷と糠部宇曽利(ぬかのぶうそり)郷(下北半島,津軽地方では鼻和郡内諸郷・西浜(現在の当市域および西津軽郡から北津軽郡にかけての一帯)、また南部地方では下北半島一帯,「湊」については、それを十三湊とする説と、下北半島の内に求める説とに分かれるが、配列のみからいうと後者
通史編1(古代・中世) (奥州安倍氏とのつながり)

安倍氏一族のなかに安倍富忠なる人物がいるが(史料四四五)、のちに安藤氏の重要な支配領域であった宇曽利(現在の下北半島北部
資料編1(考古編) (〈注及び参考文献一覧…第3章〉)

*8 喜田貞吉 「日本石器時代の終末期に問題」(ミネルヴァ1-5) 1936年 *9 中島全二 「下北半島新石器文化,の編年的研究」(考古学雑誌36-4) 1950年 *10 岩月康典 「下北半島に於ける土師器の竪穴」,60 大場磐雄 「上代馬形遺物再考」(国学院雑誌67-1号所収) 1966年 *61 江坂輝弥 「下北半島,縄文文化遺物集成』 1969年 *82 橘善光 「青森県東通村白糠採集の土師器と擦文土器について-下北半島,擦文土器の変遷について」(常呂)東京大学文学部考古学研究室編 1972年 *95 橘善光 「青森県下北半島
通史編1(古代・中世) (内乱期の蝦夷沙汰)

をしていた安藤氏が、観応の擾乱のころから足利氏と結びその勢力を挽回し、南北朝後半から室町初期には津軽・下北半島
通史編5(近・現代2) (宗教団体法の成立)

また、その前年、下北半島の伝道から津軽農村伝道センター所長となり、東奥義塾教師となった滝沢清牧師は、弘前市公会堂
通史編1(自然・原始) (早期)

上北郡下田町の中野平(なかのたい)遺跡(12)において、同種文様の古いタイプの白浜・小舟渡平式が出土し、さらに下北半島
通史編1(自然・原始) (位置と地勢)

メートルを超える)、西部山地(平均標高五〇〇メートル)、津軽半島山地(平均標高一〇〇~二〇〇メートル)、下北半島山地
資料編1(考古編) ((3)弥生時代の土壙墓)

されている当該遺構の代表的なものは、津軽半島の突端に近い東津軽郡三厩村宇鉄字下平に所在する宇鉄Ⅱ遺跡と、下北半島
資料編1(考古編) (5.青森県における弥生時代の終局)

天王山式(鳥海山式)期に入ると、北海道を中心とする続縄文式土器を出土する遺跡が目立って多くなり、その分布は下北半島
通史編1(自然・原始) (環状列石)

八遺跡のなかで、環状列石ないしはそれに準ずるものとして報告されている例は、昭和二十九年(一九五四)に、下北半島
通史編1(自然・原始) (明治時代)

土岐源吾(ときげんご)(蓑虫(みのむし)と号す、一八三六~一九〇〇)が明治十一年(一八七八)に来県し、下北半島
通史編1(自然・原始) (平安時代の降下火山灰)

御倉半島突端に誕生した溶岩ドーム(御倉山)の噴火活動によるもので、十和田湖を中心に厚く堆積し、津軽半島および下北半島
通史編1(古代・中世) (擦文文化の特徴)

される盛期の擦文土器の分布は、本県においては県西側の陸奥湾沿岸地域、岩木川流域を中心としており、県東側は下北半島
通史編1(古代・中世) (一六世紀の湊)

さらに、下北半島の川内町の鞍越(くらこし)遺跡出土遺物、野辺地町周辺の表採品に一六世紀から一七世紀初頭
通史編1(古代・中世) (古墳文化及ばぬ北の世界)

その北海道からの南下のルートとしては、函館の東の汐首(しおくび)岬あたりから、下北半島大間(おおま)崎
資料編1(考古編) ((3)10世紀後半~11世紀)

擦文土器の分布域は大きく、Ⅰ区(下北半島)・Ⅱ区(外ヶ浜)・Ⅲ区(岩木川流域)・Ⅳ区(米代川流域)の4
通史編1(自然・原始) (人類の進化)

長野県北部の野尻(のじり)湖をはじめ、東北地方では岩手県の花泉(はないずみ)町にある低湿地(6)と、青森県の下北半島東北端
資料編1(考古編) ((2)縄文時代早期)

その後引き続き、八戸市から下北半島に至る太平洋側において後続する貝殻文土器が発見された。
通史編2(近世1) (津軽領内のアイヌ民族)

北海道地方を除き、近世国家においてアイヌ民族の居住が確認されるのは、津軽領の津軽・夏泊両半島、そして南部領の下北半島
資料編1(考古編) (〈注一覧…第4章〉)

下北地点原子力発電所建設予定地内埋蔵文化財試掘調査報告書』(青森県埋蔵文化財調査報告書第70集) 1982年 28) 橘善光 『下北半島,平山久夫 「青森県の中世陶磁について」(北奥古代文化第6号) 1974年 *7 橘善光・森本岩太郎 「下北半島西通発見
通史編1(自然・原始) (食料)

マグロ・カツオ・ニシンの類の漁獲には遠方まで出掛け、タラは下北半島周辺の海域で、マダイ・スズキ・ブリ・ヒラメ・カレイ
通史編2(近世1) (幕府の蝦夷地政策)

)とラクスマン一行の図(下)  郡代の設置場所とその経費を賄うための直轄地は、松前の対岸にある下北半島
資料編1(考古編) ((2)太平洋戦争後から現代まで)

平山は津軽平野を*67、橘は下北半島を中心に、また北林は陸奥湾沿岸をそれぞれ主なフィールドとして調査した
通史編1(自然・原始) (太平洋戦争終結後)

また江坂輝彌は、六月から十一月にかけ、青森市をはじめ下北半島や上北郡下での遺跡の発掘を行い、おもに縄文時代早期
通史編1(自然・原始) (昭和時代)

北の下北半島では、田名部(たなぶ)町(現むつ市)の中島全二(一九〇二~一九七九)が、孤軍奮闘しながら調査
通史編1(自然・原始) (第一節 注および引用・参考文献)

日本貝塚の研究』 岩波書店 一九六九年九月 (67)A 江坂輝彌 「余白録 古いノートから-青森県下北半島最花貝塚,71)橘善光・篠遠善彦 「青森県脇野沢村瀬野遺跡」『貝塚』二七 一九五〇年九月 (72)中島全二 「下北半島新石器文化
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