• 機関トップ
  • 資料グループ
  • テキスト一覧
  • 年表一覧
  • キーワード一覧

弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

  1. トップページ
  2. 詳細検索

詳細検索


検索条件を追加
閉じる
検索結果 : 7件
辞書ファセット
/ 1ページ
通史編3(近世2) (天徳寺)

寛永十七年(一六四〇)、信義が来寺し、隠居料五〇石を与えようとしたが辞退し、下屋敷一軒を願い出たという
資料編3(近世編2) ((二)江戸における屋敷)

その中で江戸においては、「上屋敷」から「中屋敷」、「下屋敷」があり、さらに浜屋敷や亀戸屋敷などの「御抱屋敷
通史編3(近世2) (江戸勤番と生活)

家族が住む公邸、中屋敷は隠居した藩主や嗣子などの住居であるとともに、上屋敷が罹災した場合の予備の邸宅、下屋敷,中屋敷は下谷柳原(したややなぎはら)(現東京都台東区)に、下屋敷は浅草(あさくさ)(現東京都台東区)に,午後五時に下屋敷へ小倉(作左衛門か)と一緒に帰る。,二十四日、今朝、松田氏が兵書を講釈、終わって正午すぎに下屋敷に帰る。  ,(1)添田儀左衛門は下屋敷に住んでおり、出番の際には上屋敷まで出かけていた。
通史編4(近・現代1) (在府町の偉人たち)

弘前城下最南端の士族の町在府町(ざいふちょう)は丘陵地で、東南に南溜池(鏡ヶ池)が築かれ、大身や上級武士の下屋敷
通史編3(近世2) (宝暦期の城下)

・萱町・緑町・植田町・片山町・川端町・森町・新楮町(現御幸町付近)、富田町と桝形(ますがた)、宇和野下屋敷
通史編3(近世2) (一〇代信順の治世)

増衛の父甚兵衛は江戸日本橋で大店の油屋を営んでいたが、天保三年(一八三二)娘のため柳島下屋敷の向かいに
資料編3(近世編2) (【解説】)

特に、後者の江戸藩邸は、上・中・下屋敷と三つに分かれていたが、収録した藩邸の屋敷図は上屋敷の図であって
/ 1ページ
  • 資料グループ
  • テキスト一覧
  • 年表一覧
  • キーワード一覧
  • 機関トップ
  • 利用規定
  • 利用ガイド
  • サイトマップ
  • ADEACトップ
X(旧Twitter) facebook line urlcopy
トップへ
ページURLがコピーされました